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2日間の結果的「自主企画」スタディツアーとDJのピンチヒッターの隙間を吹く風(翌日加筆)

コメント欄に素直な思いの書き込み歓

興味深く? 読んだ証しの拍手も歓迎


タイトルの末尾は「隙間を吹く風」。

でも、この日々と並行して、それこそ、その前日の福井市行きから、
風ならぬ、ヒデコの風邪は長引いて、いまだにつらがっています。
本当に今まで動きに動いてきたのだと思います。
孫が帰った日に陶芸教室、そしてそのまま住職と私が話して帰宅深夜。
その頃から、彼女は限界だったんだとあらためて思います。
何もかも、ついでに済ましてしまおう、という、
時間的空間的ビンボー根性は捨てないと、私たち二人の心身は、
いや、ヒデコの心身はもはや持たないのかも。

で、昨日だって夜遅く帰宅早々、山の洗い物をしたりご飯を作ったり、
皆様にメールで「やさしくしなくちゃ」と書いたので、
「やさしくして」コールが五人からありましたしね。

今朝は今朝で、ぎりぎりまで判断を伸ばすと言っていたDJをすでに断ったあと、
ゲストも決まっているし、ヒデコちゃんがそこそこ最低限出るのを埋めるくらいなら、
とも思っていたので、いっそ私がやりきろうとピンチヒッターを決めました。
間もなく、1月13日1時15分から2時半まで再放送、
それから日曜日18日は、午後二時半からまた再放送、
四曲のラテンアメリカの曲とともに、キーワードは「旅」と「森」。
まあ人生を託した言葉です。
後半は大サービスといつも本番でリハーサルの朗読二つもありますよー。


前置き長くなったなあ。

風邪のヒデコは今寝ようとしていて、私はなんとも言えないすきま風を、
それもこころに吹くすきま風を相手になにやら書きつけようとしています。

おととい、神戸、アートビレッジシアター。
映画「わたしたちに許された特別な時間の終わり」。

昨日は、朝早く神戸を出て大阪の北の千里中央で、
あゆみあいネットがしたエンカウンターグループの形で持たれた、
「自死を語り合い聞き合う場」というのに、
午前十時前から夕方5時まで参加しました。

神戸では、監督のトークも聞けたし、終了後の語り合いの場にも参加しました。
それなり以上に話せました。実りやら発見もありました。
大阪の北では、本来のファシリテーターのあるべき姿を見たような、
そんな気がするОさんの存在が大きかったようにも思います。
立場をこえて、このテーマを語り合い聴き合う場には欠かせない存在。
しかもこの課題ですから、一人一人の立場になって、
方向付けをいい意味で促す、けっしてそれ以上でもなく以下でもない、
というのはなかなか人間力もある種の技術も必要だなあとも思いました。
でも、このかんの、のえの本の執筆、その前段階の取材できたえたことと、
かなりかさなる事実に面白い発見もありました。
本の登場人物の誰もかもと等距離にはなれないけれど、
できる限り均衡を保つノンフィクションのありかたを探ってきたことと、
かさなる部分なども、若干43歳の…はっきり言って十歳は上に見える…
彼と、帰路も含めて偶然話せる結果になったのは良かったことでした。



しかしながら、良い成果もありながらも、
私の中では風が吹くのです。

さっき神戸の映画の監督と少し話して、
なんとも言えない感覚を味わったのも働いていると判っているつもりです。

と、ここまで記したら、珍しく私宛の電話あり、一時間、
この映画のことで話しました。
「わたしたちに許された…」は、
三人の若者たちの物語です。
途中でミュージシャンの一人が自死したために、
虚実ないまぜた造りをせざるをえない要素がつよくなったようにも見えます。

カラと今、話せたおかげでずいぶんとあの映画についての視点を確認できた気がします。
つまり…。
彼らが男の子三人のグループだったことはやむないとして、
やはり「男の子」の視点を離れられない、そんなことに集約する確認でした。

