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10月12日の大阪のSotto虹の「自死でノコサレタ苦悩を分かち合う集い」プラスα、の開催は時期尚早と判断、やむない問題提議として、いま… 12日加筆… 「未熟で残酷な」LGBTコミュニティと、Sotto虹を営む二人の「老い」の狭間で

10月12日の大阪のSotto虹の「自死でノコサレタ苦悩を分かち合う集い」プラスα、
        の開催は時期尚早と判断、やむない問題提議として、いま。…… 翌日加筆
    「未熟で残酷な」LGBTコミュニティと、Sotto虹を営む二人の「老い」の狭間で
 
 当初、計画しようとした10月12日の大阪でのSotto虹関連の催しの開催は見限りました。
 ひとり積極的な協力を惜しまないと申し出たLGBT当事者の存在は、ささやかな励みをもたらしました。
 が、2ヶ月ほど前にアップした結果の反応のなか、万障繰り合わせて、この営みを今こそ大阪で、との思いに応える、当事者が他にはいないなか、見合わせました。
 単に、「してくれるなら、参加してもいいけど…」という程度の弱腰では、どだい無理と、赤字がふりつもるよう経験のあげくのことです。

 実は、この春には、東京での開催をねらい、この件にアンテナが上がっていると思われる数少ない人々に、今から1年前に声をかけ始めました。やはりひとりはそれなり本気でした。
 それからの、決心しての長電話に、やむなく冷徹な反応となるならまだしも、12月に始めたSotto虹の営みの告知を、ひとつずつ丁寧にして、すさまじいバッシング、ないしは無視に遭遇したことは、春の開催どころではない、LGBTコミュニティの未熟で残酷な、番組以来の変わらぬ実情を、これでもかと今さらのように思い知らされることとなりました。
 こころをこめた手紙が捨てられたり、紛失されたり、リーフレットを受け取ったかどうかもどんな反応もなかったり…。
 このテーマに向き合えない自分を素直に自然と伝えることができないせいか、こころを頑ななまでに閉じ、標的をあやまったかのように攻撃にまわる言動にいくつか遭遇、しばらくは立ち上がれないほどの痛手を受けました。
 そういった経緯を見守っていたはずの当事者の知人たちも、物事の本質を見きわめず…あるいは見つめた上でか…、見て見ぬふりを通した(と見えた)ことも、追い打ちをかけました。
 あるかなきかのコミュニティにヒビを入れないための、「賢明な」首都のアクティビストたちの処世術がここでも展開されていたんだな、と思うばかりでした。

 その一方で、地元フクイでも、Sotto虹の営みが口コミで伝わっていくには、なかなかの閉鎖的な世間が身を固めています。
 リーフレットを渡す人のほぼすべてが当事者、ないしはその身近な人にもかかわらず…、いえ、だからこそ。
 ここにこそ、秘密をガンとして守り、生者と死者を分断し、物事の本来の姿をけっして見ない、見せない、日本のシンボリックにしてリアルな原風景が立ちはだかっています。
 それでも、偶数月には、自死でノコサレタ人々の集いを地道に継続。
 奇数月には、互いの痛みや喜怒哀楽の温度差に寄り添う一歩を踏み出さればと、誰でも参加可能な「Sotto虹あゆみあい塾」もかさねました。

 7月の北海道ジャーニーでは、7月12日に札幌で集いを持てたことは、ささやかでも確実な結実でした。自由学校遊での、あゆみあい塾相当の、ワークショップ2回のファシリテートの面白くも深い経験も、旭川大学での性的少数派と、生と死、のふたつに向き合う授業を、英子とともにふたこま持てたことも。
          (それにしても、札幌でできたことが大阪でも東京でも持てない不思議…。)

