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のこされし者の歌、を巡って…昨日、アップして削除したものをブログに移動しました

今日という日に、ヒデコがケイコと共に、のこされしすべての人たちに贈る歌。
浜田真理子作詞作曲「のこされし者の歌」。

「うたうたい のえ」が、最後まで好んで聞いていたシンガーです。最後の年にライブにも行った大切な、この上なく大切に思っていた女性シンガーでした。ライブの印象も日記にノコシテいます。


そして、のえ亡き後、音楽仲間たち、友人たちの慟哭の歌ともなりました。

 のえの生き切った人生、歌いきった人生が私とケイコをここまで歩かせてきました。「ちいさな集い 悲しみにSOTTO虹」まで、十日となった今日、のえの大切な女性シンガーの絶唱を、あなたも心にとめていただけたらと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=gYp2_Yo8x-A




ある女性「 はじめて聴きました。聴き入りました。すばらしいです・・・。」

ヒデコ「 そうですか、初めてだったんですね。のえは、毎年のようにライブに行っていたようです。
浜田真理子さんは山陰で仕事をやめずに音楽活動を続けている人です。」

ある女性「 はい。吸い込まれるような声に、歌詞メロディ、終わった後の余韻も。のえさんの伸びのある声にどこか似ていて、のえさんに惹かれたときの感覚とおなじです。歌は生きつづけますね。」

ヒデコ「続けてコメントありがとう。そう、歌はいきつづける!!」

ある女性「 なかなか強烈にすきになるシンガーはいないのだけど、浜田真理子さん、全曲聴きます!知れてよかった、ありがとうございます。のえさんには会えなかったけれど、なぜだか、強烈にわたしのこころに生きていて、不思議だけど、これも出会いなのだと思います。ありがとうございます。長々すみません。」


ここまでのやりとりは、とても自然なものだったかと思います。それ以降。


別の女性「 素敵な声…ピアノ…浜田真理子さん…」

ヒデコ「Мさん、でしょ。」

別の女性「 覚えとかなきゃあ。」

また別の女性「 私はCDでしか聞いてないけど、大好きです。
生のライブはもっとスゴく心にしみたやろね」

ヒデコ「 以後コメントお断り。」

以下は、一切眠れなくなった私が、早朝に起き出して書いた内容です。

「 コメントご遠慮していただいた側の、岩国英子のパートナーのケイコです。彼女はまだ休んでいるので、やむなく書かせていただきます。歌というものは、あらゆる感覚、感情を、人に感銘を与えるものほど「昇華」という普遍性に至ったものなのだと思います。巷には、そういう表現にもなっていない「うたもどき」が溢れていて、日本では子どもしか歌わないのかと言った外国人もいたそうです。いわゆるタレントの歌あたりでしょう。

この歌をご紹介した「真意」を受けとめてコメントした方が最初にはいらっしゃいました。ただ、その「昇華」ゆえに、歌う側が命がけだということは、見過ごされがちなのではありませんか。表現行為とはしょせんそのようなものだと思います。

なだそうそう、が、時代、が、サマータイム、が生まれた背景は、そんなに直接的に語られることはありません。のえも、うたの背景を語ることはなく、歌うという表現性に賭けてきたアーティストでした。だからといって、のえが命がけで歌いながら、命がけで耳を澄ましていた歌をここに挙げた側の気持ちは、スルーさせていただきたくはないと思っています。

なぜなら、「昇華」どころか「消化」もさせてくれない世の中なのですよ。喪失体験を、その悲しみを痛苦を。だから、14日に始めるのです。だからこそ、「昇華」された表現行為が紹介された道筋をも見誤らないでほしい。盗むだけなどしないでほしい。それは、のえが最も好まないことでした。それぞれの、とことんそれぞれのものでしかない、表現欲求の根っこから、あなたの言葉を、つぶやきを語ってください。」


ケイコ

追伸  「ハートをつなごう」のドキュメント番組で、「のえルーム」の、のえのかけがえのないコレクションが、
一瞬映し出されたことがありました。静止さえすれば、のえのコレクションの一部が明確に目にとまります。

あるブログでは、番組の話がそれて、そこから音楽話題になり、要するに番組で誰のコレクションの並んだ棚だったかはスルーされました。ものすごくつらかった。不快だった。ありえないことのような気がした。

つまり、彼女たちは、人の死を「噂話」にしたのです。

それからも何年も、様々な体験を経て、様々なこの種の現象を分析整理してきました。

シド・パレットのあるCDに関して、
「すりきれるほど私も聴きました。のえさんもあれを聴いていたんですね。」
と共感と痛ましさないまぜて、丁寧に伝えてくれた方がいたことも加えておきますね。







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| 生死観の喪失の現場から | 17:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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