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ガラパゴスは進化の宝庫・ネット「村八部」をかみしめながら

ガラパゴスは進化の宝庫・ネット「村八部」をかみしめながら

最初に、携帯電話を持つようになって、何年たつだろう。10年は使ったのかな。2台目。
ガラパゴス諸島のリアルな実態を知らない人たちが、この携帯電話のことを、もはやガラパゴス携帯と呼ぶ時代になった。スマホ、アイホン…。おかげで、ベロ亭とのつながりを復活してくれた近場の人もいるにはいる。

会える関係はいいんだ。以前から知っている人との関係もそれでいい。ネットがあって、パソコンや携帯のメール交換、もちろん電話での話もあって、実感が続いていく。それにしても、人の肉声を聞くこともきわめて少なくなった。電話の話だけれど。

今日、私としては、かなり悲しいネット上の事件があった。会話のあるソシアルネット。しかし、なんでソシアルネットというのだろう。こういうツールは本当に社会性をつちかっているのだろうか。

私はまずヒデコが書いたその内容をパートナーとして分かち合う。きわめて現実的に分かち合う。一緒に経験することは、最近はこの地元では少なくなっているけれどね。それはあくまでも、リアルな現実。

それをヒデコが、ネットで見た人とやりとりできるツールに、まとめて書き込む。
そうして、私の手の届かないところでやりとりが始まる。

たまーに、そのツールに私はヒデコのアイコンで入り込んで、たまらなくなって書くことがある。今日はその三回目。めったにはしないようには努力しているんだけれど。
がまんできない話題。これを言わせてはおけないよってテーマ。

今日は、歯医者に出かけるヒデコに向けて、そのツールがマーク・ザッカーバーグというアスベルガー症候群の米国の大学生が、一人も学内に友達がいない状態で生み出したツールだということを書かずにはいられない気持ちにまでなって、ヒデコに断ってそう書いた。

私はヒデコを通して、定型発達の研究を進めている面もある。だけどね。ここまで、こんなふうにこんなやりとりをしていていいのかな。そう思った。最初の彼女の文章の真意がこれでは違ってしまう、そう思えた。ネット村社会にもの申したくなったのである。

詳細は省くけれど、そして、私自身、「ネット村社会」向けの人間ではないから、このツールをやる気なんてさらさらないけれど、「きっちり言葉を書く物書きには無理」なんて言われてものすごく悲しかった。ヒデコが、「本人がネット村社会は無理」と言っている、ときちんとおさえてくれたけれど…。

携帯だって、メーリングリストがある。のえは、このツールでさんざんな目に遭っている。あれは相当、のえを追い詰めたことは間違いないと私は確信している。自分には不向きだと、のえも悟っただろうけれど。

のえはそれでも、自らブログをつくり、日記をアップし、掲示板ではファンとのやりとりもしていた。ライブあってこその掲示板だったんだと今日気づく。

私は…。

自分から、あるブログからすっかり身を引いたことが、まず浮かぶ。ニューヨークに住むレズビアンの次世代カップル。とっても良い出逢いをしていたし、ニューヨークで同性婚が認められたときの様子など、リアルタイムに沢山の写真で知ることができたのは、このカップルとのブログつながりもあったからだ。

ところが、彼女らの一人の愛猫のかわいがりっぷりに、ただただ「かわいい、かわいい」と言わなかったことから、怒られた。猫というのは、そもそもヒモでつないで散歩させたり、閉じ込めて飼ったりっていうのを信じられない気持ちを、やんわり出しただけだ。ネズミを食べて、しっぽとある臓器と頭をのこすなんてのは、野性をのこしている猫の常識だと、私は今でも思うし、この話が通じる人は今も沢山いる。

しかし、猫はもはやペットではなく、生きたぬいぐるみなんですね。
かわいがっている猫のことを、「かわいそう」と言ったら、向こうが切れたね。
自ら、このブログからは撤退しました。
カップルのもう一人から丁寧なパソコンメールが来て、おつきあいを続けたいと言われましたが、無理だとお断りしました。残念ですが、無理だと思いました。

もう一件。
この地域出身の「アスベルガー症候群」を売りにしている歌い手さんのことです。
彼女がこの市内で帰郷ライブを、まあよりによって自殺予防月間のイベントなんかで、しかも、のえの追悼ライブをやった大ホールで…のえの追悼はその廊下みたいなところだったけれど…やったときのことです。それ以前の大阪でのいきさつは省きます。
大阪の仲間はきわめて彼女に対して醒めていたけれど、東京の人達は熱狂的に信奉していましたね。今も多分…。

私は彼女のライブを聴いてから、この歌い手さんのブログに、のえのことも含めて親近感をこめて書き込みました。

「よくないです。おやめになったほうがいいです。」
と本人から、まるで自分の体験からさとすように言ってきました。
ある程度の回数のやりとりをした上で、筋を通すということを全く知らない、ワガママアスペさんに過ぎないと悟って、かかわりもやめました。


実は、私の誕生日の直前頃には、やはりヒデコのやっているネットに、やむにやまれず書き込んで、…そういうときは私であることは明らかにもちろんしています…、それはきわめて私の人生にとって重要なテーマだったからですが、最初の書き手はどう受け答えするか、その内容ゆえに悩んだようですが、結局、無視されたかのような状況になり、二人の次世代がフォローしてくれて、少しだけ救われたこともあります。
これは、近いうちに、このブログに加工して転載します。

