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悲しみの思索の角には、至福来たる 〔最新2015年2月7日・冒頭から2番目に、12月半ばから一月末まで毎年固定

今年は、これでこの「宣言」のモニターは終えます。

もう少し作戦を考えて、より広く深くアピールするべく、
来年へと備えます
一番、悔しかったのは、昨年、ありえない衝撃をもたらした人が、
「今年は、夫のおばあちゃんが亡くなったから、
年賀欠礼で、何も書かなくて良かった」と聞こえてきたこと。

こちらに年賀状が来ないことを、
真面目すぎるほどに「永久欠礼」を受けとめた、
そんな結果ではなかった、という拍子抜けするほどの、噂でした。

こんなところに現れる、人と人の立場の違いによる、
また優先される価値観による、喜怒哀楽の温度差のようなものも、
これからの「SOTTO虹あゆみあい塾」でも、
ゲームっぽく、ワークショップ的に模索していきたいと、
そう手ぐすねひいてアイデアを凝らしています。
今年はともかく、これで幕引きー。
少し不燃焼だけど、私も他にしなきゃーならないことあるし。
もっと賢く来年は、皆さんを驚かしますからね。

これは正当な「怒りの宣言」。
これは当たり前な「権利宣言」の第一歩なんだと、
それだけはお伝えしておきます。

二月七日
コメント歓迎!
期間限定で、この欄を充実させていくのにご協力を。
そう、あと1ヶ月。2月半ばまでですよー。

中間報告第2弾
今から、年賀状ならぬ「2014年のご挨拶」の葉書を
一部、郵便局の出している年賀はがきで、
一部、ただのポストカードで出しに行きます。

オモテ面、英子のご挨拶。宛名書きの下半分、私の言葉です。はい。
のえの事実を知っている人で「読んだ」とだけ書いた方には
かなり思い切った文面。沈黙の扉たたいたでー。

私の名前がなかった二枚への返信には、
「私のこと、覚えているよね」とか、
「確か、40年近い伴侶だと私のことご存知ですよね」。
いえいえ、後者はそういう気持ちをこめて、
「○○恵子もよろしく。私たちは別姓です」と。

つまり、昨年私のことを省いたある人ほど、
「よける」意識がつよい人たちではないと見なしての一言。

ひとりはものすごく長いつきあいだし、
でも、ジャーニーのときの私の「のえ」にまつわる一言に、
急いで帰った余韻がすこし「悲しい」のでどうしようか、
と思いながらの一筆でした。
もうひとりは新婚さんが妻の名前を連ねて書いたけど、
ヒデコ先生しか宛名書きに思いつかなかったという、
旦那がたが、よくするパターンで。
しかも、彼は「妻」の方と、私たち二人が、
急速接近は把握していらっしゃらないようです。

丁寧な「寒中見舞い」をよこした高校時代の親友には、
少し丁寧に書きました。
どれも空欄利用ですが、空欄の狭さを感じたな。
彼女には…。夏には、年賀状の返信がないことで、
「何かあったのではないか」と心配していたし、
今回の手紙には、人の何倍も感受性のつよいケイコさん、
なんて、やっぱり友達だよなあ、という一言もあり、
すこし泣けました。
ところで「感受性」という言葉、
そろそろ死語になりつつあるんじゃないかな。

私のお腹が大きくなっていく…中には「のえ」の始まりが…
その様子を19歳の彼女が見つめていた思いも書いてくれていて。
それでも、私は年賀永久欠礼はある種の手段で、
というか、国民的な良くも悪くもある慣習にのっとった、
あるいはのっかった、
「声なき沈黙のマジョリティの人たちのなんらかの宣言」
への5年がかりくらいの覚悟の、
最初のきわめて個人的なふうを「よそおった」提言なのだ、
とさすがに書きました。


ひとり、昨日届いたはがきに、
「のえにまつわる、のえが亡くなる前に見た夢」を書いてきた、
物を書くのにも慣れているはずの人が、
かなり言葉足らずで、
「これ書くなら封書にしたらー」と言いたくなりました。
自分が寝て見た夢に関しては、
ある種の前提とことわりを書いて、
その夢の内容を伝えるべきなのでは。
特にそういう内容でした。傷つくほどじゃあないのに、
なぜ、今頃言うの、多分言ってもいいんだ、
と今頃気づいて、はがきのはしっこに書き綴ったのでしょう。
最近、こういうの去年の夏くらいからたまに受け取る。

