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LGBTのことって、たったそれだけのものなの…と首をかしげた記憶再燃

新しいカテゴリーを作ろうかと思ってやめました。
LGBTって、六色の虹がシンボライズされているから、
虹色カミングアウトと、四年前の放送の時にあらたにつくったカテゴリーしか、
このブロクにはないのよね。

でも、もしかしたらLGBTって、「カミングアウト」というカテゴリーしかないほど、
いまだ認知されず、そこで当事者までもが汲々としているからなんだな、
と、このカテゴリー分けを見ながらも妙に納得してしまいました。

まあ、カミングアウトのみならない活動やら生活やら、
つまりは生きるということを我々はしている訳で、
それは、誰もがご飯を食べて寝て、というのと変わりはない訳で。

そこのところが、いつもどう引っかかってきたかが、
あらためて浮上するというか、思い出すきっかけが今日はありました。

ヒデコがひどい風邪をさしおいて、福井市まで会いにいった女の子、Lです。
微熱を押して、私が往復運転して、殊勝にも。

時間差をおいて、私も話に加わることにしていました。
ヒデコが一人で話したい、私が加わるとつい私の話題がすすんでしまう、
などなどで、取り計らったつもりでした。
ところが、私が小一時間を買い物につぶして、戻ると、
その子は、「弟二人を迎えに行かなければならないから」と
間もなく立ち上がったのです。
「カミング゛アウト」という映画を、
中学生と高校生の弟さんに見せるのを控えていた彼女。
それで実際、カミングアウトしようとしていた訳だと初めてその時聞いたのです。

ああ、それにしてもずっとずっと「カミングアウト」ばかりがこの周辺では、
どこまでいってもテーマなのかいな。えっ、えっ、えっ、と思います。
どいつもこいつも、映画も本も、「カムアウト」だの「カミングアウト」だの。
日本語のセンスないのかなあ。表現力はないのだけは確か。
それ以外に思いつかないってのが奇妙。

いっそ、
「アウティング」っていうほど、
チョー進んだ映画は現れないのかしら。
つまり、アウティングはマジョリティと思っている側がすることだから、
むしろ掘り下げられる面白さに満ちていると思わないんですかねえ。
そこで、私たちの噂話などしているあなたそなたこなたたちよ。
ええいっ。私たちのネタはいっぱいあるやろなあ。
あれもこれもそれも…。
「あうてぃんぐ」は「暴露」という意味合い。
ねっ、そうでしょ。


もろもろ、野暮用含めて、福井市くんだりまで出向いたのては、
明日あさっての正念場のつもりの、関西行があったにも関わらず
彼女に少しはきちんと話したい思いもあったからです。
笑って、楽しく、でもずけずけ、そういうのに耐えられる逞しさがある子だから、
話すのも楽しみにしていました。

完璧肩透かしでしたね。腹立ちました。
でも、本人一向に気にしていません。
私がLの若い子に会うなんて、よほどのことだとはご存知ない。
ほんとにもう。


あとでヒデコに聞いたこと。
「彼女はね。Lのことより、家族のことが課題なんだって」。
そりゃあ、外国籍半分の彼女、そういうことが大きいのはわかる気がします。

でも、既視感のある言い方だなあ、と思っているうちに、
今までいくつか言われて不審に思っていたことと重なっていきました。

あるゲイの若い子が、
カラのあの番組での「親が認められれば子が認められる」という語りを、
全く聞き違えて、文章化したことがありました。
カラは、親としてのLマザーの権利が認められれば、
Lマザーとしての子の権利も認められる。そういう次元の話をしました。
みんなそう見たよねー。わかったよねー。

ところがですよ。言うべくもないから今まで言わなかったんだけど、
よりによって性的少数派当事者であるゲイの男の子が、
「母親を大事にしようとして、自分たちがどれだけ苦労してきたか」
という、彼の姉とよく話すという自分たち個別の体験と全く同じものとして、
このカラの命がけの、Lマザーの子としての語りを歪曲してしまったのです。
つまり、「カラさんはお母さんのせいで苦労したんだね」と、
ゲイのですよ、ゲイの男の子がコラムに、
それも性的少数派を啓蒙をする冊子に書いてしまったのです。
それはおかしいのではないか、と言った私たちには、
毎月送られてきたその冊子は以後届かなくなりました。
別のLの女性が出していたものですが…。
二人ともに、ヒデコの良いお客さんでしたが現れなくなりました。

全く別の話ですが、
妙に思った似たような言動を挙げます。
列挙できるほど。

「あのベロ亭さんの番組は、LGBTだけではなく、
人が生きるということとか、生活のこととか、表現することとか、
子どものこととか、いろいろと描かれていて…」。
そのとき、違和感をものすごく持った訳ではありません。
なんで、当たり前のことをこんなふうに言うのかなあという、
ぽつりと点みたいな「不思議」感はありましたね。

