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「よめっころばし」、というおぞましい俗称を思う

「よめっころばし」、というおぞましい俗称を思う

この事柄については、もう一生触れたくない思いと、
触れるなら、しっかりとした史実とか事実に基づいた、
通称というべきか、俗称について考証をかさねるか、
のどちらしかないと考えていた。

できたら、この言葉を発したくはなかった。
発しただけで、そういった実害に遭いそうな、
そんないまわしさの暗闇の向こうの奥行きがおそろしかった。

1980年代に、一度だけ、
現在の「ふぇみん」、旧婦人民主新聞のコラムを担当したときに、
このおぞましい俗称について考察したことがある。
私のコラムは、コラムの字数のみならず、
そのコラムの枠にある、「おんなの解放」という枠をはみだすような、
リアルで象徴的な事象で、溢れんばかりにはみだしそうだった。

古い書き手たち…それはすなわち婦人運動の創始者たちだったが…
には、ずいぶんと評価されたらしいが、
それが若い記者たちの意識に刻まれた様子はなかった。

だいいち、一面トップに載った私たちベロ亭の、
時期をずれて掲載された当時の記事は、
その若い記者の表面的にしか物事をとらえられないまなざしに制約されて、
たとえようもなく面白くない記事となった。

ただ、写真のキャプションだったか、記事の一節としてか、
私が言った「弱さから出発する自立こそ」に反応した、
各地の読者は何人かいた。
そんな読者の一人が北の果てのキャラバンで、
無理を承知で大歓迎してくれて、まさに「弱さから出発」しようとしている、
そんなあがきも含めて、そこに存在していたことは忘れられない、
そんな彼女の痛みをともに刻んでいる。

昨日、うちに来たある人は、
「嫁ころばし」ではなく、「よめっころばし」と言った。
この言い方がこの地域ではリアルなのだと思った瞬間から、
その奥行きのおぞましさを、いやおうなく思わざるをえなくなった。

言葉は、その調子、その響き、その抑揚とともに生きてあるのだ。
そして、その人の口元から思い出したくもない口調でそう語られたとき、
まさによりいっそうのリアリティをもって立ち上がってくるものに、
35年ぶりに身震いした。

それは、私がこの地の人々に近づいたことをも意味した。
それは、私がこの地の女たちのリアリティに近づいたことをも示した。
近づきようもないながらも、私たちもまた、
そういった現実をも生かされているということをも知らしめた。

平凡社ライブラリーなるものに興味を持って、
600冊ほどのライブラリーの蔵書のアマゾン検索をおこなった。
そのなかに、宮本常一の「日本残酷物語」数巻があった。
民俗学の始祖として、信頼に足るのはどうも宮本常一らしい、
そう勘づけて久しい。
のえの音楽性に、のえの草創期であった東京時代に、
すでに目をつけていた書き手も、宮本常一を旅するという、
そんな著書をものしている。

「よめっころばし」と言われたちょっとした峠道には、
古い古いお地蔵さまがあるという。
その坂の向かいに立つ、現在の建物に建てかわる前にあった、
大きめの崩れかけたバラックのことを語ると、
地域の人が、まゆをひそめるように、
しかしながら、卑猥なあやしげな笑いを浮かべたことがある。

そのバラックとその峠の名称を結びつけたことは今までなかった。

昨日、もしや…と思って、悪寒が走った。
そんな、まさか…そう思おうとした。

おそらく、私の思考の道筋はこんなふうだ。

「よめっころばし」は歴史的におぞましい事実なのだと考えようとしていたのだ。
ほんの数年前まであった、あのバラックとの関連で考えたことはなかったのだ。
実際、関連があろうがなかろうが、
そう考えてみることで立ち上がってくる、
現代にも息づく、おぞましい黒い霧のようなものが視野に入ってくる。
それを視野に入れたくなかった自分がいる、
視野に入れたくなかったと、
気づいたと言える瞬間だったのかもしれない。

息子がこの地域の保育園に行っているときに、
はつらつとした保育園の担任に、
「お母さん、まだお若いのに…」と目を細めて言われたことがある。
若いのに、なぜ「けっこん」もしないで女手ひとつで子育てをしているのか、
という意味だったのだろうと推察する。
さりげなく笑顔で聞き流した、そのときの感覚は今もはっきりと甦る。
ちょうど、30歳の頃だったかと思う。

ヒデコは…。
この集落に引っ越してすぐに、「縁談」の話があった。
実に正式に持ち上がりそうな話でもあり、きちんとお断りした。

すごいところに来てしまったなあ、というのが、
その当時の偽らざる実感であった。

偽らざる実感を考証しているのは、なんとそれからも30年以上もたった、
現在であるというのが、またまたそのおぞましくも偽らざる、
現実の証しなのだということに息を呑む。

しかし…。

息を呑んではいられない。
息を吐き、
息を吸い、私はここで生きる。

今日のところは、俗称のだいたい聞いてきたいわれは書かない。
もっともっときちんと知りたいとも思う。
やっぱり、知りたくないと思いつづけるかもしれないとも思う。


もっともっと奥は深いというべきか、
おそろしくもおぞましくも、
今でもあるのだと思ったほうがいいと確信して一夜が明けた今日…。

なぜなら、そういった俗称が生まれることによって、
それをもって払拭しようがない地域史が再生産されるのだということに、
昨日の昨日まで、
はっきりとは意識化されていない自分に気づいたからだ。

その峠は、300メートルほどの峠道にすぎないけれど、
目を覆うような切り立つ崖でもある。
崖の上から、谷底へとある日あるとき、なにが起きたのか。

知りたくないけれど、
ここに36年住んだ書き手としては、
知らずにはすまないときが来るのだろうか。

畏れおおい。
「日本残酷物語」のひとつ。
ただの言い伝えとしても、それにはそれの根拠がある。
ただの伝説としても、それにはそれの背景がある。


そこに住む36年後の私たち…。

ケイコ
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| タイムトンネルのこちら側の奇々怪々 | 16:33 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

正直言って、気はおもいんですよ。
それをフクイ弁で聞かなければならないということそのものに、気がおもくなる私自身にまた、気がおもくなるという感覚。
どうにもなりません。ただ、知りたいとはやはり思う。

| ケイコ | 2014/05/08 00:15 | URL |

峠やら坂やらが多い地域で、あの道の急な奈落は、すごく印象的だよね。歩いてとおることはなかったけれど、車で行くときのアクセル、ブレーキ、ハンドルをちゃんと抑制しないとならない感じ、体で覚えています。撥音便が入るってことに、意味がまた加わるのでしょうね。ケイコ氏の筆でいつか、知りたくおもいます。

| KAGE | 2014/05/06 23:18 | URL |















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