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敬虔で神聖なる日には、どんな「雑音」も要らない!!

敬虔で神聖なる日には、どんな「雑音」も要らない!!

「その日」から二日たった。私は、自死遺族八年生と二日目。否、遺族は既存の家族を形成しない、形成できない人たちを疎外する表現だから、自死でノコサレテ八年生と二日目。ないしは、自死のサバイバー歴、八年と二日目。

ある「分かち合いの会」で、そういう表現を黙って聞いていた頃がある。いまは、ここまで時間がたってもなお、何年生になったのかをたどらざるをえない必然性のようなものが、よく判る。
ただ、一人一人の年月は同じような過程をたどらないことが多いのが、自死を包囲する沈黙と無関心の壁の現実ゆえに、八年生だからうんぬんかんぬん、という普遍化は禁物だ。
 ただ、かみしめるしかない年月がそこにある。ノコサレテモ経つ年月がそこにある。
 それをかみしめる以外にない、そんな私たちがいる。

 「その日」。夕方までの時間を英子と静かに過ごした。その刻には手を合わせて祈った。
 ふっと、のえに寄せる、友人や音楽仲間の声を伝えたくなって、あの直後の、のえのブログの掲示板をプリントアウトしたのを読み始めた。そもそも疲れてもいたのだろうが、なにかぐぐぐっと来てしまった。
 私はあっけなくも、横になって目を閉じた。
 その掲示板のなかには、「のえの死」を値踏みするようなある人の表現があった。それは、あまりに苦悩をあらわにする、当時の「親友」の書き込みに対して、「みんな冷静になって、ご飯を食べよう、よく寝よう」と「大人」の書き込みがあったのに対して、書かれた「値踏み」だった。あたかも、ノコサレタ私たちが悩む必要なんてないんだよ、と言いたげに。
 その毒気に当たったのかもしれない。

 うとうとしていると、玄関口にある人が立った。車のエンジン音でそうだろうと思っていた人だった。「その日」にもたらされた贈り物。立ち去ろうとしているので、ルームまで通した。ふっと、のえの音楽コレクションのほうをかいま見る様子があった。手を合わせてしばらくいた。それから、遺影に関して、少しトンチンカンな言葉があった。やっと応対していた私はさっと会話を終わらせた。後味が悪いというほどではないが、良くもなかった。ああ、この人の家の秘密とこれから、どうしていくのだろう、かすかにかすめた。精一杯の思いも伝わった。

 その日には、二通の携帯メールが来た。
 超KYメールさんからの返信。「私もつながっていきたいと思います。」英子が高らかに笑った。「その、も、間違っているって判んないんだね」「判るわけないよ。人の表現にかぶせて、依存して…」と私。この人からのメールのずれかたは、大声で笑うしかない。それでも、四十代半ばとは、ものすごいことである。まだまだ変われる人だろうに。
 もう一通、「自閉症裁判」を購入した、という人からの、私の「アドバイス」を受けての、これもまた短いメール。即購入実行の速さは時には必要だろうが、この人が「自閉症」のなにを判っているかは、かなり疑問だった。ただ、なんらかの必然性は本人が気付いてか気付かないでか、あったのかもしれない。犯罪、というものへのアプローチにおいては。

 ともあれ、私は静かに迎えたその日の晩に、急に疲れを覚えて、「もう寝る」となった。
 次の瞬間、しかし、となった。のえの歌を聴こう、聴いていないじゃないか。それはまずい、それはいけない、それはしたいことだった。まず、のえのある日のライブを聴いた。
 そんなこんなで、LPレコードを物色しているうちに、「あったあ」とニーナ・シモンのヒアカムズザサンが冒頭にある古いレコード盤を見つけた。ニーナの写真もきわめて若い。2010年の三月のあの日の「のえルーム」以来の、ニーナの声が、私と英子の前でとどろいた。とどろいたとしか言いようのない声。包み込みながらも突き抜けていく声。
 このレコードをかわぎりに、私と英子は、あたかもジャズ喫茶にいるかのような二時間ほどをさまよった。のえという森に分け入るようにして。トム・ウェイツのでっかいふところを感じてほだされたり、森田童子に赤面しそうなほど恥ずかしくなったり。

