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長居公園テント村の章の加筆推敲を終えた日、大飯原発再稼働差止め住民訴訟、地裁で勝訴

長居公園テント村の章の加筆推敲を終えた日、大飯原発再稼働差止め住民訴訟、地裁で勝訴

のえの人生に向き合いなおし始めると、私がここのところ、取り囲まれていた現実なんて、ちょろい、ちょろいと思いなおす。

日本を支えているのは、こういう無意識なのね、こういう無自覚さなのね、
こういう悪意なき無関心なのねって、ぞっとするほどに個々のつながりの中で、あっちでもこっちでも確認するのにもう飽きた。

疲れたとも言えるけれど、疲れたなんて言っていたら、のえが天国で笑うだろう。

長居公園のテント村との出逢いと別れに向き合って、のえが唄い語ったCDを聞き込んでもう一ヶ月くらいたつだろうか。
手ごわいほどの表現に、立ち止まり、聞き込み、たたずみ、涙し、
あっぱれと思い、脱帽し、そうしてここまで来た。

四回に渡る「あしもと」のバージョンは、日ごとに強制退去の意味を深めて、のえのすごみがまして、手に負えないほどのものを私にもたらす。

書き上げました。
今日…。

長居公園の野宿者のテント村の行政介入により強制退去は、ある種、社会的な影響力もあるので、ものすごく大変だった。
いい加減なことは書けないということと、のえの立ち位置の微妙さ、明白さをどう伝えるか、私の筆致、言葉選び、全てが勝負でした。

負けたか、勝ったかなんて知らないよー。
何が負けで、何が勝ちなんて知らないよー。

おおっ、のえの語りの調子が移っちまったなあ。

それがね。
今日、大飯原発再稼働差止め訴訟の判決が、福井地裁で出て…。
「司法は生きていた」、そう旗を揚げていた人はよく知っている人。
司法は生きていました。住民訴訟の原告の、250キロ圏内の一人にヒデコも入る。

めちゃくちゃな忙しさの中で、判決の瞬間は間に合わなかったけれど、集まりに向かって、夕方出かけました。もうすぐ戻ってくるみたいだけれど。

知らせたよ。こういうことに敏感な人に。
そしたらさー。長居の仲間の一人から返信が即あったんだ。速報ありがとうってさ。

長居は奪われた。あのテント村は奪われた。
のえの人生も奪われた。奪われた訳ではないけれど、奪われた要素はある。
確たる要素はある。
のえはたたかい抜いた。あの子なりにたたかい抜いた。
それでも、奪われなくとも良かったはずの沢山のことに、
私は足かけ4年かけて向き合ってきた。今も向き合っている。

台所に立ちながら、長居の仲間からの返信のあとに、
泣けて泣けて、涙が止まらない。声を上げて泣いた。

私は、フクイの脱原発の動きには、かなり距離を置いてきた。置かざるをえない、そんな全てを見つめていた。
根はひとつなのに、私たちの置かれた位置、のえの置かれた位置、そんなものに思いも及ばない、そういう人たちと組むのは、私には心身の毒だから、距離を置くしかない。

テレビのニュースに映っている顔は、アイダホのアクションを一緒にやった人もいれば、そんなふうに、私たちの「境遇」に10歩も100歩も引く人たちの顔ばかりでもあった。
それでも、満面の笑顔がともあれ、まぶしくもあった。

いいんだ、それで…。

住民が、市民が、異議申し立てをする。
それがこの日本を少しでも動かす。
動かす可能性があるということを知らせるニュース。

まあね。電力会社側の被告席はからっぽだったけれどね。

台所で声を上げて泣きながら、何を思ったかって。

訴えたい。
のえの「かくれハッタツ障がい」をよけた、避けた医療機関を、相談機関を。

訴えたい。
自死のサバイバー…この場合は自死遺族のことだけど…を、
避けてよけて平気な人たちの全てを、
訴えたい。
集団訴訟したい。

のえが逝って以来、どれだけのことに向き合ったろう。
今もどれだけのことに向き合っているだろう。

日本では、今だに人権問題とすら思われてはいない。
避けてよけられて当然だということになっている。
寒い、吐きそうな現実に絶えずさらされる。

自死のサバイバーの「権利宣言」ってあるんだよ。
自死を理由に責められない権利。
尊厳を守る権利。
いくつでも挙げてもいいけれど、今日はこのくらい。

集団訴訟なんてありえないほど、
みんな自責の念に苛まれているんだよ。
自責も他責も問い直されなきゃだめなんだよ。
どうして、そういうふうに、人の生き死にがあるのか、
向き合わない社会なんだよ。
日本ってのは。

