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44年前のこの時間に私は東京厚生年金病院へ歩いて向かっていた

もうすぐ、2014年12月21日になる。あと10分ほど。

私は44年前のまさにこの時間に、
新宿区神楽坂のアパートから、歩いて10分ほどの、
東京厚生年金病院へと向かったのだった。

なんでそんな深夜に?

午前零時になると日付がかわり、一日の入院の料金のかわりめになるからです。
そう、入院費用の節約のためでした。
こういうのって、なんということなくやってのけてしまう、
そういう庶民だったんだよー。

陣痛が起きたのは確かその数時間前。
早めの夜くらいだっかのかな。
まだまだ、この間隔なら大丈夫、と二時間に一回、
一時間に一回なんていうふうに意識していたのを、
はっきりと覚えています。ものすごくはっきりと覚えています。
なぜって、間違いなく、真夜中零時過ぎに病院に行く、
という判断で大丈夫かは、けっこう考えていたんですよー。
感覚が一時間を切り始めていたように思います。



私は、
ははははははは、
皆さん、のえが37歳で亡くなってから6年。
だから、とんでもない私の年齢を想像してしまっているかもしれませんね。

でも、私はまだ還暦を少し過ぎただけなんですよ。
つまり、その晩、まさに厚生年金病院の裏口から入った私は、
たったの18歳のガキでした。かなりませたガキかもしれないけれど、
ガキはガキ。小娘です。はい。

それでも、がっちり、入院費用を意識していた。
そういう生活感覚は母から学んでいたと思います。
安い食材から最大限、おいしいものを作っていた母から。

ああ、午前零時を過ぎました。
「うたうたい のえ」、いえ、
私には、やはり今日という日は、米谷野央の生誕日なのです。
44年前、あなたは私の世界にやってきた。
いやおうなく私が面倒をみ、世話をし、
お乳をやり、手間暇かけなければならない存在として、
私の腕のなかにやってきたのです。

お産?
まあ、うちは安産系なので、ちょろいものでした。
助産婦さんもお医者さんも看護婦さんも
…以上三名の名称は昔のまま…
感心するほどの「産みっぷり」だったんですよ。

みんなが驚嘆したんです。
「若いってすごいわねえ。
力の入り方が違う。すごい、すごい」

私は完璧にラマーズ法をマスターしていましたから、
陣痛の波なんてなんのその、しっかりと呼吸法で乗り切りました。

そして、あやつは、しっかり逆子で、
しかも、足なんかからませて危うくなる足位ではなく、
膝でもかかえてお尻から、いわゆる骨盤位で産まれてきたのです。
「おおっ、自分から立とうとして産まれてきたんだな」
と誰かが言った覚えがあります。
いや、座ったような感じで出てきたことになると思うけど。

記憶が確かなら、12月21日朝8時半頃のことです。

まあ、そういう訳で、
最後に頭が出るので、
産む側としては二回難関があったのまで、
今もはっきりと覚えています。

しまったあ、これで絶対私がなんとかしなくちゃならない、
そういう存在が生誕したんだということをどこまで意識していたのでしょう。

いやいや、しっかり意識していましたよ。
三人目とか、というベテランママさんの間で、
私はピチピチの若い若い母親でした。
ほっぺたまっかなね。

友達が持ってきてくれたマドレーヌがめちゃくちゃおいしかったのを覚えています。
お乳をやっていると、めちゃお腹がすくんたよね。
甘いものがこれまたおいしい。食いしん坊がますます募る。
これ持ってきてくれた高校の時の同級生も覚えている。
気が利く人っていつも気が利くのよね。
妙にませていて、私のほうがこどもでしたよ。
見舞い客の学生さんより。

一週間後、私はアパートで、
昼間はのえと二人きりで、暮らし始めました。
なんとしても、誰の手を借りずとも、私が命を守らなければならない、
そんな日々が始まったのです。はいはいはい。
ははいのはい。