ヒデコがまだ見ていないのでネタバレにならないようにしなくちゃならないし、
何はともあれ、自死した親友のミュージシャンの映画を最後まで作り上げることを、
まっとうした、おそらくまだ二十代だろう監督に、
私は監督のトークの席で、まず「敬意」を表しました。
ねぎらうべきテーマを扱っていることをつよく意識したからです。
ただ、友達の立場だからこうなんだとか、
これができるんだ、と思うことはやや複雑というか微妙でした。

が、これ以上書くのはやめようかな。

監督を囲んだ語り合いには、
ある年配のミュージシャンがいて、
そのミュージシャンを素材にして書こうとしている、
かつて一度だけ会っている物書きの男の人もいて、
彼らが、真摯に「自死に向き合って」いる訳ではない様子に、
苛立ちました。これ最初の風かも。
映画の内容もあるけれど、表現されたものはテーマがテーマだから、
いろいろ言えることもあるけれど、とりあえず風にはなりません。

場をとっていた年配のミュージシャンを切り上げさせたのは私でした。
それから、監督が「仕上げる」という苦悩に向き合ったシーンにはもう一度、
敬意というか、だから敬意を表明できるんだということを告げました。

ところがです。
その態度のでかいミュージシャンの男性は、
「君が映画を撮っていたとかそういうせいでは全くないから、
そんなことを気にすることはないよー」みたいな感じで、
監督にどーんと言ったのは、私は「違う」と思いました。

「やむなかった」と至るまでに、彼だって作品完成の中で苦悩しています。
そこの部分を言わずして、どこからお前ものを言っているんだ、
そう思います。
でも、さっきの電話では、あの言い方は抵抗あったのでは、
という私の言い方に、「その辺は克服していますから」と返ってきて、
少しかみあわない感じ、
その上、あのミュージシャンにそう言われて嬉しかったとも言ったのです。
「嬉しい」気持ちも私は判るのです。
でもね。そんなのその人は忘れるよ。
彼がもっぱら場をとってのたまわっているのは、
どうも同じ年配のある芸人の自死のようでした。
でも、なんか違うんだな。
男はサー。向き合うのへたなこと多いよ。
ハッタリとか、弱みを見せないとか、色々「奴隷状態」だから大変なんだ。
これはカラがさっき言った言葉です。
映画の内容絡みなので今はここまでだけ書いておきます。


のえ亡き後の章立て数章を、一章にしぼった話は、
物書きという男は全くわからなかったね。
「亡くなってからが大事なんじゃないですか」。
ばっかやろう。
大事なことは大事だけれど、まだ世の中そこまで成熟していない、
単に字数の問題なんかじゃないんだよ。
それに、のえの生きた事実、その上での生き死に、
そこに込めればいいってことなんでわからないんだよー。

ミュージシャンはもっと無神経。というかおばかさん。
お、と、さん、をつけるのがもったいないような物言い。
「ところで、何を書かれているんですか」とのたまわった。
答えるのもバカバカしい、
人は一人で生まれる訳でも、たった一人で消えるだけではないことも、
彼は判っていないんだと確信しました。
「確かお母さんという人が、一体なにすんの」って発想ですよ。
まあ、まだあまり説明していない時だったけれど、
これ聞けて、世間の男の、しかもミュージシャンという危ない人たちの、
程度、レベルよくわかりました。
「お母さんっていうの、やめてくんないかな。
子どもたちも言わないし、誰のことか自分でも判らないし」
と私はばしっと待ったをかけた瞬間もありました。

それから、このミュージシャンの一人がたりになったときは、
やむなく、のえが新宿の路上ミュージシャンとして二番手だったことを、
きちんと伝えて、黙らせました。
私は、映画とかみあわせながら、のえのことも少し話しました。


さて、昨日のエンカウンターグループ。

こころに吹く風だけ書くにとどめますね。
ファシリテーターはなかなかの人だったし、
まあ謎もあったけれど、いろいろ最後まで話せたし、
それはそれ。

だけれど、不審な感じが残ったことがいくつかあります。

電話相談員という女性。
私が最初語りだしたとき、
「よく聞こえない」と何度か言いました。
語り始めは、私の声は低い。
低い声でなければ語れないこともある。
だから、椅子を近づけました。