だから、
この課題に特化したら目を背けるだろう人が、
どれほど並んでいても、
私は「司法は生きていた」という幟を、
そこに集まる人たちに、今日は拍手を送るんだ。

そうだよ。
のえから底力をもらってできたあの、
朗読とも言いがたい朗読…4月3日の声の演奏を、
のえの逝きかたを、もしもあの聴衆が知ったら、
心底感動した人たちでも、9割が引いてしまうって、
私はとことん知っているんだよ。


そして、つい10日ほど前、こころを尽くして、
こころを砕いて、数時間話した人が、
実は、そういう一人だったって…。


おととしのフクイの脱原発の全国集会に掲げられていて、
吐き気がした横断幕の言葉…。

「フクイでつながろう」。

今日だけは大目に見るよ。
今日だけは、こころの片隅に刻むよ。

なぜなら、それは一抹の希望だから…。
司法が、おかしいことをおかしいと言った、
それは一抹の希望のはずだから…。


のえの吟遊詩「かえりみち」、最終バージョンの結びは…。

こんなコンクリートの塊で固められた公園じゃなくて、
   わたしは本当は、泥んこ道を歩きたいんだ。
   泥んこまみれになって、まっくろけになって、
   そしたら、本当に美しいものが見えるような、
   見えるような気がするんだけどなー。



それに、続けてこう書こう。
今日は…。今日はね。

   あんなコンクリートの塊で固められた原発じゃなくて。
   あんなコンクリトーの塊で固められた原発じゃなくて。



          ケイコ


追記

「拍手」してよ。こっちにも。
せつないよ。やりきれないよ。

私は「拍手」したんだ。今日の勝訴に。
私は「拍手」したんだ。

自死に目を背ける人に。
自死でノコサレタ人たちをよける人に。

そういう人たちも、
原告団に何人もいることも目をつぶっているんだ。

ヒデコがなけなしの時間に集まりに飛び出して行ったら、
やっぱり、
私のことでくだらん質問をしてくる奴らがいたんだ。

勝った、負けたじゃないこと、
やっぱりあるんだよ。

だから、号泣したんだ。
台所で。

私は「訴訟」はしないけれど、
私は私の位置から語り尽そうとしているんだ。
のえの生と死を。
のえの復権と、ベロ亭の復権を賭けて。

長居公園の野宿者のテント村は、
「世界陸上」という国のイベントのために撤去されたんだ。

その時、リアルタイムに、
「知らないの、世界陸上があるんだよ」
って言った身内がいたんだよ。身内が…。
世界陸上なら良くて、原発はだめなのかー。


野宿者も生きていたんだよ。
暮らしていたんだよ、テント村で。
のえは「ご近所さんの唄うたい」だったんだよ。

のえは生命線のような「ご近所さん」を奪われたんだよ。

原発が日本中の生命線を細く、危うくしているのと、
どこがどう違って違わないのか、
少しくらい考えてほしい。

このブログの読者には…。
このブログの読者には…。


福井地裁の裁判長の判決文の中の、
「人格権」という文言で、
全ての被害者、加害者、
死刑囚、
そして、自死で逝った人たち、
自死でノコサレタ人たちまで、
日本人のほとんどが思い及ぶときまで、
私は生きてたたかいたい。

そんなふうに、人間の尊厳が見張られるなら、
そんなふうに、「人格権」が、
人権の根っこまで、届くものとして、
想像力が働く成熟した社会なら、
そんな人々なら…、
そう願う。
そう願う。

「人格権」、
ともかくその一歩を踏み出した、
そんな日を、
私は天国の人々と思う。
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| のえと共に | 20:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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