 夜も更けて、寝ようとして、英子がアップしたフェイスブックに、「二人はそうやって素敵な夜を過ごすのね」といった書き込みがあるのに気づいた。
 ここからの私にとっての体験を記すのは忍びない。素敵…無神経に尽きた。 そうっと、心穏やかに、静かに紡いだ、敬虔な時間を踏みにじられるような言動だった。
 翌日、そう昨日のことだが、書き込んだ本人は謝ってきた。ただし、負け惜しみのように「SOTTO虹のリーフレットを数回読んで」の私の書き込みを、イヤミを書かれたと結んであった。私なりに大切なやりとりを繰り返したが、かなり心は砕けかけていた。
 ともあれ、「娘の命日にイヤミを人に言うほど堕ちてはいません」と結んだ。
 書き込みのご本人は、「のえさんが亡くなった娘さんだと知らなかった」と詫びていた。
 私は、お詫びとしてやむなかったとはいえ、「亡くなった娘さん」と記されたことに抵抗が少しずつ大きくなることを感じた。
 確かに、英子がニーナ・シモンの若い写真のジャケットを挙げたフェイスブックの書き込みだけでは、「のえ」が誰であるか判らない人もいよう。
 しかしだ。この人は、あのリーフレットを近くの県に持って行ってくれた人だ。

 要するに、そこには三人称の死が、三人称の喪失があるだけだったのである。
 「のえは自由だった」。英子はニーナのジャケットとともに、アップ時の文面を結んでいる。自由な才能あふれるミュージシャンが、フェイスブック上で、なんらかの余韻を残しながら、なにをか言っている人の、娘であることを、この人は感じ取る暇も、精神的な余裕も、想像力の行使もなく、その書き込みをしたのである。

 今朝のブランチでは、英子とフェイスブックをめぐって、ひとしきり議論。相当やりあった。
 まっとうな想像力と社会性、コミュニケーション力を小出しにしたり、遊んだりもしたりしながら、フェイスブックの画面を「創造する力」のある日本人を、私はほとんど見たことがない。話題の中心は、まずは食、あとは、まことにくだらない、本当にくだらないイベントの数々。知りたくもないことのほうが多い。少なくとも私には…。頭に、心にカビが生えそうだ。

 そして、もっとも危険なのは、人と人とがつながらない前提のもとに繰り広げられる外交辞令と美辞麗句。つまりは、結局、人を押しつぶすやりとりの数々だ。意識的であれ、無自覚であれ…それは変わらない。

 そうして、思う。
 神聖なる日には、どんな訪問も、どんなメールも、そしてどんなコメントも要らない、と。
 のえをよく知る、のえをこころから悼む、友人や音楽仲間とのやりとりだけは別で、ともにあるいとしさが光り、溢れる。

 そうでない人との個々のつながりは、いくらでも別の日に維持できる。
 せめて、あの衝撃の日が、七年をかけて、少しずつ穏やかに醸成されてきたその深淵へと、思いをはせられない人には、黙っていてほしい。
 ふだんは、黙らないことを選んでいる、この私でも、静かに、穏やかに、しんしんと自分と、のえの声と、英子の寄り添う声だけに、向き合う時間が年に一日はあってもいいじゃないか、と。
 それすらも、突然砕かれる。

 フェイスブックに書き込む人の半分は、自分が無神経だと知らない人たちだ、というのが、二人で話した今日のブランチの結論である。
 そして、「いいね」の半分は、おそらく信用ならないね、とも。むろん、「いいね」を百も二百ものうのうと受けている人たちは、きわめつきの偽善者だろうね、と。
 まあ、偽善だって判っていれば、まだいいけれどね、と。

 そして、このSOTTO虹、のページは、そもそもずいぶんと性質の違うものだと、多くの人が意識はしていてほしいと願いつつ。

  2015年10月7日  午後3時半  
       米谷恵子(文責・責任は取りませんが一応)
追伸 こころあたりあっても、謝らないでね。次へ進みたいんだ   から。
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