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Sotto虹あゆみあい塾特別イベント篇《当事者ってそもそもなんだ?》の場に立ちあらわれた、人と人のあいだに息づく始まり…東京レインボーウィークの最果て?の催しの大切な報告でーす

Sotto虹あゆみあい塾特別イベント篇《当事者ってそもそもなんだ?》の場に立ちあらわれた、人と人のあいだに息づく始まり…東京レインボーウィークの最果て?の催しの大切な報告でーす


ずっと書けなかった。参加者のその後の反応なども折にふれて知った。

最初のライブでは、ひとりひとりが、自分の痛みも伴う核心的なことを、思わぬ吐露から溢れるおしゃべり、準備してきたスピーチなどといった具合に、様々に普段はあけない心の扉をあけるように、かなり「自分」を展開していた。
そんななかで、お互いの約束事として、個人が特定されるような「アウティング」を必ずや避けたいということもかわされた。「自分のなかに落とし込んでから、自分の言葉にして人に伝える」という点をヒデコが念を押すように伝えた経緯もあった。

だから、一人一人が感じたりつかんだことは個人的にメールで届いたり、ネット上で抽象化した自分への問いかけ、確認、自戒となって表れているのを垣間見たりしていた。

それにしても、あのライブ。圧巻だった。

一番手、遠方からはるばる参加したその人は、自分のきつい部分から目をそらさず、芯から、それに具体的に単刀直入に、それでいて悲哀にすらユーモアまで滲ませて語り抜いた。やったね。木魚や太鼓の合いの手も、ここぞという語りの落としどころに反応して思わず力が入る。
やっぱりライブ。自然発生的な…。
二番手、淡々と穏やかに、自らの来し方を、人生の矛盾とともに語る。合いの手の太鼓やら入れば、「それやめてくれませんか」と苦笑い。他の人は、打ち合わせで要らないなら言っておいて、と話していたが、その時、席を外していたのだった。
三番手、よくぞ語ったね。そこから入るんだ、という直球。でなければ始められない、始まらない自分と向き合ったんだね。それは、私たち二人との出逢い直しをも意味した。長い長い3年の触れあいをへて、ついに行き着いた自身の当事者性を、自らの端的な言葉で心して語る姿があった。場合によっては、当事者性に行き着きにくい、かけがえのない発見と気づきが、その場の人々の耳にくっきりと届いた瞬間だった。
四番手、結構おしゃべり好き、と同時に謙虚でもある。とんでもない告白まで愉快に飛び出したりしつつ、自分の当事者性を自覚的に語る。

ここいらで、すでに時間はかなりオーバーしていた。誰のライブも、とても腰を折るような真似はできないおもみがあった。私は自分の出番はオミットした。

五番手、やはり遠方から来た人。どういうふうに時に無神経になったり、気づかなかったりする自分がいやなのか、を来歴とともに話す。深い葛藤が垣間見えるが、語りはやや控えめだ。
六番手、届いていた重要なメッセージをヒデコの朗読と私のささやかなピアノでセッション。大切な人の「自死」という喪失の痛手を語れずにきた、長い時間とともにある苦悩の大きさが、幾つかの社会的に困難な側面から語られる。ぐっと皆のなかに染みて、ずきんとした、という声もあとで届いた。
七番手、家族のなかの「番付」で、どんなふうな生き方を強いられ、そこからどう脱出したか、「おんな」として型にはまらない、進行形の生きる姿勢が語られる。ふたつ返事でライブ参加まで行き着いた人の語りは、さわやか、かつ毅然としている。

八番手、最後はヒデコだ。前の晩から言っていた。「いつも自分の気持ちなんか、語れないんだよ。」そうぼやく彼女に、「言っちゃいないよ」と肩を押す。肩を押すったって、その内容は、本当は肩を押しにくい内容でもある。私と40年来のパートナーであること、そして、娘を亡くしたこと、そして…。その果てに、語りにくい、語ってもまずほとんどの人に届かないから、伝える気にすら、なかなかならないヒデコの一番の苦悩…。ペルーの仮面をつけてこそ、このとき、彼女だってようやく、わずかでも語れたのだ。

