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遠い、遠い、誰もが遠い…どこにもいないわたしのカミングアウト

わたしの今日の状態…。
文章を書くときだけは自分を保てる。
あとは、うつろな状態にはまっている。
こういうのは「うつ」とは全く別。

「リカバリ-」の言葉の意味も、現実もとりあえず行きすぎたのとも別。

そのときにひらいてしまった谷閒みたいなものに、
はまったままの一日。

そして、次々ともうすでにブログでかたをつけたことでも、
結局はその人に届いていないだろう、意味の無意味性みたいなものが、
波のようにザブンザブン。

どうしてその人が私にそんなことを言えるのか、
というような、昔のままの思い込みだけで対応している人の、
やりきれない変わりようのない姿に、こちらが実害を受けながら、
対応する苦痛とか…。

ザブンザブン、
それから不意に思い出す。

「のえを喪ったことから、この家族はいったいなにを学んだの。
学ぼうとしているの」
と私が言ったときの全く無意味ではないものの、
はきちがえとしか言いようのないあるこたえが、
唐突にまざまざと甦る。

忘れない脳には蓄積がいっぱい。

つい昨日かおととい、伴侶が、
「ハッタツの人って、忘れない脳なんですってね。
書いてあるの読んでびっくりした。」

私は実は彼女がそれを知らなかったことにびっくり。
ついでに、忘れる脳というのが存在するのにもびっくり。
なんでどんどんみんな忘れたふりをするのかと思っていたしな。
やはりそれでも、忘れるふりをしている、としかどうしても思えない。

のえを喪った。
それは自閉症と二ヶ月前に診断されて、
その特性と共に、私が二人三脚をしようとしていた、
同行二人の相手を喪ったということでもあるわけだけれど、
あんたたちキョウダイにはどういうことになるのよー、ってな訳で、
訊いた訳だけれど、応えはこうだった。

だから、今日のカテゴリーは「厳粛なる病トーシツから学ぶ」。

「だって、私はカラの展覧会だって行っているし、
なにか言われる筋合いがあるのお」。

かくん。
かくん。かくん、かくん、かくん、かくん。


いいよ。それでもいいよ。
代替物でも、弟にかかわっているんですむならいいよ。

のえはのえなんだよ。それ忘れているんじゃなかろうね。

トーシツと自閉は大違いなんだよん。
そんなことまだ判っていないのお、なんてことが点滅点滅。
でも、言わんかったねえ。

これはホワイトゾーンのおおざっぱな理解の弊害のひとつかも。

同じ、のえの妹が言ったことがある。

「トーシツって、感情をおさえることができなくなる病気なんでしょう」。

のけぞったねえ。
でも、黙っていたっけ。私もまだトーシツ初心者の頃だったかも。


「風邪ってさあ、くしゃみが出る病気だってさあ」。
「お腹壊すのってさあ、下痢する病気だってさあ」。


おいおいおい。
弟の人生を、人生の座標軸で見なくちゃだめなんだよ。
ほんの一時期、感情なんてものではなくて、
なにかが暴走するときがある。
そのことの向きとか、根っことかが感じられるようにならなきゃだめなんだよ。

そんな些末的な、ひとときの現象のみ言っていたってなんにもならんのよ。
まして、トーシツと自閉を一緒にするなよなあ。


私、もうたまらないから、カミングアウトします。


私は、自閉症の診断を亡くなる2ヶ月前に受けた娘の産みの親です。

私は、二十歳でトーシツを発症した息子の親です。
そろそろ15年の、見守り稼業をしています。

そして、この二つをあわせて、誇りに思っています。
幸いに思っています。
これほど人生を深く大きく、振幅広く学ぶことにはならなかったから。
二人の娘と息子にこころから感謝しています。

腹座ったよ。

肝心なところで動揺しなくなったよ。


見守り隊は、カラのパートナーのタンポちゃんと二人。
ふだんの何気なくも大切な対応は、私の伴侶さんが得意。

のえはさ。
天国だけれど、私は今も同行二人。
だって、私もそういう傾向の持ち主だからさ。

でもね。
知っているよ。
私は自閉もトーシツも、きわめて親和性があるって。
そんな人ざらにあちこちにいるはずだってことも知ってるよ。

トーシツの一歩手前にまで行った人の話を最近聞いた。
ごく普通のものつくりの暮らしをしている人。

私もその一歩手前まで行ったと思う。23歳だったかな。
でも、体力がないからそこまで行かなかったな。
それから、自覚的に自分の中に起きることと向き合いきったな。
それはそれで、大変だけれど、のりきったな。

そんな人、山のようにいるんだよ。
誰も、日本では口に出さなくなってるんだよ。

なんということもないことなのさ。

ただね。
トーシツは発症するとなかなか大変な人生にもなる。
大変ななかで、周囲はとんでもない学びもする。
厳粛な学びでもあるから、厳粛な学びだと思っている。

ものすごい感性だったりするけれど、
生き様によってはすり減らすこともある。
自閉の人みたいに、人に気を使えないってことは逆にない。
落ち着いてるときは、ものすごい人のことが気になる人。
人に先へ先へと気づく人。
だから、人気者になれる素質もあつたりする。
だから、かいかぶられたままだったりする。

ここに私の人生の本当はコアな部分がつまっている。


私は自閉とトーシツと、両方の特性を潜在的に抱えているから、
ややこしいの。
自分のことにも集中しきりたいけれど、
人のことにもという面も本当はあるんだ。


そして、「りかばりー」のひとことのつよさに一日、
つかまえられたりもする。


終わらない。


おい、
のえの人生からは、のえ独自のものを学べよなあ。

カラとのえは別の人間なんだよ。
別の特性なんだよ。

のえちゃんに生きづらさがあったなんて知らなかった、
なんて、
5年後の命日に「のえルームに来る人のノート」に書くなよなあ。
「のえちゃんのばか」なんて書くなよなあ。

ノコサレタ私たちがみんなバカなんだよ。
どこまでもバカなんだよ。

のえもかなりバカだけれど、
もう天国だから、言う意味ないと思わないのかな。

だからさ。
私たちがバカなんだよ。
バカなんだよ。
バカなんだよ。

そんなこともまだ判っていないのか。

自閉とトーシツは違うの。

トーシツは、
感情が制御できなくなるというような病気ではないの。

それはむしろ、
自閉のパニックのほうが日常的。

今日の私みたいな、過呼吸だって、
ある種、感情の制御をしようとしてできない状態の現れ。
ひとごとみたいに、
特別なことみたいに、
どこにでもある厳粛な、
どこにでもある見えにくい、
二つの特性をごっしゃにするな。

私はそのどちらも当時者性をもった「専門」なのよ。


もう二度と聞きたくない。

と言いつつ、聞くだろうな。
ニコリと笑ったりもしたりして。

べえって舌出してやろうか。

わからんちん。

ケイコ
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| 厳粛なる病・トウシツから学ぶ | 01:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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