PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

編集者不在…他者はパートナーだけの現実ってあり?

編集者不在…他者はパートナーだけの現実ってあり?

たった今、ある性的マイノリティの若者がヒデコにインタビューして書いた原稿を私が添削作業したところ。千字にも満たない文章を、引用の仕方の節度、文章の単純な誤りから、その語彙をこういう使い方で書いていると人間の尊厳をおとしめるよ、っていう指摘まで、約15分集中して仕上げた。ヒデコはそのままファクスして、あとは電話で話すという。はーい、私はこれでバイバイね。

フクイに来て、取材されてあきれたのが実に三十数年前。あたしたちゃ、青年団じゃあないんだよ、そんなつたない思考と語彙と世界観じゃ、とらえきれないんだからね、と言葉にならない理不尽さにのけぞった。以来、その思いはほぼ変わらないけれど、こちらもさすがに大人になったから、人間としての出逢いを少しずつなら深めるキャパもできてはきた。

ところが、今度は『都会の』の性的マイノリティの若者たちのつたなさに悲鳴をあげる。だって、こちらを上から見下ろした上で、自分たちが優位だと信じて、カミングアウト脅迫と強迫を当たり前に生きていたり、「誤って子どもを産んだ」レズビアンマザーたちなんて、ヘイトスピーチも負けずと劣らないデマゴーグを、彼女らの正しい思想信条とはき違えていたりする。

他者の人生をどう思っているんだろうね。
オンドリャー、首根っこつかまえて、人間ってのはさ、って訴えたくなる気持ちをおさえて、性的マイノリティのコミュニティ幻想には距離を取ってきた。
時々叫ぶ。「知りたくないから、言わないで。気持ちわるーい。」
ヒデコはたゆまずライフワークにしていますからね。これでも人間、だからこそ人間って。

これは、彼らが未熟だからです。性的マイノリティだからではありません。断っておくけれどね。成長する機会を奪われているからです。

今日、私がプロとして添削してさしあげた文章の中には、ヒデコの語った「私たちの世代のレズビアンマザーは、誤って子どもを産んだんじゃあねえよ」って内容を、若者として反映させようという努力の跡が見られたから、私は15分でもプロとして向き合いました。
「誤って子ども産んだ」って見方には、何度も言うけど、ヘイトスピーチも負けずと劣らない、傲慢さ、短絡さ、早トチリ、安易さがある訳だけれど、まあ、この傲慢、短絡、早トチリ、安易、の四つの選択肢なんか、結局二人で用意してあげちゃったりしましたわ。
四択問題、受験で得意でしょ。どれも×はないんだけどさー。

自分で考えよーってのも幾つか書いたけれどね。オリジナリティってないのかー。
人の語りの引用、人の文章の引用は気をつけなされ。
たとえばさー。「知人」じゃなくて「知っている人」と語ったリアリティを失わせてはだめなんだよー。ばっかやろー。
勝手に、「深く悩んだ」なんて若造が書くな。
ヒデコの悩みのひとかけらでも判ってんのかー。不遜なんだよ。謙虚さも、慎重さも必要なんだよ。人様のことを文に書くってのはさー。

ここまでが前置き。

かくいう私は、今や、編集者の不在に怒り心頭に発し、ヒデコに憤懣をぶつけるしかないし、原稿チェックの全てが、ただ単なる?人生のパートナー彼女に押し寄せるしで、ヒデコの心身にも異常をきたしている現実の中にいます。

私は一月に十日間、二月に二時間、声が出なくなったけれど、ヒデコはやや耳が遠くなっています。私の周波数の低い低音が聞き取れない。大切なことは低い声でしか言いたかないのよ。大声では聞こえないからね。低くないと届かない真実もあるのよ。
それを、「何、言ってるか聞こえない」って言われると一気にくらっとくる。やっと言えた、あえて言葉にした類いのことですよー。