お茶とお菓子でくつろぎながら、三々五々、紙をまわして、私から「初めて知ったこと、気づいたこと」などの記入を求める。それをどう分かち合ったかはここには書かない。そこにいなければ、とても伝えられないような、熱心かつ誠意に満ちた、ひとりひとりの集中があってこその時間の流れだった。

書かれた内容に、やんわりとつっこみを入れる。また誰かがそれをフォローするような受け答えがあったりもする。誰も傷つけない、ひとりひとりの違いを尊重しながら、結んだ「信頼の場」がそこにはひととき現れていた。

ライブに重きをおき、時間もかなり費やしたので、ワークショップ的語り合いは少し短めだったが、聞いただけだった何人かの気づきや実感は、念を押すように、あえてライブ参加者より丁寧に訊いた。聞きっぱなしになれば、どうしても「出した側」にとって、つらいところが残るからだ。

あとから、メールやネット上でいくつかの言葉を垣間見ている。意味を拾って、私の言葉で書くことをお許し願いたい。

「止まらなかった足の震え。話すことで、自分がどれだけその感情を押し込めているのか、来たのか、思い知った。」
「ある当事者だけで集まっていると、そこに当事者ムラみたいなものができることがある。全く違う他者を知るということは、とても大きなことのような気がする。」
「マイノリティってジャンル分けが、そもそもいやなんだ。」
「当事者性というのは、まさに今そこに、こうやって立ち上がってくるものなんだな、と。」
「帰宅してもっと聞きたい、もっと話したい気持ちが出てきた。」
「知らない差別や痛みがたくさんあることに気づいた。」
「社会から当たり前のように自分が受けていた痛みが知られていないという気づき。」

私のその日の「企画・進行」という役割へのねぎらいの言葉もありがたかった。
「フォローが思いやりに溢れていて、安心して聴くこと、話すことができました。」
「ケイコさんの人を見る目と集中力。」

そうそう、忘れてはならないなあ。ライブの最後に飛び入りがあったんだ。
一分くれますか、というので、三分、ということで、語ってくれた人。
出したい自分がにょきっと顔を出したのだとしたら皆の語りの力、場の持つ力あってこそ。

こんな感想も嬉しかった。
「のえさんの話も。思い出すと笑ってしまう、エピソードが愉しかった。」
そうか、そうか、結構、のえの事もそんなふうに語れるようになっているんだな、
そう思うと少し胸が熱くなる。ありがとう、皆さん、そして、のえ。

私はオープニングにあたって、「慎重に、大胆に」と場作りへの気持ちを語った。
いやはや、皆さん、自分にはかなりというか、すごく大胆な人もいたよね。
そして、他者には、皆さん、ずいぶんと優しく慎重だったよね。
いや、どちらに対しても、とも言えるけれど。

はるばる来て、新しく増刷したリーフレットを千枚以上、折って帰ってくれて、ありがとう。
キーボードの手配もありがとう。お菓子やら差し入れもありがとう。
用意に、打ち合わせに、早くから皆でできたことも嬉しかった。まさにすべてが参加型。

お寺の大事なお仕事とかさなりながらも、気持ちよく、「奥の間」を会所として提供してくださった専光寺さんのお二人、ありがとう。

そして、恥ずかしながらも、私のつたない歌とピアノを聴いてくれた皆さん、ありがとう。
進行しながらだし、慣れないキーボードだったから、ほとんど練習をかさねた甲斐はなかったようだけど、それでも、あれなしに私は始められなかった。

朝になると……♪♪うたってる…♪…朝になると…空を飛ぶ♪♪

《Living with memory Lounge No1》の報告です。

2015年5月18日未明・午前3時半
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