なんだか記憶にあるのは、イタリア語やらロシア語やら、
の勉強を机に向かってしながら、
のえを抱いてあやしていた、
そんなときの妙に安定した感覚です。
この時期はかなり育てやすい子でしたね。

大学はおのずとやめていたけれど、
語学は好きだったんです。ゲーム感覚で。


毎日の洗濯の水しぶきすら眩しかった。
そんな日々でした。


はてさて、
のえの頭の後ろ側には三つ、まるでしめしあわせたみたいに、
つむじが並んでいるのに気づいたのは、
病院にいた早い時期だったでしょう。
というのも、あやつの髪の毛はやけに真っ黒にはえていたから、
そのぶん、つむじも目立ったからです。




それから、37年と289日。
そして、3日。





2008年10月8日。


いわゆる「お通夜」の晩。
私のなかで、あるタイミングで、ふっとそのことが立ち上がりました。
頭を起こして、三つきれいに禿げたみたいに、
つむじが並んでいたなら、
それは野央に違いない、と認めてもいいけれど…という衝動が。

できるものなら抱き上げて確かめたい、そう一瞬よぎって消えました。





人は一人で生まれる訳ではありません。
そして、一人で消えてなくなる訳ではありません。


2014年12月21日午前零時六分

ケイコ
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| のえと共に | 00:07 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

弟と二人の、第一子ですよ。

父の記録(日記)によると新宿産まれで、子供のころ母から聞いた話だと、前日が父の誕生日で、その日に呑気に(予定日を大幅に超えていたのに)二人でお祝いしていて、義理のお兄さんに叱られたとか。

母が22の時の子なので、そこそこ若い時の子かなと思います。
あんまり親の言うことを聞かない子供だったので、叱られることはあってもそういう会話は無かったような。

もう少し早く聞いてみるんでした。
もったいないことをしました。

| PARA | 2014/12/28 13:32 | URL |

何人兄弟の何番目でしたっけ。
ひでこちゃんみたいに、八人生んだお母さんを持つ人は、
あんまり自分がどう生まれたか、
なんてことは聞けないかも。
六人が育ったんですが。

それから、お母さん、おいくつですか。
もうちょっと早く訊けたら良かったのかな。

婚姻届だして妊娠して、というまっとうな順番で、
生きて産んで、している人は、
斬新?な記憶にはならなかったりするのかな。

勝手なこと、言ってすいませんです。

| ケイコ | 2014/12/28 03:35 | URL |

・・・そうでもないみたいですよ。

残念ながら「あんたどこで産まれたんだっけ?」と聞かれました。

| PARA | 2014/12/27 21:02 | URL |

うーむ、すべて…かなあ。
なにしろ、18歳だから、しかもまれなる? 体験だから、
覚えているのは当たり前だとしか思わない。

初産のことはだいたい、
どんな母親も覚えているもんじゃないかな。
しかも、めちゃガキだから、余計新鮮というか斬新な体験。

ふふふ。

覚えているのが当たり前、としか言えません。

ブログにも書いてもいいや、って思っただけ。

まだまだ、ほかの、のえを産むに至る「武勇談」は
語り継がれています。
もう「SOtto虹」の会場の住職なんかに、
バカウケして、
「僕も女の人だったらやったかも」などという、
珍しい? シンパシー的受けの状況です。

妊婦がするわけないやろー、
という体験もしているんで。ふふふふ。

それについては、
執筆中の本にも書いていません。
また別の本のネタになることでしょう。

いやいや、あの番組は、
私たちそれぞれの「前史」は経歴詐称、
と言ってもいいほどで。

ディレクターとも、なぜか息子とも話して、
視聴者がついていけないだろう、と
やむなくスルー的な「詐称」をしました。はい。

| ケイコ | 2014/12/22 22:09 | URL |

のえさんがこの世に生まれ出たその日のこと、すべて思い出されて過ごされていたのですね。

私の生まれた日の事を、母から聞きたくなりました。

| PARA | 2014/12/22 06:05 | URL |















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