それから、黙っている彼女にやがて私は、
私のことをそれだけ聞こうとしたあなたが気にかかる、
と言いました。
なぜ、相談員をしているか、私が次々と訪ねて、
彼女がある友人に相談にのってもらえて、
助けられた事実まで行き着きました。
そのさりげない詰め方がファシリテーターの目にとまったようでした。

昼休みに、「あれ、やってください」って言われましたから。

でも、この相談員の女性はほぼあとはしゃべらなかった。

国際ビーフレンダーズのことで、私が語ったことが、
「そこまで言ったらデフォルメだ」と言った。
その理由を聞いたけれど、これは私語で終わり、
答えは答えになっていなかった。
昨夜、帰って西原由記子さんの本で確認したくらいです。

なにか、私に敵意ほとではないけれど、
好感は最後までもってくれなかったと思います。

もうひとり、ファシリテーターがОさんだという理由だけで来たアラフォーの男性。
うむ、困りましたな。
「のえルーム」の意味あいなど説明したあとにまた説明させられた。
「のえ」ってなんですか、と言われた。何度か説明したあと。
「誰かキャッチしていませんか」に誰もキャッチしていないのか、
なぜか答えてくれなかった。
こういうの、繰り返すのはいやなんだな。
デリカシーないよなー、って表情をわずかに見せて、
突き放した答え方をしました。

それから、
午後になって、私以外に「自死」でノコサレタ立場の女性が二人いると判ったこと。
これもやや出し抜き。
午前中に一人一人の立場くらいは知っておきたかった。
自由にあるがままに話しあうったって、
人を「ああ、私だけがそういう立場なんだ」と不安にさせちゃあいけないじゃないか。
覚悟までしたんだぜ。


それからそれから。

父親に死なれた母親の取り扱いに困り果てている話と、
自死とは関わりないけれど、
エンカウンターが好きだから来たという高齢者のおばちゃんが、
自分がどれほど母親に人生を奪われたか話が続いたときはまいりました。

かなり腹はくくってましたよ。
なにしろ平たいエンカウンターの場。

でもね。高齢者のおばちゃんの垂れ流し的言動が限界にきて、
今日のこのグループについた
「自死について語り合い聴き合う」はどういうことなんですか。
家族のことばっかり言うことになっちゃいませんか。
三年前にお母さんが亡くなったから、母の問題はもういいといいながら、
じゃあどういうことなんですか。
私は壁際に撤退していましたが、そこからはっきりと物申しました。

それから、
このタイトルゆえに、特急料金をジパングではらって、
いくらいくらかけてエネルギーも使ってここまで来たんですよ、
とも言いました。

その高齢者のおばちゃん、そのあとにへっこんで、
ファシリテーターと私で最後の最後には、
介抱して、私は抱擁して、まあ立ち直っていただいたのですが。


この、私が「この会の目的は」とやや明確化を求めたとき、
「こうは言っていても、誰が自死とどう関わっているかわからないかもしれないし」
というファシリテーターの語りは、確かにそうだけれど、
私はあれはあれでそう言わずにはすまなかった。

母親問題ばかりに集中しているのも耐えられなかったから、
家族のことに集約ばかりしてー、とも言った。

これについて、
Оさんの作る場だから来たという男性は、
もう少し時間がたってから、
「じゃあ、どうして家族の問題ばっかりでは困るのか言ってくれなければ判らない。
問われるだけでは判りません。説明してくれなければ」
と言ったんですよ。
私はすかさず答えました。
「ええっ、問われることってないんですか。問われて考えることってないんですか」。

あとから思いました。
あああ、私、ずいぶん説明責任を負ってきたよなあって。
本を仕上げるプロセスでも、
この数年あまり、どれだけ説明に説明をかさねてきたか、
問いかけでは足りず、皆様、ゼロから説明しないと考えられない。