まるで、「のえさんのこと語っていい」解禁令でも出たみたい。
今頃だよん。
私は箝口令なんて、一度だって出してきませんでした。
NHKの番組の感想欄では2011年には確かに、
のえのことも「のえルーム」のことも書かれませんでしたわいね。

2011年のLGBTの医療と福祉の学習会では、
私たちは沈黙の壁に囲まれました。
なにか周りが奇妙にぎくしゃくしていた。
その理由が最近、どんどん判明してきている。
その学習会では、ひと組のカップルと、あるひとりだけが、
あの映像に敬意を表してくれました。
40人あまりの人たちのなかで。

さて、「自分の見た夢」を記した文面に、
「恵子さんは知らないだろうけれど」という匂いが、
毎度のごとくたちこめるのは、
ときに、いやかなり多くのときに、
コミュニケーションギャップを今さらながら感じます。

さてさて、夜中に親しい友人に、
それもかなり社会性のある活動を仕事にしている友人に、
ふっかけリサーチ電話を入れました。
あのはがきのこと最初あまり思い出せなくて、
年賀状の悪習談義から、のえの歌詞を記憶しているかまで、
私の誘導尋問? であれこれ笑って話しながら、
最後の最後に、
「それは判っていたよー」とぬけぬけとおっしゃった。
おお、あなたはエライ!? うん、えらいよ。
という訳で、今から「水平社宣言」を確認します。
 2015年1月14日 午後3時


中間報告第1弾 
この文面をアップして2週間近くたった1月2日に書いています。
もうかなりな年賀状を受け取っています。…「ベロ亭」家全体としては。ふふふ。

35人ほどに年賀永久欠礼葉書をお出ししました。
ブログで読んだいたけれど、葉書を受け取って紙の感触と共に、
受け取めました、という友人と朝電話で話しました。
彼女は、自分も大切な感情を封じ込めて生きているかも、
と真摯に語ってくれました。

25人は、のえの誕生日前後、10人程は年末ぎりぎりなので、
すれ違い?もあるやもしれません。


ひとり、また私を宛名に書かなかった、ものすごく親しい友人が現れました。
彼女には、葉書は出していません。うん、かなりな生きづらさを日々抱えているしなあ。
今日2日にはもうひとり。こちらは年賀永久欠礼葉書を「勘違い」してしまったかも。
ただ、読解力も執筆力もきわめてある人のはずですから、
よほど忙しいか、還暦すぎて、少し弱ってきて頭が回らないのか逆に心配しています。

のえの誕生日に出してすぐ、年内に「懺悔の手紙」をよこした親しい友人もいます。
彼女は、大切な人を病死で亡くしています。
以来「自らの人をひらく力」が痩せていったという表現が切なく残っています。

年賀状に、「やっぱり年に一度、思い出してほしくて出します」
とさわやかに書いた人も「永久欠礼」を受け取った人です。

ひとり、のえが亡くなってから、のえの事を一度も話さない友人は、
「ケイコさんからの手紙受け取りました」とメモだけありました。で、で…。

そうそう、これを書き忘れてはなるまいね。
のえのこの歌詞に感動を表明した人が二人。
そういう意識で歌っていた、のえちゃんの生まれた日だからこそ、
「誰もが生まれたことを祝えるように」
という日に制定
…するのにイイって言ってくれた人、一人。

あと年賀状をくださった人の中で、永久欠礼葉書を受け取っているはずの人で、
一切触れていない人が何人も見受けられます。

これは、あらためてのお願いです。
そうでなくとも、大雪でうもれそうな気候が続く昨今、
私をどうかまた「沈黙の壁」で包囲する大作戦というか、
無意識の深層水脈合流大作戦で、
一致した行動などなさらないでくださいよね、(大笑い&号泣)
っということです。

今朝はそれで久々眠れなくなりました。

この文面をちゃーんとに読んだら、判るはずですよね。
それとも、そんな感情、封じ込めるの当たり前だろう、って思っていて、
こんなのおかしいって思うなら言ってくださいな。
遠慮はいらぬ。妙な気遣いはやめてくれ。
ただし、おてやわらかに願います。

