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大型ゴミの山と不穏なトラックの一群から出たマコト…「ご近所」ってこれなんだ

大型ゴミの山と不穏なトラックの一群から出たマコト…「ご近所」ってこれなんだ

今日は、外のテーブルでの食事時から、なんだか近くのゴミ置き場が盛り上がっていた。
そう、色々なものが置かれたゴミの山は、大型ゴミの日を控えて、これは点検しなければという意欲がわき上がる物たちがちらほら見えたり。で、やけに気になったのである。

それのみならず、そう、ゴミ置き場は盛り上がった。
あの不穏とも言える、外国語が行き交う、何人もの男たちが織りなす、三台ものトラックの一群が、さあっと、あっという間の手早さで、ゴミをあさり、少しでも金属質のものがあると、トラックの荷台に乗せる…そのときの盛り上がりようったらなかったから…。

私は、日本ではもはや、ほとんど見られないだろう、こういう不穏な盛り上がりが大好きだ。わざと近づいて、淡々と見届けたりする。おおっ、この男たちの話しているのは、紛れもなく中国系の言葉だよなー、とか、このゴミでどのくらいの人が、どうやって儲けるのかなあ、とか、彼らの価値基準はどんなふうに、日本のゴミの山の細々とした現実を見通しているのかなあ、などなど思うとわくわくしてしまうのである。

こういう眼差しを向けている私は、けっこうふてぶてしいから、男たちのうちの二人は、流暢な日本語で話しかけてきたりもする。
「なんかあるー」とか、あれこれゴミの出し手として期待しているのである。
一人なんかは、携帯でまくしたてていて、この不穏で緊張感に満ちた、堂々とした立ち居振る舞いはなかなかのものでもあるのだ。

さてさて、私も抜け目なく、ゴミの山から、プラスチック製の古くなってはいるけれど、まだまだ使える植木鉢を幾つも回収しました。ヒデコも、負けずに! ふた付きの容器を幾つも、仕事に役立つだろうと回収しました。こういう時は二人とも笑ってるんだな。

「ヤエとハナが保育園で、今度拾った新しい冷蔵庫は…」って話したのと同じノリ。30数年前の保育園のセンセーは、「拾った新しい冷蔵庫」という意味が全く解せなかったんだけれどね。で、これは執筆中の本の、この地と私たちの価値観の違いとしても展開しているのでありますが…。うむ、本当に価値観、違うんだろうかな。

いやあ、しかし手早いなあ。彼らは海賊ならぬ、山賊みたいだ。私も山賊になれるものならなっていたかも。いやはや、もうなれないかな。日本社会では、そう簡単にならせてくれないだろうな。

そんな一群が去った後に、もう一度丹念にゴミの山の後ろ側に回り込んで、まだプラスチック植木鉢があるかどうか物色としていると、隣りの二代目がやってきて嬉しそうに話しかけてきた。私もつい勢いづく。
「いやあ、家は植木鉢はみんな、やきものなんだけど、季節の変わり目とかプラスチックので間に合わせるんで、あればあるだけいいんで…。要らないんだから使えばいいかなって。」
などともったいぶって、堂々と言い訳なんかをするのである。すると、
「捨ててあるんだから、持ってけばいいんや」とニコニコ。

なんか、少し嬉しい。隣りの二代目とは最近はなかなか話せないことも多いから。

書斎にこもって一仕事して、夕方水やりをしていると、またまた来た。来たぞー。山賊の一団である。今度は、トラック二台の荷台はものすごく盛り上がっている。あちこちでせしめた戦利品の山がこぼれんばかり。その上に、まああらたに捨てられた自転車なんかを、うまいこと載せるんだから、ものすごい根性だよね。いやあ、あれには共感でいっぱいになってしまうよ。そう、なんでも生かすって、なんでも金にするって、これって根性だよ。

私は完ぺき外国人かも。ゴミの山がやっぱり嬉しいし、あさるのは恥ではないし、宝探しだし、これは、のえが味わっていた野宿者のテント村とどう違って違わないのかな、なんて一瞬ひらめく。ははは、のえも「よっしゃあ」って笑っているよ。

