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トークバックから『癒やしと和解への旅…犯罪被害者と死刑囚の家族たち』読書中

2週間ほど前に、映画『トークバック』の存在を初めて知った。
遅ればせながらね。
どうしても出遅れるんだよね。
陸の孤島というか、カンゴクみたいなサンクチュアリに住んでいると、
皆さん勘違いして、誰も教えてはくれない。
いや、教える価値のある存在だとは私たちは思われていない。

『トークバック』の監督さんが
三冊の本も、それぞれの映像とセットで出していることを知って、
そのうちの二冊が昨日届いた。

執筆の最後の段階の前書きと後書きへの、
何か大きなところでの胸のおきどころをつかまえたかったような気がする。

今、読んでるほうは、タイトルに書いたほう。
ジャーニーっていう旅で、アメリカの各州を
家族を殺された犯罪被害者の家族と、
殺人を犯した死刑囚の家族が共に旅しながら、
死刑廃止を訴える旅が描かれている、
坂上香著の力作である。
でも、著者三十四歳というのはつくづく感じるけれどね。

その十数年後、一昨年出された『ライファーズ』は言葉も出所が深くなっているし、
より精緻さを増している。
よりによって前者は岩波、後者はみすずから出ている。

死刑囚の息子を持つ母親の日常が描かれている章を今読んでいる。
朝、起きる口実を見つけて起き出すって話から始まる。
いつ息子が死刑になるか判らない状態で生きるって、
生きている意味がなくなるような体験だってひしひしと迫ってくる。

昨日読んだ章では、
自分の娘を殺した死刑囚に会いに通っている母親の話が出ていた。
赦しにいたるまでの壮絶な話に号泣した。
そもそも最初から共感はあったけれど、
著者のほうがその事実に面食らっているのが、
普通の人間だったんだなあって思わせる。

「ライファーズ」ではその辺りはすっかり変わっているし、
映画『トークバック』ではもっと突き抜けてしまっているのだろう。


ともあれ、アメリカ独特の銃社会の現実。
貧困の裾野の広さ。加害者にも被害者にもいつならないとは限らない、
そのことをかぎわけられた、数少ない人達がこのジャーニーには加わっている。

だけど、アンとバーバラという被害者の母親と死刑囚の母親が友情を結びつつ、
ある日の講演の質問で、どちらの苦しみが大きいかというのに答えて、
どちらも変わらない、と答えたにもかかわらず、
楽屋に戻ってから、アンがバーバラに、
殺された側のほうが苦しいはずだ、と答えてから二人の関係が、
一時期ひびわれていく辺りもなんとも言えず堪える。

自死のサバイバー…日本では自死遺族って言ってるけど…
の場合も、悲しみの大きさ比べ、苦しさの深さ比べはないよーってことに、
なってるんだよなー。
でも、配偶者というか伴侶を亡くした人がたまに言うね。
子どもを亡くした人のほうがつらいんだろう…と控えめに。


いつも思うのだけれど、
人が殺す側になるのと、日本社会で自殺してしまうプロセスを経るのとが、
私にとっては、いつも合わせ鏡のように映ってしまうんだな。
事件というか事実のベクトルは逆なんだけれど、
日本の場合は、それが自分に向かう場合が多いんじゃなかろうかと。
つまり、これだけの秘密社会は内戦状態だってことも、
全く見えにくくてサー。


ともあれ、二人の母親が私には妙に共感があった。
朝起きる口実を見つける黒人女性バーバラと、
加害者を許した母親アバの二人が…。

こんな詩篇のの紙切れが出て来た。
ちょいと恐ろしげな詩なので、
書き散らしたままにしておいたけれど、
バーバラとアバが後押ししてくれて、
とってもまともな詩じゃないのって言ってくれてるような気がして、
アップする気にした。

私としては、東京の『トークバック』の連日ゲストトークに、
娘の自死のサバイバーとして、
私自身もトークバックしにいきたーいって叫び出したいほどの気持ち。

なんで、東京では東京のメンバーでがっちり固めちゃってさ。
自死のサバイバーなんて一人もメンバーにいないでしょう。
ここにいるよーって叫び出したい。

叫ぶかわりに、一月に紙切れに書き殴って、
放り出しておいた詩をここに記しますわ。

それにしても『トークバック』見たいなあ。
トークバックしたいなあ。
言いたいこと、言えないでいること、ふたをあけてしまいたい。
さっぱりしてから死にたい。
生きているうちに、自分が見たことをきちんと人に明け渡したい。
明け渡したいんだ。


とんでもない詩なので、まあ、適当に読んで下され。
何か、自分の中の軸ががっしりとするほどに揺らいで、
なんとも言い難い状態が生まれている…。
どうしたものか。
早く、のえの尊厳も私たちの尊厳も回復したい。
回復のためのトークバックを始めたい。
始めているのに、明るみに出ない苦しみから解放されたい。




途上で


ほのおのようにあつく もえひろがり
ふぶきのようにつめたく しかいをとざす
わたしのいかりとかなしみは
わたしのしんぞうをやき むねをこがす
わたしののどをいてつかせ わたしのくちびるをこおらせる

はるのようにおだやかに つぼみふくらみ
あきのように すずしくみのりある
わたしの思索と探求は
わたしのたましいにみちて
わたしのことばをあゆませる

おわりのないねがいと そのはげしさ
いつともしれずはじまった いのりとそのしずけさ

わたしは やけこげた 野にたつ
わたしは こおりついた くちびるをそっとひらく

2014  1  18 


思えば声が出なって八日目のこと、
囁き声から回復していく二日前のことでした。
『八日目の蝉』が書いたんだな。

ケイコ


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