 しかしながら、ともにSotto虹をになう人材が育たないこともまた、はずせない現実です。
 自分のなかにある、弱さをも抱きしめ、自分と出逢っていく困難さのただなかに、まさに都市の性的少数派当事者やアクティビストも、地方のありとあらゆる老若男女もいるのだということに、直面するばかりです。
 この営みを維持する財源となるカンパも、2、3の例外をのぞけば、ベロ亭の私たちをよく知る、県外の信頼する古い友人のみという、こころもとない実情。
 場所の提供、印刷作業の手助け、配布協力こそあれ、リーフレットの設置に向けても、ひと悶着ということもしばしばです。
 これについては、近日中に、詳細を記します。
 なお、あと250枚の今年度のリーフレットの送付、設置の方法も思案中。どうか声をかけてほしいばかりです。
 
 ただ、やっていて良かったと思うのは、ノコサレタ当事者が、一度もどこでも口に出せずにいた真情を吐露し、参加者同士の思いがはじけ溶け、まさに、そこにこそ人生がある、と胸が熱くなるとき…。
 あゆみあい塾で、参加者の表情が少しずつ、やがて急激にやわらいでいくとき…。
 中部地方の都市の、ある自死遺族の大先輩格の「分かち合い」の会から、性的少数派当事者のケースをつないでもらったとき…、など。

 しかしながら、私と岩国英子は、63歳と68歳という「老い」に逆らえない日々をも生きています。そして、生きかたを貫いてきたぶん(と言わせてください)、ビンボーです。志が燃え尽きることはないとしても…ともに歩み、バトンを引き継ぐ人材がなんとしても必要なのです。

 そのためには、自死に…そして、根源的な弱さという課題に、向き合うことそのものが、自殺のポストベンション…再発防止、というきわめて重要な、避けられない人生の営みだという明確な意識が育たなければならないでしょう。
 性的少数派に限れば、ゲイで通常の6倍、レズビアンで3倍の自殺率と言われます。あいついで、若者の悲報も耳にします。
 また、自死遺族…おそらく同一家族を意味するはず…の再発率は3倍と言われていて、家族の枠をとっぱらったとしたら、10倍以上という考えられない数値が出てくるだろうと、悲しいことながら確信するに至っています。
 親友、恋人、クラスメート、サークルの仲間、同僚後輩先輩、精神科をはじめとする医師や相談員のクライアント、などにノコサレタという突然の衝撃に、向き合えないまま苦悩を閉じ込めている人、人、人…。苦しみの連鎖ははかりしれません。
 つけ加えれば、私は各地の自死遺族(まれに家族限定ではないところも)の分かち合いに出る度、その会の雰囲気をキャッチしては、原因不明の息子や娘の自死者に、性的少数派が含まれているかもしれない事実を、おのずと語りかけます。かえってくるのが、たとえ言い知れぬ沈黙であれ、うちの子に限って、という拒否感であれ…。
 地元フクイに目を向ければ、99パーセントの人々が、いまだ脈々と引き継がれる家社会と、井の中の蛙とも言うべき幻の上昇志向を享受し、そこからこぼれた人々が、老いてなお、次々とみずから生の現場を撤退し、死に至る現実があります。
 地方と性的少数派、という二つの要素が複雑にからみあって、地方でも都会でも、コトはますます深刻化していると言わざるを得ません。

 にぎやかにパレードを虹色で満たし、一同に会して、それを年一回祝し、笑顔あふれるお互いを確かめあうのも必要不可欠のことだ、とこころから思います。
 とはいえ、その笑顔とうらはらの向こう側の現実にこそ、私はこれからも思いを馳せ、ささやかでも力を尽くしつづけたいと、こころしています。

 私のはずせないアイデンティティ。
 それは、レズビアンマザーで、「自閉症」の診断にも至った、、才能と生きづらさを不可分に持ち合わせた娘「うたうたい のえ」を7年前に、自死でうしなったという事実。
 私はそこに立ちつづけます。
 いまの私を、私たらしめた全ては、その事実にこそ発しているから…。

 生と死をもやさしく包む、人生への深く大きなまなざし…、その果てしない道のりのさなかからの、発信です。

  2015年10月11日    Sotto虹主宰  米谷恵子
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| 自死を語るタブーを考える | 20:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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