以上中間報告ー。2015年1月2日午後5時




悲しみの思索の角には、至福来たる

〔年賀状の永久欠礼宣言〕と共に

12月21日を
『誰もが生まれたことを祝えるよう祈念する日』
として、
米谷恵子が発起人として起草いたします。


足マーク16p


今年2014年元旦に届いた2通の年賀状が私をここまで導きました。1通は、私と私の娘が、娘の亡くなった姉のことで心揺れ涙ながらに電話で話しているのを、大声で無理矢理にやめさせ、その娘にも私にも多大な精神的打撃を与えた、娘の配偶者の名前を、特に考えないで事務的に連ねた賀状で、もう1通は以前岩国英子と二人仕事を親しくしてきた相手が、何の心当たりも断りもなく、不意に私の名前を省いた賀状でした。

娘「のえ」を亡くして以来、6年間、絶え間なく続いた、故人にも遺された者にも敬意を欠いた…血が逆流するような理不尽な体験のあらゆる蓄積をふまえつつ、以後1年近く、時には受け取る側にとって、困惑とも狼藉とも苦痛ともなりうる、年賀状という習慣の功罪を考え尽くしました。

年一回の交信が嬉しい友人がいるのも確かです。だから、受け取るのは拒みません。拒まないどころか、懐かしい顔を思い出したり、ユニークなデザインや文面が楽しみなのは事実です。なんだか、矛盾するようですけど、それはそれなのです。
ただ、家族写真をためらいなく使うのが、孤絶に打ち震えて生きる者の深層に与える心理的負荷くらいは思っていただきたい。
私は英子と二人のツーショットを最近3年ほど賀状に堂々と使いましたが、NHKの番組出演を機に女二人のパートナーシップを誇らかに打ち出せるのを期限つきで祝したまでです。

が、2014年の賀状は、私は返信も含めて保留とし全て控えました。1月半ばには、初の失声症状も体験しました。心身の不調は世間の無理解の蓄積の果てに表れるのです。


私は形式的な「年賀欠礼葉書」が必ずしも胸に落ちません。むしろ、誰がどのような血縁や婚姻関係にあるか、無闇に知らされる感が強く、文面から故人への遺族の痛切な悼みを実感することは多くありません。

日本人ほど、深い喪失体験に立ちすくむ人への寄り添い方を知ろうともしない民族はないというのが、まさにこの国の現実なのです。
「どんな人が、どんな人に対しても、
自然に当たり前に、逃げも隠れもせずに、
どれほどの悲しみであっても、
表現できるようになる日まで…」

私は、私の年賀状の永久欠礼宣言を、ひとつのムーブメントとして提案していきます。
悲嘆を心にしまう自由は、選択肢があってこそです。

たとえどんなに痛みに満ちていても、悲しみにそっと頷き合ったり、亡き人の事でしみじみと泣き笑いをしたりなど、大切な人を悼むという営みを、誰かが頭から禁じたり、恥と罪で打ちひしがれていると断じて、腫れ物のように避け、二度と交信せずに、沈黙の壁で包囲するなど、人間としてはあってはならない事。喪失の連鎖すら生み出す所以です。


それを教えてくれたのは、まさに、亡き娘「うたうたい のえ」でした。
彼女は2004年11月、神戸「ビッグアップル」で、ジョン・レノンの「イマジン」の一部を、自ら自由な日本語に大幅に意訳して、ジャズ演奏をバックにカバーで歌っています。イラク開戦の頃かと思います。のえは当時、大切な友人が自死し、二週間発見されなかった事実に衝撃を受けていました。さて、「イマジン」の歌詞は以下をご覧ください。




この世界中で流れた血は全部一緒な血だ。
どんな殺され方をしようと全部一緒な血だ。
この日本で毎年三万人以上の人が自殺するのも、
そして、流れる血も全部同じだ。
どんな死に方があったか。 どんな殺され方があったか。
違いと言えば、それぐらいのこと。     日本語詞 のえ


私は、娘の「うたうたい のえ」が、44年前に生まれたその日を、
「誰もが生まれたことを祝えるように祈念する日」と定める発起人として、
このムーブメントを、たった一人から、心静かに始めます。