でも、今や、それはぽつりとした点どころか、
LGBT全体への奇妙な、そしてかなり致命的な私の視点として定まってきています。

もうひとつ。
「あの番組の後半には、ご家族のことが描かれていましたね。
感銘を受けました。」
これ自体も抵抗があった訳ではないけれど、
じわじわやはり効きました。
つまり、ご家族というとき、これはLGBTではない、
ということを、LGBTの皆様、言ってらっしゃるんですね。
それに、「のえ」さんはLでもBでもないらしいので、
とりあえず、生きていようと死んでいようと、
LGBTの問題ではないということになってしまうのです。
少なくともあの放送の当時には。
そして、今もほとんどの当事者のあいだではそうでしょう。

それに、こんな噂すら聞こえてきました。
「少し前の世代のLマザーは、
ご自分の道を間違えて、つまり間違って子どもを生んだ人たちで…」。

ええい。いい加減にせいや。
人の人生、そういういちゃもんのつけかたはないやろう。
「間違って十代にはLをやって、いずれ大きくなって男の人を好きになるでしょう」
と一時期、同性愛が青春期の避けられない衝動みたいに語られたのを、
逆にしたみたいな言動であり、まああまり言いたかないけれど、
逆差別の匂いがぷんぷんとたちこめます。
それをYouTubeにあげていたご本人は、
それをヒデコが本人の前で「抗議」した際に、
おとぼけになったそうです。
「あら、そんなこと私、言ったかしら」。
まるで、どこかの政治家みたいですよ。
いえ、もうどこかの政治家なのでしょう。

この発言は、子どもの人権侵害にも当たります。
「あなた、間違って親に作られたんじゃないって保証書出せますか」
って私は言いたいよ。
天皇家だって出せないよ。天皇家こそ出せない?
それとも、「家族計画」などたてて、
子ども作成計画立てるのが正しい出産、なんてまさかね。

私の正しい出産は、婚姻制度にもくみせず、
誰のものでもない、人を生み出すという営みとも言えるかも。
正しい、なんて言いたくはないですよー。
でも、間違ってって言われた以上は言いますよー。

まだあるんです。

山のようにあるんです。

「あの人たちは子どもがいるからLの訳ないよね」。
これは素朴な山里の人から出た言葉。キャラバン中の福島県内でのことでした。
大昔、L仲間から子どもがいるから嫌われたり、
子ども好きのLが子どもたちに慕われたり、そんな歴史もあります。

そして、結局、
LGBTとは、生活を持たないこと、つまり生きていて生きていないようなこと、
つまりおままごとのような生活のこと
を指すようになって久しいのではないかと思われてなりません。

今日、私にスカを食らわせたLの若い子は、
弟さんのことも自分がLであることも、すべて自分ごとにしたらいいだけです。
それがL自身である自分自身であるはずです。

生活まるごとにLやGやBやTがあるとき、
「それはご家族のこと」とか、「LGBT以外のことが描かれていた」
なんて陳腐な表現にはなりえません。
そして、「のえ」の生き死にへの無視もシカトもありえなかったでしょう。

つまり、いまだ日本の性的少数派は、
普通に生活することすら奪われているという、自覚にすら至っていない、
自覚にすら至っていないから、人を傷つけても、
痛くもかゆくもないほど、間違った不遜さを身につけている。
間違ったをお返しするわけではないけれど、まあ、
そういうことです。

昔は、可愛かったLの女の子も今や、
政治合戦。すごいですよね。いやはや、別世界。
権力逃走。
派閥争い。
そのついでにベロ亭つぶし。
それも暗黙の、五里霧中にした上での兵糧攻め。


ある議員だったLの女性に聞いたことがあります。
同僚? の年配の議員にご飯を食べていたら、
「Lでもご飯を食べるんだねえ」と言われたという話です。

でも、これは異性愛者の側の問題とは限りません。

子どもを持ったり、育てたり、
はては子どもに障害が現れたり、
子どもを亡くしたりという人生が、
LにもBにもGにもTにもやってくる、という、
悔しいことに異性愛者のほとんどには「保証」されていることを、
奪われたり、望まなくなったりしているからこそ、
こういう表現で、まるごとの人生をしている、
私たちを侮蔑するのです。
見ようともしないのです。

あるTの若者はある日までとても良い感じでした。
その二日後、彼の態度が豹変しました。
「あんな番組。緑なんかいっぱい出てきちゃって。
保守層ねらいなんだー」って。

家族らしきものが映るだけで保守層ねらい?
まあね。
今村ディレクターは「家族特化番組」をつくったのは確かです。
家族の枠をはみ出るほどに様々に動いてきた、
それなりにマイナーな世界では名だたるベロ亭を無名化して。

だとしても、Lがつくった家族なんだよん。
それに、前代未聞な「自死」という事実に向き合う姿まで裸になって見せたんだよ。
それが「保守層狙い」とは恐ろしい発言というか、
魔が差したのかもしれないとしても、けっして言えないはずの類いのことでした。
つまり、「自死」が今の日本でどう扱わているか知っていたなら。

