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自分がなにを考えてるか、思っているか判らないって本当なのね。

自分がなにを考えてるか、思っているか、判らないって、本当なのね。

その人は、傷つきやすい人だと思います。
今日、あるメールが来て、彼女のメールのままに六月まで会うのを引き延ばす訳にはいかないと、遠いところに住んでいる訳ではないので、とんでいって、ほんの少し間をおいて会いました。

半時間は無理か、一時間、二時間、そろそろ、三時間、そろそろ、と思いつつ、結局四時間話しましたね。

ことばがほどけていくっていいよね。ほどけるようなかみ合い方が最低限以上はあるのって、コミュニケーションをあきらめなければ、ある程度のところまで行けるってのはあるから、それはそれでいいよね。

でも、こころの中で痛みに感じたり、傷つきやすい自分に向き合っていることと、外側でリアルに人に起きていることを結びつけるのってものすごく難しいことなのだと、話している途中から、半ばあきれながらも、ぼちぼちぼちぼち近づいている実感も大切にしているうちに、本当に彼女、感じなければならないというか、感じたほうがいい、ある事柄に行き着きましたね。行き着いて行動に起こしたね。

その途中で、ふっと言ったこと。あんまり、人のことというか、
ヒトゴトっぽいというほどではないけれど、
彼女の側の「自分」が語られていないのに気づいた私が、
「それであなたはどこにいて、どう思ってそれを言っているの」
とかなんとか言ったときに、
「自分がなにを考えているか、思っているかって意外と判っていないかも」
と来ました。

ははーん、と思いつつ、考える必要のない人たちのことをあらためてかみしめました。
へぇっ、と思いつつ、私たち…彼女と夫のことです…は「とりあえずなにもない」の含蓄をかみしめる「宣言」もしたあとに、「マジョリティの側にいるんではないですか」、というあたりを、そういう言葉ではなく、かみくだいて話しました。

黙っていても、人が認める組み合わせ。黙っていても、なんとか考えなくとも切り抜ける立ち位置。それは自分の立っているところを思ったり、見つめたりする必要がないということをです。

私には、よおく、判りましたね。そういう人たちの精神のありかが。

ただ、その人は「傷つきやすい」人なので、人の傷つきやすさだけは判るのです。
そして、ある人に、あの日の私とヒデコの語りを、
「今までさんざん傷つけられつづけたことを語っていたと思います」
と語ってしまった自分と向き合って、いたく反省していました。
それが、その人の傷つきやすさの反映だとは、私はあえて言いませんでしたが。

ヒデコがインタビューされた記事の草稿を、私が15分で添削したとき、「ヒデコさんは思い悩んだ」とトーキョーの若造が書いたのにあきれて、どこからそんなに簡単に書いているの、どう思い悩んだか知っていて書いているの、といった指摘をしたかと思います。

こういうことって、「思い悩み」きっていない人が、ついつい投影して書きたくなっちゃうのよね。思い悩んでいない人は一切書かないとは思うけれど…。
でも、自分勝手な、思い上がった投影はだめなんだよってことは、今日の彼女は気づいたのだと思います。

言葉だけはかみあっていく人なので…。そして、感受性と思考がおりなしていく会話の妙がある人なので…。葛藤を手放さないというより、手放せない自分があるので。

いやあ、それにしても、リアルな外側の、つまり他者の現実に至るまでには、四時間、そう、あの晩のあの五時間があったうえで、また四時間が必要だったんですよね。

なんという自分の落ち度、なんという無神経さ、って気づくのにね。
つまり、この場合、傷つけた、ではないのです。相手に対して無神経だった、と立ち位置を立て直して言うことなのです。

これは昨日のブログの事件とは別件です。隣接する地域の東西の壁問題がらみ。
まあまあ、このくらいにしておきましょう。
どんなにつつましく物作りとして生きていても、マジョリティはマジョリティなんだわって思います。こういう言葉で煎じ詰めたくはないんですけれど…。
そうではない側面もあるから、ここまで話せたって面もあるのでしょうし。

自分の芯には、傷だらけの感覚と無意識しかなくて、なにを考えているか、なにを思っているか、判らないってものすごいことですよね。
感心しました。いやあ、ものすごいこと。

昨日の事件は、ヒデコの誠意あるエネルギーと相手へのきちんとした説明で解決したようです。全フライヤーに、やきものは誰の作品かが判るようにシールを貼るようです。

昨日の事件の相手の人とは、少なからずヒデコが信頼関係をきちんと築いてきたことが功を奏したのだと思います。それにしても、関係ない人の横やりがうるさい。人と人が筋の通らないことを、もう一度通るように話し合っている姿を見るのが、うとましい、やましい人たちっているんですよね。いても、ふつうは黙っているんだろうけれど、黙っていないってこれまたすごい、というかひどい。たまに、ヒデコのネット上の書き込みを削除するのと同じ人。

そういうマナザシには、そういうマナザシを持つしかない、その人その人の必然性があります。それを突き抜けるのは、その人がお寒い自分と決別したいと意思するかどうかだけのような気もしますが、そうもいかないのかもしれません。この人もヒデコがかなりなんてものではなくて、深く広く、きちんと関わってきた人物なのですが…。

今日、四時間語りあった彼女は、ふっと言いました。
「こんなに年が離れているのに、こんなにちゃんとに話しているケイコさん…。」

やりとりをしているときは忘れています。そして、彼女のおばあちゃんと、私の母親が同じ年だったとき、一瞬、世代ひとつ飛ばしているのを忘れて、彼女のお母さんのことかと間違えるほどの私がいます。

ええ、彼女との話のあと、夕刻、ほんとにお寒い一瞬もあったけれど、これは気の小さい「男の子」とのことなので、あえて書きません。

川の流れに、だっけ。そんな唄とメロディーが浮かんでくるような思いの早めの夜。
川の流れにそって、ああ、このあとの歌詞が出てこない。

私も少しは大人になったんでしょうか。


ケイコ
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