どんな死に方があったか。 どんな殺され方があったか。
違いと言えば、それぐらいのこと。


 にもかかわらず、「自ら」「いのちを断つ」という、追い詰められた末にもう明日はとても生きてはいけないと逝った者の、誰にもかわれない、かけがえのない人生が、すべてなかったものとして闇に葬り去られる、原始社会のようなこのタブーと偏見に満ちた日本社会に、私はこれを機にはっきりと、よりいっそうの NO! を突きつけたいと思っています。

のえは、この歌をこう歌ったときから「自殺者」こそが、この日本社会の、「見えない戦争」の犠牲者であると悟っていたのです。
私は魂を賭けて、それに連なろうと立ち上がります。  米谷恵子

 「生と死を思う辺境の森」構想 提唱者  2014年12月21日
    「うたうたい のえ」の生誕44年のその日に。
    今年は冬至は22日ですが、ほぼ冬至生まれなんです。

全国規模の「ちいさな集い 悲しみにSotto虹」代表
LGBTも発達障害関連も「自死」でノコサレタ人の参加歓迎。
偶数月第二日曜午後2時から4時半に福井県鯖江市の専光寺で開催中。
奇数月はSotto虹ささえあい塾も計画中。
「ちいさな集い」のお知らせの詳細掲載の、リーフレットお届けできます。全国に広めてくださいね。

 
 ℡090-2093-1739 米谷恵子 昼以降
     
こんな提案はいかが? 
★年賀欠礼ムーブメントに加わりませんか。広く活用できるような、ひな形となる案を募集中。近日中にブログ「ベロ亭日記」に、皆さんが活用できるひな形をPDFファイルで発表したいものです。文案作りにぜひ知恵を貸してね。
★ムーブメントとして説得力や機知に飛んだ草案にするため色々なご意見、この文面の印象、ここは抵抗を持たれるのではないか、とか、より理解を深めるようにするにはこうしたら…など伺えれば嬉しいです。
★ふくらませて、幅広く応用の効く、めちゃ面白いひな形にしたい。「「忘年会」と「おめでとう」で、すべて悪政もリセットしてなかったことにする…。そういう社会と繋がっている現実」という指摘も興味深いです。
★たとえば、「年賀永久欠礼」はなかなか無理でも、「12月21日を『誰もが生まれたことを祝えるよう祈念する日』」として広めるだけなら、ОKもありかな、とか。人間の感情として「悲しみはあってもいいもの」として、お互いに認め合い、心にかけ、各々の喜怒哀楽の温度差に、少しでも想像力を働かせられるようになるのが芯からの目的です。



★この文面を書き上げたのは、2014年12月17日の深夜のことです。
 パキスタンで、武装勢力に学校が襲われ、140人余りの子どもたちが、
 犠牲になった記事が、朝、新聞の一面をおおっていました。
 襲う側も襲われる側も、なぜ、という理不尽な問いから、
 出発しなければならない現実が世界中にあることを見据えながら、
 この私のささやかな宣言が、日本の現実を動かしていくことを祈りつつ…。
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COMMENT

誰もが生まれことを祝えるように祈念する日…。
「生まれたことを祝う」というのは、誕生日にお祝いする、という意味あいとは、かなり違うかと思います。

この「起草案」が生まれるずっと以前には、のえが亡くなって2年目の誕生日に「おめでとう」と三人ほど…妹も含む(笑)…書いてきて、亡くなって二ヶ月後はともかく、そろそろおめでとう、は違うだろう、と意識させなければならない作業も経ています。

つまり、亡き人がけっして歳を取らないことを意識してしまう日、でもある日に「おめでとう」は切なすぎるのです。
「あら、誕生日のこと忘れたいんですか」などと言われて、怒りより呆れるほうが先立ちました。

忘れたい訳なんかないじゃありませんか。
私の人生が「動き出した」まさにその日、なのですから。だからこそ、私は、のえの39年と289日に向き合ってきたです。

どんな殺されかた、どんな死にかたが、
どんな生き方、どんな生かされ方、と対応して書かれたこと、
なにか響きあっていて手応えを感じます。

昨日から娘のヤエが来ていて、しかも孫連れとあって、12月21日のブログについて、午前零時すぎて18歳の妊婦が判断して入院した事実に、ヒデコともども「腹の座り方」をあきれられ、もしかしたら褒められました。

