PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

人間って、どこまでゴーマンになれるんだろ。「思い出させてすいません」って、思い出している者同士がつながっていればいいだけよ。

ああああああああああ、また勉強しました。
人間ってここまで残酷にもゴーマンにも、
ものすごく良心的そうで品位のある年配の方までなれるって、
すごいことかもって、体中に震えが来て、怒りが走って、
でも、そのうち、そんなもんかってふうにも思ったりしつつ、
なつかしいついでに、今日、
のえのゆかりの西成の立ち飲み屋さんにお電話しました。




今日は、人生で大きな区切りになるような別の決断を二人でしました。

それから、西から一人、東から一人、
ふいに贈り物といっていい連絡をいただきました。
ありがとう。感謝しています。

なのにねー。

ここから本題ね。




今晩は、のえがゆかりある西成の立ち飲み屋さんで、
防音工事のカンパをつのるためのライブがあるというのを、
あるネットのやりとりでヒデコが知りました。

あらあら、のえときわどい関わりのあった子も出たりしちゃっててさー。
のえとの出逢いあってこそ、の今晩というふうに、
続いている訳でしょう。

まあ、聞きに来た人もそんな人もいたに違いない。ふふ、それなり嬉しいね。
というのも、今、その居酒屋さんのマスターと電話で話したあとだから思えるのね。

のえの人生とつながっている人と、つながっていることでこう思えるのね。

意味、伝わっている?
そうか、伝わっていないならお伝えいたしましょう。

最近、ヒデコはこの方なら信頼させていただけるだろうと、
このブログと、のえのブログとを紹介した方とのことです。
実は、この方を通して、この立ち飲み屋さんの今晩の企画を知ったのです。

そして、その方とヒデコはさり気なく良いやりとりをしました。
だけどねー。その末尾に体中が震え、
人がどれほどゴーマンになれるかを示されたように感じ、
カテゴリー「ノコサレシ者が伝授するこの気持ちとあったらいい言葉」
復活―って、切り替えた次第です。

一応、マナー集くらいのつもりのカテゴリーでもあるので、
こういうふうに言い換えたら、おそらく多くの自死で遺された人たちは、
傷つかないはずよってお伝えしましょう。
あっ、まず、なんていう言葉で結ばれていたか、お伝えしないとね。

丁寧で、さりげない短文の結びはこうでした。


「思い出させて、すいません」。





どうして、体中が震えるか判りますか。


のえの人生、思い出したら、なにか差し障りでもあるんですか。
たたり、でもあるんですか。
汚れでもあるんですか。
心身の具合でも悪くなるんですか。


ははーん。

そういう体験をなさった方かもしれません。
そう思うと切ないけれどね。

この類いの齟齬は、意外と当事者が多いというのもあるので…。


すいません。この文章、今、ここで書いているまさにその方が読まれたとしたら、
これは「すいません」ってはっきり私は一回は謝ります。

でも、誰もが言いそうで意外にこの言葉は聞いてこなかったなあ。
まあ、様々な、ヒトゴト語彙集はたまってきているし、
その研究、分析も進んでいるけれど、
この表現は誰もが言いそうで意外と聞いていないかもー。

影でサー。
「思い出させるとつらいだろうから、話さないようにしてるんだよね」
なんて声は、していたに違いありませんが。

思い出したいし、話したいし、
のえの人生のゆたかさにどれだけ向き合ってきたか、
このブログの読者はある程度はご存じですよね-。


人のこういった表現って、その方の思わぬ葛藤を表しているのかもしれません。

言っていいのかな、言わないほうがいいのかな、
何言おうかな、何も言わないほうがいいのかな、うんぬんかんぬん、うんぬんかんぬん。


のえが天国で腹抱えて笑ってますぜ。
ケイコちゃん、やりすぎーって。


アプローチが難しいのは否定しません。
12月の講演のあとの、「のえさんはなんで亡くなったんですか」は、
このブログの継続した読者なら記憶に新しいことでしょう。

なんで、
なぜ、
どうして、
これは、どんな類いの質問としても、
単純すぎるか、
深遠すぎるか、のどちらかです。

自死の場合は、手段とか病気の有無とか、悩みのありようとか、
ああ、書いているだけでいらだつなあ、
じゃなくて、じゃなくてね-。
人生は全体があって、その人の一分一秒で全て刻まれているのよ。
その人の、
なんで、
なぜ、どうして、を知っているのは、
その人だけなのよー。
その人だけのものに、精一杯、近づこうとするのが、
ときには、生きてノコサレタ者の宿題にもなったりする。

