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私も、それぞれの人生の見積書とか請求書とか出したいもんだわ、出したらどうなのよー

ケイコ節のカテゴリーにしました。
ケイコが「どけち」だという話ではなくて、
やさしすぎる自覚を持たされるはずだ、という話です。

でも、理解できない人は、「どけち」という結論を出すのはご自由です。




のえと二人で雪の降る中、
十二月のベロ亭でジープがどうしても出せなくなったとき、
行きつけの車屋さんに電話をしました。夕方でした。
駆けつけてくれて、溝にはまったジープを出すには出せました。
そこの顔見知りの主人だけではなく従業員も営業が終わった時間ぎりぎりで、
来たので三人の男が雪をよけてかいて、
10分で作業は終わりました。

請求書が後で来て、のけぞりました。
その事を誰に言っても、当たり前だということがいまだに私には判りません。
10分ほどで一万円の請求書。

この土地で生きていく意味を問うような金額とその働きでした。
従業員を時間外にかり出したということとか、
それが常識的な値段だということだけが、
私の意識に働く訳ではありません。
本当は、従業員に15分三千円から五千円払ったというのも、
理解できない。

     〔私は、外国人に日本語を教えても、
      一時間、千五百円が最高だった。
       そのために、二時間準備したよ―。〕

こういう時に、プロにしか頼めない人間関係しかない、
そういう嘆き、そういう情けなさ、そういう不条理がぜんぶ襲いかかってくるのです。


ここには、友達はいない。
のえと私が二人でいたその日、
ヒデコは県外で個展だったか忘れましたが、
のえは温泉に行きたいと言ったのだと、ヒデコは記憶しています。
私から伝え聞いたのだと思います。

私はその金額だけが、恐怖のように、
ここの土地で生きる不安の証しのように、
人間を頼るのではなくお金しか頼れないという指標のように、
お金なんかでほとんど評価されていない、
不渡り手形みたいな人間として、
自分に向かって死亡宣告されたような「値段」として記憶されているのです。


「実」を生きている人たちにはきっと永久に判らないのかもしれません。

こういう「実」に耐えられない人間が、
もしかしたら、ホームレスとか野宿者とかになるような気もします。

今日は、それなり楽しんだので、納得しよう納得しよう納得しよう、
と自分を言い聞かして、六千円を払いました。
百円でも、まあ、せいぜい五百円でも無駄にしないように暮らしたい、
という最近の私には、ものすごい出費ではありました。
でも、背に腹は変えられない来客。

昨日は、私たちなりのフルコースを、
そんなに大ごちそうというほどでなくとも、
一通りふるまいながら、沢山の話もしました。
きっと、人から何かをきちんと指摘される機会が少なくなっているだろう方に、
それなりの言葉を費やすのに、私なりのエネルギーも費やしました。

昨日も今日も、それがいやだった訳ではありません。


今日、機能的に、がたおちのこのパソコンの買い換えの相談に、
乗ってもらっている方から、見積書と請求書が来ました。
けっして、15分で一万円なんていう請求書ではないし、
雪かきとこの種の「サービス」が同じ質のものとは言えないと思います。

   〔若造がこっちが見えなくて一方的に書いてきたなー
      それにしても。〕


それを眺めながら、いっそ、私も、
各々の人生に費やした、私の側の見積書とか請求書とか出して、
全然構わないんではないか、
いや、出さなければ誰にも判らないのではないか、
と思うに至りました。
思うのは自由でしょう。

理不尽。
不可解、
意味わからん。

人が一人亡くなったんだよ。
人が一人亡くなったってことは、
お金が要る、その人の人生丸ごと、お金が消えた、
まあ、生命保険屋さんとはまったく違った意味で、
そのことを汲んでくれたのは、「のえルーム」に来ていた、
あるうたうたいの、ものすごくシビアな人生を生きてきた女性だけでした。


のえの草創期を知る、音楽仲間に会いに行って、
彼のことで、のえが書いた日記を見せたら、
「これで、ゆすれますなあ」と冗談半分、テレ半分で言いました。
「あっ、そんなことまったく思ってなかったけれど、
ゆすっちゃおかなあ」
なんて言ってた私でした。冗談ですよ。
行っておきますけれど、100パーセントの冗談。



考えようによっては、
のえを「ころした」人たちに請求書、見積書まわすこともできます。

私のエネルギーを、
私の心を砕かせた人たち、
私の魂をそれとなく活用した人たちに、
請求書、
見積書まわすこともできます。

   〔ましてや私の魂をふみにじった人には加害者としての慰謝料の請求も可能です。
     ありえない年賀状の主とか、かけがえのない講演の後の、  
     ありえない暴言の主とかには…とりわけね。〕


ものすごく楽しい、
ものすごく甲斐があるか、に見えた、
二日間が過ぎて、至福感つきぬけて、
ヒデコと大ゲンカしていました。


今日は、うるかふぇに行って、物の入れ替えだけですから、
私は立ちんぼでいました。コーヒーは飲みたくなかった。
仕事で行った訳です。
いつの間にか、コーヒー代は請求されていた。
私は、頼みもしないコーヒーを飲まされた。

花を生けたかったのです。
庭の花はまだ、蔓草しか切れなかった。
途中のホームセンターで、九百八十円もする花束を、
身を切る想いで購入した。
白い百合、かすみ草とは違うけれど、
縦横に伸びた枝をしなやかに持つ草花…などの束。