あら、また植木鉢らしいのがある。なんて訳で、また奥のほうに回り込んで、熱心にあさっていたら、今度は隣りの先代が嬉しそうに寄ってくる。
「すごいねえ。また、トラックで持って行ったよね。」
「今度は自転車二台持って行ったなあ。ああやって金にするんだな。」
みんな、この大型ゴミの日が一大イベントみたいに嬉しいんだ、と思うと私も嬉しくなった。だって、このおじいちゃんは、おばあちゃんが亡くなってから、久しくこんなふうに私には話しかけてこなかったから。なんかものすごく嬉しくなって、家に上がってから、ヒデコに、「おじちゃんとね、話した。なんか嬉しいよ。みんな大型ゴミの日、けっこう楽しんでるんだ。何があるか見に来ているご近所さんもいるみたいだしねー」などと。

それから台所でご飯を作ろうと流しに立つと、さっき話したばかりの先代のおっちゃんが、すたすたとベロ亭の敷地内を歩いてくるのが見える。ええっ、あんなに最近はうなだれているおじちゃんが、どうしたんだろう。さっきは確かに嬉しそうだったけれど。私と話した勢いで、来たのかなあ。

ヒデコが玄関に出る。話すのが聞こえてくる。
「戸があるんやが、いらんかのう。」
「いるいる。もうすぐ夏に、小屋を建てようと思ってるんで、いただきます。」

かくして、私とヒデコは、お隣の家の庭に、お隣り家の大改装工事のために出された、まだまだ上等の戸を合わせて8枚、いただくこととあいなった。
いや、おかしいぞ。あれー、これはこれは、それなりの経緯のある事なのだなー。

じわじわと、やりとりしながら腑に落ちるものがあったり。
えっ、となんだかくすぐったくなったり。

そう、先代のおじちゃんは、先代のおばちゃんと私たちというか、特に私がケンカすらしながらも、仲良くつきあっていたことを大事にしてくれたのだ。大事にしたいと思いながらも、機を見ていたのかもしれないのだ。だって、最近はお隣りさんでもほとんど口を利くことがなかったから。

盛り上がったゴミの山。
山賊みたいな活気とやる気と、日本人にはけっしてもうない、満々の緊張感あふれる外国人の群れと…。

そして、お隣さんの二代目と先代とのやりとり。
なんかくすぐったくて、そして泣けてくるじゃないの。

二代目の「お嫁さん」、言ってくれはりました。
「この戸は、おばちゃんが建てたものだから…」。
うーむ、泣けてくるよ。ニコニコ、にやにやしながらも、
筋を通してきたこと、それでもあのおばちゃんの通夜の席で、私が周囲もアッする号泣をしてしまったこと。

そんなことが一気に押し寄せて、泣けてくるのです。

へへ、最近はいい感じで天国とつなかっているみたい。
おばちゃんありがとう。
そして、おばちゃんとつないでくれたおじちゃんありがとう。

それに、せっせとなんだか、やけに熱心に、
お隣さんのお庭に乗り入れたハイエースに、それなり重たい戸を何枚も、運び入れてくれた二代目さんもありがとう。

そうして、空気感のようにある「ご近所さん」というものの、歳月のおもみをも思った、そんな私の一日でもありました。

知らないようで知っている。知っているようで何も知らない。
でも知っている。そう知っている。お・ば・ちゃ・ん…。


うん、その前にはさ。私が今もいいおつきあいをしている、しょっちゅう、野菜やらいただくおばちゃんの畑にしばらくぶりに行って、新鮮なレタスと大根をいただいたりもしたのです。あちこち故障しても、畑に立つ根性もすごいんだな。

で、そう、このおばちゃんと、亡くなったおばちゃんは妹と姉というわけで。このおばちゃんは、亡くなったおばちゃんが子どもを産めなくて、で、で…。

私は、はたと思っていたんだ。
あっ、このおばちゃん、子どもを手放した人なんだ。こんなに長い間、おつきあいさせてもらっているけれど、「手放した側の痛み」に気づかなかったんだって、私のいたらなさに気づきもしたのでした。だって、このおばちゃんのほうは、立ち入らないみたいな距離感をものすごく大事にしている人だから。
その立ち入らなさの奥の奥に、ふっと何があるのかなって、少し、ほんの少し、突き放されたような、そんな何気なくも淡々としたやりとりで気づいたのです。こちらとは、ケンカなんてありえないもの。ものすごくフェア。田舎流の筋の一本、通ったフェアさ。

ゴミの山との物語は、実にその後のこと。

みんなつながっていて、そして、生きていて、亡くなっていても遠くも近くもあり、やっぱり生きていて…。

大型ゴミの山と不穏なトラックの一群から出たマコト…。

「ご近所」ってこれなんだよね。

35年目の捨てる神と拾う神から出た、そうそうマコトの話です。

ケイコ
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