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トーキョーのパレードと統一地方選挙の結果を横目に、SOTTO虹のリーフレットの発送作業を二人で…私たちは孤独じゃないさ

トーキョーのパレードと統一地方選挙の結果を横目に、リーフレットの発送作業を二人で…私たちは孤独じゃないさ

なんだか、トーキョーが別の国かなにかみたいに感じるようになってどのくらいたつだろう。
世田谷区長選の結果など見ていると、わが世田谷、という意識がかすかに働く。意識のありよう、人との関わり、どれもみな、ここフクイとは違って、全て「洗練」されているような山の手の感覚。そして、その区にはトランスジェンダーの区議会議員もいる。


かたや、今までにないという盛り上がりだという、トーキョーのLGBTのパレード。フェイスブックを通して、知っている顔もあれば、知らない顔かおかおの楽しげなレインボーカラーの街と人の広がりが、満面の笑顔とともにある。

それでも、私には遠い。
距離が遠いというより、どこか限りなく遠い。

この中に、亡き人、亡き仲間のことを抱きしめながら、パレードを歩いた人は一体どのくらいいることだろうか。

2011年と2012年の、あの番組を通して起きた、娘の、のえの生と死を「さらした」あの「のえルーム」への思考停止、無視、沈黙を私は死ぬまで忘れることはないだろう。そのことをしっかりと心から共有できるLGBTが、少なくとも日本全国に20人でも現れない限り、私はパレードを見ても、心地よく思えることはないと確信できる、確信できる悲しみが湧き上がる。

断っておくが、それは、のえを亡くした喪失感とは異質の、そういった悲しみ、喪失、そして「自死に向き合う」という営みの、大きくも深くもある人生のあゆみを、けっして誰も、誰からも、誰にも侵せないという認識と判断と意志というようなものを共有できない悲しみなのである。。

ああ、フクイの敦賀市で頑張った今大地さんが出ている。仮処分の裁判では嶺南で一人だけの原告だった。ヒデコは2回、選挙戦中に顔出しして、できることをしたりもしている。もはや、仲間友人かな。

そして、私たちは、今日にいたって、はじめて、そっと虹のリーフレットの発送作業に手をつけ始めている。
このリーフレットを渡したり、設置したりする困難さ、というものが、時に徒労感やむなしさを招くこともある。

その一方で、大手を広げて、店のいちばん見えるところに置いてくれるといった、芯からあたたかい対応を受けることもある。

そんなこんなの果てに、つぎのイベントの5月5日まで一週間を切った今日という日に、私とヒデコは発送作業を二人してしている。63歳と67歳の二人が、亡き人と共に、私たちの歴史があることをけっして忘れないような作業に励む。

ふっと、つきあげるおののき。震え。悔しさ。
なんだなんだ、やるんだやるんだという体中からのあつさ。
魂の、心の、からだの奥深くから、
それでいいんだと語りかける声がする。

トーキョーからはるか遠く離れて。
パレードから遠く離れて。
世田谷からも、渋谷からも遠く離れて。

私とヒデコは、手紙を書く。
リーフレットを折る。数える。
どうか、一枚一枚の一字一句が誰かの命を、
芯からつなぎますようにと祈りをこめて。

パレードの誰もやらなくとも、私たちはやる。

生きづらさと喜怒哀楽の温度差のただなかで、
生きる術がなくならない道づくりを、
私たちなりにする。

先駆者はこうやっていつも、
孤独に道作りをしてきたのだ。
いや、二人だからけっして孤独ではない。
まるで高校生二人の活動家の姿だなー。

そう、私たちは孤独ではない。
のえの声がそっと囁く。

当事者ってさあ、
みんながそうじゃないのかなあー♫♫

ケイコ
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