ましてや、その同じ若者が直後に、
「LGBTの自殺対策」を巡ってシンポジウムを持つと判ったときの、
衝撃たるや、それはもう足元がぐらつくほどで…。
冷静にその後、対処したものの、「魔が差して」「保守層狙い」などとのたまう、
そういう人には、少なくともその時点では私の思いは届くはずもない、
そういうテーマの深さ大きさではありました。

まあ、自殺対策と自死でノコサレル側の問題のあいだの、
深くて暗い川についてはじっくりこれ以降語りましょう。
機会をつくってね。

深くて暗い川にしているのは、
言うまでもなく正義のみはたの「自殺対策」の側です。
これを克服してともに歩んでいる人もむろんいます。
まだまだ少しずつですけれどね。


先日、新宿二丁目であるシビアな活動を、
あのてこのてで面白く展開しているNPOの女性代表が、
こう言ってくれました。
「ベロ亭のお二人は進みすぎているから、
みんなとてもついてこれないのね。」

おそらくそうなのでしょう。

私たちにとっては、生きることまるごと、
悩むこと、笑うこと、子どもに悪態ついたり、救われたり、
天国に祈ったり、すべてがLとともにあるなんて、
誰も思わないみたいなのですよね。
Lであることなど忘れていてもそういうことなのです。
忙しすぎたら、そんなこと思う暇もなかったりもしつつね。
こういうことすべてが、まだまだ驚きの世界なのですよね。


そして、私たちからなにものかを「つかもう」という人より、
私たちをゴミ捨て箱に捨てる心意気高い当事者のなんと多いこと。

「ご苦労なさったのですねえ」という過去形の表現は、
今は良い時代になったという、きわめて危険な錯覚に基づいています。

誰もがいまだに苦労しているんじゃないですかあ。
じゃなきゃ、こんなに死なないよ。自分から死んでいかないよ。

私たちもだけれど、若い人も中年も、少数派であれなんであれ。

人を博物館やゴミ捨て箱に入れる物言いはお控えなすって。
頼むデー。

余計だから、異性愛者のこういう物言いはとりわけ鳥肌が立ちます。
「何も変わらないじゃないですか。自信をもってください。」
おいおい、馬鹿にする気? あなた、ところで何に自信もっているの? と訊きたくなります。
これ、前の市長が言った言葉です。

一方、こういう言葉には煌きを感じます。
「異性愛者同士のカップルにはなかなか見られない、
対等な人間対人間の姿を見て、感動に打たれた。」

でも、これとても、その感動、
浪費しちゃったのよねー。
忘れちゃったのよねー。
ほとんどの視聴者さん。

ああ、こんなあったりまえなこと書くのは切ないな。

今日のLの女の子は「大阪に三年間修行」に行くそうな。
カッコつけてるんだろうな。
外国籍のぶん、ハッタリが良くも悪くも身についている。
いや、単なる思いつきかな。

三年間か三日間か三ヶ月かは知らないけれど
せめて「アジア女性プロジェクト」なんかを紹介できるといいなあ、と、
ついに私は怒りの鞘をおさめて、彼女を思っていました。

幼児期までアジア育ちというのは、
あの国では、あの国の貧しさでは、なかなか生きるだけでめいっぱいで、
あんなにたくましいのに、なんだかLGBTのノウハウでも身につけなきゃー、
と日本のムーブントもどきの罠に陥ってしまったんですね。
たとえ、ハッタリだとしても。

それを思うとかの国の人々にも日本語を教えてきた私は、
切ないのです。
Lだけじゃあないんだぜ。
あなたが「家族が大事」というときには、
それはあなたのアイデンティティに日本の外の血が流れているからなんだよ。
それもこれも含めて、まるごとのあなたなんだよ。

それはとっても大切。
それは、あなたの痛みも苦悩も深く深く埋もれさせるほど、
あなたをたくましくしたものなのだと想像できるだけに。

他人のも自分のも痛みなんて知らない、判らないってヒデコに言ったんだってね。
ヒデコが「そんなの奥の奥に埋もれさせて、気づかなくなってるんだ」
と言うと、真顔になったって聞いているよ。

大阪なんかで学べることは少ないよ。
大間違いを一旦身につけて気づくことは大きいけれど
その代償と犠牲は大きいんだよ。
それでも、好きで行くならいけばいいよ。

でも、「ベロ亭」だって、かなりなことは学べるよ。
ましてLなら。
まして日本人百パーセントではないならなおのこと。

私たちの価値もおもみも見えてはいない、
可愛い人に、私は今日、腹を立てました。
そして、最後にはこうして抱きしめてもいるのです。

生きることすべてが、Lでもある。
Lであることのすべてが生きることでもない。
そんなことが、どうしていまだ、
だれも判っちゃいないんだ。

ブラックレインボー。
切ない話第一話。

やっぱりブラックレインボーというカテゴリーを作ろうっと。
でも今日は、
ダブルマイノリティがふさわしいよね。

ケイコ


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