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生きるこの場を信じたい・だからブログを書く

生きるこの場を信じたい・だからブログを書く

今日は昼から、二つ目のE県の取材。
一人目は、喪失体験のある方だった。
今日は、障害のあるお子さん…といっても成人しているけど…、
と共に生きている立場の女性だ。

E県をフクイ県でもなく、
福井県としてノンフィクションに明確に出すのか、
というのが、現在の私の最後の課題のひとつになりつつもある。

そんなこんな含めて、「仕切り直し」に命を賭けている。
まあ、命がけと言わないまでも、相当の気持ちを注いでいる。

しかし、「仕切り直し」をされた側にとっては、
なんだか不思議な手紙が来たり、
ただ舞い上がる誕生日や旅立ちのプレゼントが届いたり、
そういうのにすぎないのだと、知らされる日々が続いている。


舞い上がらせると、勘違いはひどいものになる、
というのがおとといの体験だ。
ある方のお子さんの誕生を、誕生日を、
その方の出産を、育児を祝福しエールをおくる私のカードとプレゼント。
そのお返しは、とんでもなく残酷なカードの言葉だった。
今すぐ、ここには書けないほどのものだ。

実は二日ほど前の「待てど暮らせど」エピソードは、
のえの妹の双子ちゃんとのことだ。
彼女たちもつなぎたいという思いがあるから、
私のよりによって、頭に来た内容を綴ったものを、
別の人に送るはずが当人に誤送信したゆえに、
とんでもない危機的な回り道をした。
心臓に悪かったけれど、回り道をする甲斐は、
この子たちに関してはあるし、
回り道をさせる気づかなさが背景にもある。
私の誤送信はそれを浮き彫りにする結果になった。

最近知り合った人で、なんとこの土地で車を運転しない人がいる。
正確に言うなら、車を持たない生活をしている。
だから、バスか徒歩か、そうでなければ人の車に便乗となる。

主体的にベロ亭を訪ねるなら訪ねてほしい、
そういう思いが募るようになって久しい。
いつもこちらが動かなければ、対話をも成り立たない。
対話や電話で足りないことをメールすれば、
メールのやりとりは苦手で…と、とうとう言ってきた。
カンペキ、閉じた生活を享受するシステムを彼女は作っている。
あとは、周りが動くかどうかだ。

私はそろそろ動きたくなくなった。

私は私で、私だっていつも人と対話したいと思ってはいるものの、
その対話は対話でものすごく疲れるから、
セーブもしなければ、取材のエネルギーも残らない。
いや、誰と話していても、最近はE県取材的な要素はあるけれど。

なんかすごく理不尽。

対話も電話もしている人に、
言えなかった思いをメールで言えば、
メールは苦手ですから…って。

私もそうなんですよねー。

トーキョーの「応援団」もどきに集った一人にも言われた。
実際に会わないとだめなんですよ、僕はね。
はいはい、だから、会えない間は何の進展もありません。
トーキョーのこの筋の人たちとは、
電話すらもままならない。なかなかつかまらない。
時間制限すら最初に提示される。
はいはい、40分で話しますよ。
あなたの貴重な貴重な時間に、
私や、のえの事を入れる時間は、そう40分なんですねって感じ。

昨日、煮詰まりつつあったのは、
トーゲー村の奇々怪々がらみの事柄。

やはり私としては、人間としての「仕切り直し」をしたはずの人から、
トーキョーの展覧会のあとの、手土産がおつきあいのつもりか、
届けられました。
キャンキャンとしたお腹かからは一切出ない声の話し声が続きました。
私には途中からただの音声にとって変わりました。
残酷でした。
彼女の壁のあつさ。闇の深さを思いました。
キャンキャンないているわんちゃんたちの闇も深かろうね。
僕たち、こんな生活したい訳じゃあないんだよってなもんで。


そうそう書き忘れましたが、
ネット村八部の少し前のブログで、
ニューヨークのカップルとブログ上の書き込みでだめになったのは、
私が「動物園の動物がかわいそう、
「残酷」って言った意味が全く判らなかったのも大きいのです。
あんなの収容所だよねえ。
みずから、マンションの一室とかゲージ飼いの鶏みたいな、
そんな暮らしをしていると判らないんだなと思うと切ないです。
これでは、人間として最低限リアリティのある、
対話の積み重ねのスタートラインにも立てない、
だから撤退した次第です。

トーゲー村に触れることは、
ヒデコのつらい孤立に触れることにもなる。
しかしなあ。
ヒデコさんに会費500円でペルーの話でもしてもらって…、
なんてことを次世代がお手軽に言っていると知ってしまって、
私はいてもたってもいられなくなっています。

別のネット上で、ヒデコは相当でっかいし、
多くの「支持者」を私とは違ってつかんでいますが、
最近、ある人に、彼女の貴重な指摘を削除されることが続いています。
そんなことが許される訳がないようなマナーの悪さ…。
指摘されることそのものにむかっ腹を立てているだけなのは察するところですが。

ベロ亭のあるM町の角に入るとき、いつももう何億回も、異次元に息を止めて入っていくようなそんな気分を味わってきました。
なのに、そんな隣近所の人でも、今や、ネット上で「いいね」なんてする時代。
恐ろしいと言えば恐ろしいけれど、素敵と言えば素敵。
恐ろしいと素敵が隣接して、裏腹に存在して人々を脅かす時代。

なーんにも、おかしいことをおかしいと言わずに来たまま、
この地で私は死ねません。
この地で生きた、生きた私を表出したいのだと思います。

トーゲー村でヒデコが勘違いされたままで終わるのは忍びない。
パートナーのおせっかいというまなざしもあるけれど、
それはヒデコすら途惑う私の怒りだけれど、
私はこのフクイ県での孤立の一端としてすでに視野に入れてしまっています。

つい先日までは、東西の壁がぐわーんって立っていたのですが。

ええっ、東西の壁をもう一度立てろって言うんですか。
壁は一部崩れただけにすぎないのは判っています。
だからって、どうしろって言うんですか。

フクイの人の心内に少しずつでも近づきたい。
ずっと異邦人の町とムラだったこの地の人たちの、
あるなら本当の良心とバランス感覚、
するどい痛み、許せない怒りに近づきたい…。

珍しく、朝起き抜けに書いた、やむにやまれぬブログです。


ケイコ
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