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知らせる・知らされる…記憶をつないで凪ぐ風景

知らせる・知らされる…記憶をつないで凪ぐ風景



知らせることがその人の個人史をあらたにつなぐこともある。
それでも、知らせることそのものが深い痛苦を伴うこともある。

『サラの鍵』はそんな作品だった。
知ってしまった事実をどう深め、どう模索していくのか。
そして、知るべきであろう人にどうつなぐのか。

フランス政府が手を貸した、パリのユダヤ人の一斉逮捕劇…。
二万人のユダヤ人が強制収容所に移送された悲劇。
その一人である少女の事実を、自分の住んでいる部屋での出来事を通して、
知ってしまったアメリカ人女性ジャーナリストのなかでひらき始めた物語…。


今日の午後は、そんな巡りが私たち二人の前に立ち現れた。

事実は小説よりも奇なり…とは、
大昔のテレビ番組『わたしの秘密』の導入で使われていた一節でもある。

語り始めたのはヒデコだった。私もすぐに語り継いだ。
こちらも相手に新たに明かす事実と共にある語りだった。
相手のみならず、こちらの深い事実をも伴うことで、
より信頼と意味あいを深める語り…。

その人の深い半身が動いた瞬間だったかもしれない。
実際、表情の片鱗にはそんなものがデリケートに微細に映っていた。
丁寧に、穏やかに、静かに、冷静に語り継いだ。

かすかな衝撃はあったが、
相手のすきまにそれはみるみるうちに入っていくのがわかった。
埋めたかったすきまを、いつも手探りみていたからこそ、
いつか告げなければならないとヒデコは悟っていたのだ。

胸に落ちる…。

相手は、「いま、すうっとしてきました」と語った。

長い長い人生のすきまに埋もれた、
ずっしりとしたおもみが解きはなたれた瞬間だった。
そう思う。
そう信じたい。


事実はやはり小説より奇なり…だった。


そんな午後のあとには、
パソコンのモニターを貸してくれた、
のえのクラスメートを夕刻に訪ねた。
街中なので近くはないが、かといって遠いというほどではない。
ヒデコと一緒に行こう、と決めた。
そのときまで判断せずに、機をみよう、そう思った。

お礼のお菓子をシャトレーゼで選ぶところから始まった。
こういうプロセスも大切だ。
相手のふところに少しずつ、入っていく、
そんなことを思うとき。

家はすぐに見つかった。
おもむろに玄関口に立った。
夫を呼ぶ妻の姿があった。

借りた物を返す手順があり、会話があり、
何気ないやりとりが続き、ふっと私は切り出した。
「のえのこと、知っているよねえ」。
「もちろん知っていますよ。そりゃあ、クラスメートですから」
「そうだよねえ。」

彼は、のえがFMフクイが開局した頃、
誰よりも早く、それをキャッチし、様々に音楽の情報を仕入れていたことを、
のえとのあるやりとりを通して知ったことを伝えてくれた。
「僕がスイッチを入れて何か音が入ったら、
『これは開局したばかりの、FMフクイだよ』って教えてくれたんですよ。
色々と知っているんだなあ、そう思いました。」
「わりにクラスでは無口だったし、男子と女子では違うから、
知り合う機会はあまりなかったんですけれど…。」

それから、私はそろそろ六年になること、
みんなオジサンオバサンになってしまったけれど、
のえはオバサンになる寸前で…と続けて、
「なまなかな六年ではないですよ」とそっと言った。

彼はこう返してきた。
「生きていても、生きているんだか死んでいるんだか、わかんない奴もいる。
記憶していることで、自分のなかで生きていますんで…。」
どこかに気後れで途切れそうになるものを、
意思で前に押しだすような、控えめでいて確かな語調だった。

その少し前には、のえのマイスペースを聞いていたと語った。
そうか、そこまで知りたいと思って聞いていたんだ、と思った。
そして、そんなふうに、のえが唄っていたことを知らなかった、
という彼の側の発見を経て、
私たちに寄り添うような大切なひとことが、
彼から出てきたのだと私は悟った。


すうっと音もなく、なにかがひらけた。

のえが音楽に傾倒し、音楽を拠りどころにしていたという一端を、
ほんのわずかでも知っていたクラスメートの存在を知ったことは、
あまりに何気ないことでもありながらも、
あまりに大きなことでもあることが、
その後のスーパーの買い物のときにもじわじわとしみて、
じわじわとこたえて、
胸にすとんと落ちていく確かな気配を聞いた。

数年ぶりに、不意に静寂がやってきた。
はかりしれないほどのさりげなさで、
その静寂はやってきた。

その深さがどれほどのものであるかは、
今日の時間が明日に引き継がれ、
明日の時間が翌月に引き継がれながら、
きっとしみてしみて、
深い彩りとなっていくものなのかもしれない。

それ以上でも以下でもなくとも、
のえの拠りどころであった音楽の一端が、
この土地で隣り合わせに生きていたクラスメートのひとりに、
ほんのわずかでも届いていた事実は、
それ以上でも以下でもないのに、いかにも大きかった。

たったこれだけの確認に、
五年と七ヶ月を要したのだ。
そして、おそらくそれは必要な年月だったのだ、
と私は悟った。

私のアプローチもさりげなくも堂に入っていたと思う。
自分が傷つかないようなアプローチ、
相手もひるまないようなアプローチ、
扉をあけるあけかたも、扉に招き入れる招きかたも、
ここまで歩いてきて、
なんということもない熟練のさりげなさだったのだと知った。


知らせる、
知らされる、
そうして互いの記憶が過不足なく満たされる。
たとえ全てが満ちなくとも、少なくとも欠けていた部分が用を足す。

それだけがこんなにも重要だったのだ。
それだけがこんなにもいとおしいものだったのだ。


つながれた記憶のなかで、
凪いだように、静かな、深い時間をきざむ。
つないだ記憶が胸に落ちる。
胸を満たす。

何事もなかったように。
夕陽が静かに落ちて、
わたしは凪いだ時間にたたずむ。

花に水をやる手元は、夜、穏やかに満ちていた。

ケイコ
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