でも、結びの言葉は二人とも忘れていて、今、朗読させました。はい。(笑)息子のカラは、この結びにグッときた、泣けた、と書いてきてくれました。実は、このブログのみは、かつて「子ども」だった人たちには知らせました。そしてタンポちゃんと。

Lマザーが関西でも次々と子どもを育て始めています。
「初めて、生命の尊さを知った」なんていうLマザー次世代もいて、ヒデコともどもあきれはてています。まあ、ヒデコは丁寧にエールも送っていますが。その中には、「のえルーム」の常連だったLの人もいるんですよ。一時は、のえの形見のお皿を返すって言ってきて、ありえない申し出に「そんなさびしいことはいわないでください」って慰留した経緯もありました。その皿を初めてご飯を食べさせる時に使うと書いてありました。

私たちは本当に先を歩きすぎているのだ、と思います。

カミングアウトがなかなかできない「親」あって、自分という存在があるってことを忘れたくなるほどの現実にあるLGBT。

この「祈念する日」については、二年か三年がかりくらいの「制定」のブロセスが必要かなって感じ始めています。

私が何を喪ったのか、そして、その結果、どう悲しいのか、誰もわかろうとはおそらくしていないからです。そして、そのことを今まで口にしてこなかったからです。あるいは、口にしてはいけないと思い込んでいる周囲があったからです。

コインロッカーで生まれようと、トイレに捨てられていようと、その子は生まれたのです。

ましてや、Lマザーの子たちも、生まれたことを歓迎され続けなければなりません。

のえの生きづらさは、あの子の特性ゆえでしたが、あの子のたくましさは、ここでの育ちゆえでした。それでも既存の家族と違うことで、生きづらさを複雑化したのは事実です。

すべてが詰まった起草文なんですよー。

これからも向き合っていただければ幸いです。いやはや、大阪のLマザーの別の信頼する人にはこれ年賀欠礼、送ってありますよ。その人すら、軽井沢の直前に、のえと同じ職場だったことを初めて言ってくれたほどなんです。

なんかね。関西方面には「やましさ」がたちこめています。
そんなの払拭しろよ。
人の生き死にをきちんと見ろよ、それだけに尽きます。


| ケイコ | 2015/01/06 01:15 | URL |

「誰もが生まれたことを祝えるよう祈念する日」

のえさんの日本語歌詞、鳥肌が立ちます。
どんな「死に方」と、どんな「殺され方」って・・・
どんな生き方、生かされ方でもある。そう取りました。

私は、ケイコさん・ヒデコさんと知り合うことで、私がどう思おうと、どう取ろうと、母は私を愛してくれているのだと知りました。
非常に時間がかかっているけれど、その事に気付かされました。


生まれたことを祝うなんて、私はなかった。
昨年12月21日のブログの最後の一行で、初めて祝う気持ちが湧きました。

表現力不足。。。
会って話したいですね。

| PARA | 2015/01/05 22:38 | URL |

江戸か明治か

まるで明治時代の状況分析のようですね。つまり、日本はあれから、かわっていない。
のえは、未来のままだったともいえますね。
これ水平社宣言とかなんとかいうかんじで、宣言名つけまほか?

| ぺでこ | 2014/12/19 23:51 | URL |

コメント欄に、私が続投とはおかしな話かな。

パンフレット読んで、喪中欠礼の文例が、すべて「義父」が98歳か88歳の文例しかなくて、またまたお笑いでした。
先日、お寺で亡くなった方の年齢が並んでいるのを見ていて、ああ、30代か、えっ5歳? と胸が痛くなったことを思い出しました。

そういうことは、基本、ないはずのこととして考えられた習慣なんだと証明されたようなパンフレットでした。

また、年賀状のほうも、いくつものパターンでイラストがあり、文例はそんなになくって、こういうのって来ても、一瞥しかしないよなあ、と思い出しました。これほどの人でも、こんなに機械的事務的な出し方をするんだと、あきれることにもあきました。

私は催しの案内の郵送のときも、可能な限り手書きでその人にあてた思いを、最低一言以上、時には数行はしたためます。あったりまえじゃないのかな。だけど、最近は、そういった「お手紙」にもめっきり反応がなくなっています。