そして、実は昨日のブログも、そこからの転載です。「トークバック」についてのね。

違反をするくらいなら、やればいいっていう意見も今日ありました。
でも、私はきっちり言葉を使う人だから、同じ人から不向きだろうとも言われました。

なんか、やはりものすごい不当感が募ります。それって「偏見」だよーって思います。
私の冗談が通じる人は少ないの。きわめつきの冗談やりあったり、そういうのしたいなあって思います。でも、その前の思考の蓄積をしている人が、日本社会にはきわめて少ないので、まずはやや真面目に、ときには大まじめに、ときにはケイコ節で、このブログで書くしか、私としては方法がないのです。

いやはや。
最近はそれなり長いメールも、疲れて寝転がって携帯で出します。パソコンにするときは、よほどの用事のときですね。

肉筆の手紙はものすごく貴重。
それが悲しい知らせだったり、唯一の習慣みたいな年賀状で、このときばかりはーって感じで、悲しい思いをするのももう沢山。

高校時代の親友は今でも、封書の手紙をくれます。まあ、ネット世代ではない世代がまだまだ「伝統」を守ってはいますけれど…。

今日、ヒデコとゴー君が、窯場の棚つくりやら、それに伴う、やきもの材料の大袋の引っ越しなどしていて、大昔の福井新聞が出てきました。字が小さい。
「わっ、福井新聞ですら、こんな小さい字だったんだ」ってやや問題発言をしていました。

ゴー君が生まれる前の新聞。しばらく彼は見入っていました。大事な昭和の資料として取っておくことにしました。彼は社会的な事柄など、色々と紙面から知らない情報をわたしたちに質問しました。抵抗している市民がいた時代だったと、彼が読み上げる記事から判りました。

ネット社会ってなんなんでしょうね。

のえは新聞が大好きでした。配達も小五から、雨の日も雪の日もしていたけれど、読むのもものすごく大切にしていました。

私は最近、テレビも見ないけれど、新聞もへたをすると日曜版の書評も読み忘れそうになります。うちは、福井ではめったに見られない朝日新聞ですが…。

今日、あらためて、ゴー君と「才能の孤島」の話をしました。
自閉症スペクトラム圏にある人に、けっこうある傾向なんですね。
他の対人スキルはなかなかでも、ある種の事柄のみ、秀でていたりする場合。
のえの場合は唄。声。

ゴー君もあるよねっなんて、話してました。

ガラパゴス、孤島携帯だって、
私は最初に持つときには、抵抗しました。長い間、抵抗していました。
たった一人でいるときに、一人になれないなんて、なんてひどいことだろうと思いました。
孤独は創造の源泉です。一人で、全くのマイペースでいたいときもある。

ヒデコになにかあったときの連絡ということで、やむなく承伏した次第です。今では使いこなしてはいますが。まあ、全ての機能ではないかもしれませんが。

シリコンバレー症候群とは、ネット産業の聖地みたいなところから生まれた名称です。
コンピューターは、自閉症スペクトラムの才能の孤島から、めきめきと発展をとげました。


これが人類の歴史のアイロニーと言わずして、なんと表現すればいいのでしょうか。

私はこの「ガラパゴス・ブログ」で、ひたすら進化を続けるつもりです。年末年始頃には、少しとんちんかんなコメントに、実は芯から参りましたが、それでも、最近はなぜか五つ止まりの拍手を糧にしつつ、濃い濃い出逢いを紡げていることで、自分をもねぎらい、人様をも、ときには刺激できているということを誇りに思っています。


板についてきた「ケイコ節」ゆえに、あの「よっこらしょ」の出逢いでは、まさにトーキョー弁の「ベランメイ調」で、しゃべりまくっていて、我が言語、我が話し言葉すら取り戻した感があります。

リサーチするとこのブログを見ている人は相当数。
拍手できない心境でも、コワイもの見たさか、芯からの面白さかは知りませんが、見ている人も含めて、ガラパゴスの孤島の、限りない進化を生きている限り、見届けていただければと思います。つまり、私が生きて書き続けることができる限りってことですが…。


ガラパゴス諸島は、正確には諸島です。
集まれ、ガラパゴス。

エクアドルに住んでいたとき、行こうとして行けなかったほど、旅行費用が高かった島。
その代わりに、ペルーではミニガラパゴスと言われている、海からすぐの島に行って、ペンギンの群れとか見ましたけれどね。


観光化すれば、種の保存も進化も危うくなります。ガラパゴスは本当は、誰も足を踏み入れないほうが良かったのかもしれません。

そんなふうに孤高の輝きをのこして、地球という地上を去った、世界の辺境を生きた人々のことを書いた長田弘の「私の二十世紀書店」、ものすごい本です。
孤立しても孤立しても、人は輝いて生きる。孤立へと追い詰める状況が人をむしばむことは避けられないけれど、誰のものでもないその人自身の孤独は必要不可欠なことです。

孤独のなかからの、本当の発信をこそ、信じたいと思い直す、そんな「ネット村八部」のあとの、静かな深夜です。

ケイコ
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| ネット社会で | 01:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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