それを花瓶を生かし、ツボを映えさせるために生けた…。
私の動作は、店主やスタッフには自明だったはずだ…。
その私の動作は、店内をも生かしたはずだった…。



百円、二百円でも無駄金は惜しい。
六千円支払った居酒屋さんで、残っていたおでんの具を残したまま、
立ち去るのがやましい。
そうやって生きてきたのに、そうやって食べてきたのに、
その二つの具で、一回、お腹がふくれるのに、
そうして、その分、世界は豊かになるかもしれないのに、
私はそうできなかった自分の、自分らしくない「みえっぱり」が悔しい。


心にも値段をつけたらおしまいか。
魂にはましてや…。

のえの人生を描いた本は、少なくとも一冊五千円くらいにしないと、
割があったもんじゃない。
それでも、必要としている人たちには売れるだろう。
売る?
買う?


ずっと通ってきて、就労支援という訳ではないけれど、
二年間近く、フォローし続けていた若者にか、若者の母親にか、
私たちは百万円請求してもいいほどの仕事はしている。
その十分の一くらいの仕事を彼にしてもらっている。

それでも、請求書も見積書も出さないよ。
出していないよ―。
出すべきだっていうのか。

「応援団」と称してお集まりだった方々に、
自死に向き合う当事者支援料としての気づいていただき代として、
…私からのスタッフ兼、ファシリテーター、兼ケア、兼サポート料として…
請求書を送るべきなのか。

徹底的に私がケアしてさしあげた方、
要職についているから、お金に困ってなんかいないじゃないか。

あの貴重な冊子だって、私が必死で見つけたものを、
横取りしただけじゃないか。ただで-。
その上で、「また集まるときは誘ってください」
に私はあっけにとられたんじゃないかー。

「応援団」の人に、シュトレーンを二千五百円のところを五千円出してもらったら、
いいんじゃないか…って他意なく提案した人は、
シュトレーンを作る労働と、ヒデコの本職をどう考えているのだろう。

私は毎年、百万円から二百万円、個人的に募って、
千円から、いや五百円から一万、三万、十万って集めて、
それで、ペルーのクスコに支援に行っていた事実を、
それならどう換算したらいいっていうんだ。

   〔ペルーでの現実なんて語りきれないよ―。〕


それは私のしていることを信頼していたからだよ。
目に見える、わかる言葉にする「余裕」があったからなんだよ。


人生の見積書、請求書、各々に出して、支払ったもらえたら、
私の去年の収入はいくらくらいだったろう。
そして、こわれた人間関係と築けた人間関係のつりあいは、
いかがなものだろう。

お金がこわい。
お金をあやつる、人間がこわい。
そのこわさを私が知っているということを、
今日の、とある場所で、私たちが人生の大きな具体的な選択をしていたとき、
居合わせた苦労人の男性はおそらく知っていたのだろう。
だから、私が念押ししたとき、
顔を赤らめたのだろう。


一度も、
私は、フクイで、見栄でも外聞でもなく、
芯からごちそうになったことはない。一度たりともねー。

無数に人にごちそうしたことはあるけれどねー。


このあいだ、1月のある日のごちそうは、その昼に出しそこねただけのものだと、
余っていたからだと、そう知っていたけれど、とりあえず嬉しいことにしたのです。

とりあえず錯覚しただけの関係からはそれだけのものしか生まれない。


シンボルスカの引用で結びます。

楽しかったけれど、切ない、かなしい、二日間のあとに。


もらい物は何もない

もらい物は何もない、すべては借り物
借金で首が回らないほどだ
自分の身で支払い
命の支払いに命を投げ出すことになるだろう

もうそういうことになっていて
心臓を返さなければならないし
肝臓も返さなければならない
指一本一本どれもこれも

契約の条件は破棄するにはもう遅すぎる
借金はわたしから身ぐるみ
それこそ皮ごと取り立てられるだろう

借りを背負った他の人たちの群にまぎれて
わたしは世界中を歩き回る
翼の返却を迫られて
困っている人もいれば
葉っぱの清算をいやおうなしに
しなければならない人もいる

借方には、わたしたちの身体の
すべての組織が含まれている
まつげ一本、茎一本といえども、
返さずに持っているわけにはいかない

貸借対照表は正確で、何も見逃さない
どうやらわたしたちは
無一文で取り残されることになりそうだ

ただ、どうしても思い出せない
いつ、どこで、何のために
わざわざこんな金勘定の口座を
開くことになったのか

それに対する抗議を
人は魂と呼ぶ
そして、この魂だけが
貸借表に載っていないただ一つのもの






思いも心も、おそらく魂のかけらくらいは、
届いてきただろうあとにも、このシンボルスカの引用をまた再びしている私。

遠くから駆けつけてくれた人と楽しく過ごしたあとにも、
雪かき三十かき、一万円を思い出すわたしという人の人生…。


貸借表に載っていない、のえの人生と向き合って足かけ4年。

のえを「ころした」私も含めて生きている全ての人々の、
貸借表を見つめつづけたこの足かけ4年。


楽しんでも楽しんでも、
久々に笑っても笑っても。



ものすごく判り始めているかもしれない。

のえの最期の居場所が「野宿者のテント村」だってことを。




のえの唄聴いていただいたら、
そうね、
一回、一曲、一万円くらい。

のえが怒るか。
がはは、笑うかあ。

ケイコ
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| 心底飛びきりのケイコ節 | 00:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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