私、四年がかりで宿題していて、もうすぐ、
提出ってときに、
どうして、とか、
思い出させてすみません、とか、聞くわけ―。
おいおい。

はい、マナー集なので、一応書いておきます。
万能ではありません。
性的少数派も発達障害者も精神障害者も、
自死で遺された人たちも、
在日も、被差別部落を背景に抱えた人でも、
一人一人がぜーんぶ違うでしょう。

万能なマナーはありません。
あなたが、その人が大切だと思うなら、必死で、
あなたのオリジナルな応えを見いだしたいと思うはずです。

では、とりあえずの応え。

「もしも、おつらい気持ちにさせたとしたら、すまなく思います。
私は、今晩の居酒屋さんに、のえさんもいらしていたような気がします。」

最初の一文だけは、かなり応用が利く。
二文目は、のえを知る人でないとなかなか言いにくいかもねー。


昨日の無反応番付に入っている方が、
首都圏の講演で、「重いテーマ」って表現を使っていると、
ヒデコが困惑していました。

彼女には、きっと間違いなく、「重いテーマ」なのでしょう。


でもね。
「重い」って何?
自分の語っているテーマに自信や誇りって持っていいんだよ。

単なるこだわりでもない。
こういう体験はさ。
人生を変容させる体験な訳で。

変容していくことで大きく深くなる体験な訳で。
それを許さない社会で、
それを許さない人々のジョーシキの中で、

簡単に「重い」「重い」って連発したり、
「思い出させてすいません」ってつい、口に出したり。

そういうジョーシキ、
くつがえさないと、世の中は変わりません。

私たちの歴史は、まさに死者と共にあるのですから。


今日、ここに書いた話題の方、
これを読まれたとしたら、
読みっぱなし…ぶしつけな言い方ですが…ではなく、
もう少しお話、いつかできたら嬉しいです。

ネット上だけのおつきあいはさびしいものです。
とりわけ、こういう話題では…。



きっと、大きな悼みと痛みをしまってこられた方なのではないですか。
考えさせてくださって、心から感謝しています。


ケイコ


追記 書いて間もなく、誰の拍手も入らないうちに??
   このブログの発言の方の背景を間接的に知りました。
   向き合えない、友人の家族の「自死」があるとのことです。
   沈黙
   沈黙
   沈黙
   ち ん も く

   確かに、ノコサレタ側は苦悩する課題です。
   その苦悩を置き去りにしてはダメなんです。
   苦労してでも、共に悩む。
   共に悩めないなら、そっとそばにいる。
 
   くだらんヒトゴト発言よりも、
   そっとそばにいる…そのほうが何倍も困難かもしれない。
   エリザベス・キュープラ―・ロスの言葉です。

   私は確かに「つきすすんだ」ノコサレシ者かもしれません。
   でも、人知れず、人生を見きわめ、深め、揺るぎないまなざしを獲得しながらも、
   それをそっと伝える相手すら見いだせない人もいるかもしれない。

   それ以前に、「わたしたち」は、
   喪失の痛み以上に大きな偏見と、沈黙の壁に包囲されて、
   喪失の内容そのものと向き合えずにいるのです。

   そこがこの課題の出発点です。
   それだけは、ここに記しておきたいと思います。
 
スポンサーサイト

| ノコサレシ者が伝授するこの気持ちとあったらいいマナー | 23:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/1225-f2bc6462

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。