これは私たち二人の問題ではないわい。と、今朝、思い至りました。

編集者が不在って、お留守って意味じゃあないですよ。
人間として機能している編集者氏が私についていませんのよって話です。
こんなに人間としてしか、読めない書けない原稿のどんづまりの仕上げの仕上げで、私の編集者氏の彼女が怪物に見えてきた。化け物に見えてきた。
技術のことは言いますよ。
字数はもちろん、引用句の配置のしかたとか、章立てのありかたとか、だけどねー。
ありえへん。心がどこからも届いてこない。全く働かせる気はない。

こんなんで、「その日」に継ぐ最後の章を出せる訳がないじゃないかー。
とっくに仕上げているけどさー。
あんた、私の心臓をどうやって売りさばく気―。えっー。
切り刻むと美味しそうになって売れるって思ってるわけー。


ヒデコもピンチです。
老いの問題は、のえが生きていた頃から彼女に迫る課題でした。
でも、ここ数年、保留にしてきた。
そして、この二ヶ月ようやく、やきものの仕事だけはお休みにした。
それでも次々と入る、しなければならない事々。
老いのために、選択しなければならない大きな事もある。
それに、今でなければと、私の原稿確認があいついで、読んでくれーって追いかける。

おととし、原稿確認をしてもらった時は、
彼女の個展の時だった。残酷だったねえ。
私も徹夜、彼女も徹夜、そして個展…。
でも、その時期に一区切りついたものを私は見せたかった。
まだ「不在」だって百パーセントは思っていなかったのかなー。
いや、「不在」だとしても、人間扱いしてあげたのよー。編集者さんをよ。
そして、ヒデコはもう本が出ると勘違いした。
勘違いを何度もしている。三回くらいかな。
やむない。私は実際、本10冊は書いているからね。


おととしの個展の時、切羽詰まった中で、読んだからっていうだけではなく、
私の原稿がそもそも途方もないから、たまたま彼女が口走ったことで、
「それはもう書いてあるよー、忘れたノー」
って私がいたたまれなくなって叫んだりもする。
彼女は、私の叫び声しか聞こえませんの。
私は本当は叫びたくなんかないんだわ。

なにか、とてつもなく妙なことがまわっている気がする。
なにか、とてつもなく理不尽なことをこなしている気がする。
気がするんじゃなくて、これが現実なんだわねー。

編集者不在、でもって、
私たち二人は沈殿するか、燃え尽きるか、
どちらかになることでしょう。

まあ、四月の初めに、フクイでまれなるちょっとしたミニイベントを、
遊べるのだけは救いかなー。
これは、一月みたいなことにはなりませぬ。

声出なくなったらやめね。って語れる相手と組んでるし。
声出なくなるってことが、この世にありえないって人とは組めませんしね。
まあ、一月の相手は、その点は仕方なかったんですが。

そして、耳が、そう耳が、
精神的にも肉体的にも、
人生のキャパシティとしても、
あるいはもしかしたら、老いの一部としても、
遠くなることを信じられない人とも、けっして組めません。

ヒデコにあこがれて、尊敬している人たち、
一度でも彼女の現実を見なされー。
ちゃんとその目で見なされー。

結論、
ケイコさんと組んだのが間違いのもと、って人もいるかもしれないけれど、
そして、それはあながち間違ってはいないけれど、
でも、今からできるやり直しの範囲で考えてもらわないとねー。

ええ、人事だし、
まあ、目の前にいなくて見えない人だし、
あこがれておけばいいんでしょう。

ヒデコの年齢を言うと、
飛び上がってびっくりする人が多いって、彼女の幸いではなく、
私は彼女の、人柄の勝利と、
彼女の人柄のパラドックス的しわ寄せだと思っています。

編集者不在ってタイトルのブログの展開としては、
いつもながらの異例の展開でしたが、
どれもこれも、編集者も人間として働かせない、
なにか恐ろしい世の中の回転のせいでもあります。

編集者不在。

私にはヒデコ以外の人間不在。


ケイコ

追伸
1日さかのぼって、前日のブログにも会心の作を書きます。
タイトルは、『収入ゼロの申告の悲哀と怒りと誇り』。
前日の予告編ってへんだよね。
このタイトルはあくまで、ケイコ、私のものであります。
スポンサーサイト

| 出版という困難な旅路にて | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/1218-a0c9bcdd

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。