人間も機械化して、お便りの意味もなくなった時代。

ただ、年賀状の販売が、郵便局で局員に義務付けられなくなって良かった。何千枚とノルマがあって、それで自殺者すら出たんだものね。今年は、郵便局は年賀状の販売にあまり精を出していないような様子なのが少しさびしいというのも矛盾かしら。

つけ加えると、のえが亡くなったのは十月はじめ。
あの年、独自の「欠礼はがき」は出しました。
寒中見舞いで、きちんとお悔やみを伝えてくれた方が意外な方だったり、泣きながら、「私によくぞ知らせてくれた」と途絶していた私たちの旧友から電話があったり、それこそ、様々なドラマが展開しました。

そんなドラマを拒絶しているのが、今の欠礼なり年賀状の慣習ではないかしら。

家族写真のみならず、なんで「この子」の写真を見せつけられなきゃいけないのっていう、子ども自慢のも多いよね。そんな話も、鍼灸師の先生はしていましたっけ。

子どもが大の自慢の先生なんだけどね。まあそりゃそうだ。

| ケイコ | 2014/12/18 23:08 | URL |

悲しみをフカーク思索する角には、おっきな福来たる。

あたりを、このムーブメントのキャッチフレーズにでもしようかな、と鍼灸治療を受けながら考えていました。

隣の患者さんと鍼灸の先生は、困った年賀状の多さをネタに笑って話していて、私も声を出して笑ってしまいました。帰りにホームセンターで、年賀状と年賀欠礼のノウハウを尽くして書いたパンフレットをたまたま手にするにいたり、年賀欠礼でも「想いを込める場合」とあったりして、またまた笑いを呼びました。

鍼灸の先生が言っていたのは、家族七人くらいの名前が連ねてあって、一体誰から来たのかが判らない話。多分、この名前が何回か来た患者さんかなっなんて話だったんですよね。

私は基本、年賀状は受身でした。私たちは、他の催しで多くの人に郵便やメールで近況は伝えずみですから、年賀状が展覧会の礼状の礼状を兼ねていたりもする。だから、それには返さないとか、でも、くれると嬉しい人が年に三人くらいはいるのよね。だから、受け取りは拒まない。

ヒデコの姉さまがたから、次々と欠礼はがきが来るのね。のえのときに、こちらも欠礼はがきなんて出さなかったけど、年賀状、一番理解のあるお姉さんから、のえが逝って二ヶ月後にちゃんときて、息子のカラに宛てた年賀状にはは、「あなただけが残ったんだから、がんばらなくちゃね」なんて書かれていたんだよ。信じられる? 他の、のえの姉妹も怒るよねー。

基本が欠礼だった訳ではなく、面倒だし、もうする必要ないほど、普段から色々お便りしているし、というスタンスだったけれど、ヒデコちゃんが、わりにこういう行事ものを好むところもあって、それにつきあってきたけれど、そしてツーショットが嬉しいこともあったけれど、とうとう今年の元旦に事切れたという訳です。良い使い方をする人まで否定したくはないけれど、ホント、「忘年会」と「おめでとう」でリセットってそうだよね。

このあいだ、陶芸教室の最後の宴会では、住職の考えもあって憶念会って言っていました。記憶の憶、まあ、浄土真宗なんで、念仏の念。ただ、念じるっていうように、「念」という境地の奥行は相当ありそうです。いまだ学習中。

そっと虹、は宗教とは別個だけれどね。

そう、のえはこんな唄を唄っていたって知った時の、大きな驚き。軽井沢のコラボでは、ここの部分だけ皆さんにお聴かせしました。いつか機会があったら、きっと。

| ケイコ | 2014/12/18 22:28 | URL |

のえちゃんはそんな詞まで作っていたんですね。どんな声をのせていたんだろう。私はずっと欠礼してます。日本社会は戦場であり、平和なふりして毎年忘年して「おめでとう」でリセットし続け、無数の死(多数の生)を踏みにじってきた。それが過去の戦争を反省することなく次の戦争を準備することを恥じとも思わない今日に繋がっている。そして人を活かさないこの社会で私の友人たちをたくさんころしたことを、私は許さないだろう。

| KAGE | 2014/12/18 19:37 | URL |















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