でも、これを言った男性はもしかしたら四十代半ばくらい。

終わってから言いました。彼にね。笑いながら。
「問いかけだけされるって経験を初めてした人に、私も初めて会いましたよ」。
痛烈な内心の「ばっかやろう」。


これで私の中の風はほぼ吹きすぎたと見なしてもいいかもしれません。

あとは、内容となって話され、消化されたり、
対象化されたり、吟味されたり、俎上にあがったりしたので、
それはそれでまた書ければ書きます。


最初に私が自戒して皆の前で言ったこと。
「今日は場を取らないようにしようと決心して来たんです。」

最初に私が皆に望んだこと。
「お願いですから、自死に向き合っている人間の語りを、
上から押しつぶしたり、かぶせたりする別の語りをとりあえず、
控えていただきたいと思います。もう語りたくなくなりますから」

前者は、ファシリテーターのたくみな「技術」と人間力みたいなもので、
私が迷路に踏み込みそうになると、
さりげない「待った」がかかりました。
けっしていやな感じではないのが不思議。
あれは身につけたいなあ。

でも、あのあとに私が言いたいことがすぐあったのに、
という数回も含まれています。

地元で自殺対策から締め出された一歩手前の体験しか話せなかった。
もう一つなんかあったけな。

そうだ、もうひとつは、
大学の講演とか、トークショーのときに、
性的少数派の課題とセットでする時間のなさ、
それから講演後の質疑や、お茶の時間で出た、
「ねぎらわれる」のと反対の疲れ果て、
ときに傷つけられる対応について、
まったく話せなかったんだっけ。

それから、
家族フォビアのこと、後半私は性的少数派が奪われているものがある前提で、
話したのですが、
長居の野宿者のテント村の仲間だった若い連中の中で、
「のえルーム」に反対する人たちがいたという意味が伝わらなくて往生しました。

彼らは擬似家族を絶対化したかった。

例の男の人は言いました。明瞭でいいけれど、それでもそうは言われたくないこと。
「つまり、親として皆さんから信用されていなかったんですね」。
「いいえ、彼らは親のすべて、既成の家族のすべてを否定していましたから」
この人、よほど、家族とのあつれきがないのかしらん、と、
ヒデコに話したら言っていました。

いっそニューヨークの野宿者のテント村だったら、
のえも認知の歪みをより激しくしないですんだかも、
という話もなかなか伝わらなかった。

そんなの当たり前でしょう。
野宿者のなかにもゲイもレズビアンも当たり前にいるんですから。

そう答えました。

ある種、小出しと言えば小出しだけれど、
ずいぶんと語ったと言えば語りましたね。

そして、今晩のところは、
良いことはさしおいて、心に残るやや冷たい風を吹き飛ばす作業を済ませました。


ケイコ

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| 自死へのタブーを見抜く | 00:30 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

ディケンズの孫!!そしてのえちゃんの蔵書にあった・・・いやー読んでみたい。東京の組織の歴史見たけど、社会の動静に呼応して相談を強化したり、取組の迅速さ真剣さが目を引いた。今はどうなんだろ。

| KAGE | 2015/01/14 23:58 | URL |

最初、「サマリタン」という名称で始まったの。チャールズ・ディケンズの孫のモニカ・ディケンズが、この活動に参加した体験を活かして小説にしている。その「サマリタン」が、のえの書棚にあったことを、私は西原さんに伝えそびれたの。
それにね。西原さんは私と誕生日が一緒。これも伝えそびれた。

大阪と東京の自殺防止センターはこの流れをくんではいるものの、今はかなり様変わりしたんじゃないかな。
創設者夫婦は亡くなられて、その「精神」がどう各地で受け継がれていくことか。

「リメンバーのえルーム」を復活、拡大、増築した暁には、
「サマリタン・リメンバーのえルーム」と命名するつもり。西原さんに許可を得るつもりだったけれど、もはやそういう人は存在しない。イギリスの創始団体も文句は言わないはず。むしろ、歓迎してくれそう。なんたって、のえの蔵書にあったんだから。

| ケイコ | 2015/01/14 22:59 | URL |

国際ビーフレンダーズという組織のことを知らなかったので調べて確認しました。

| KAGE | 2015/01/14 20:38 | URL |















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