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自己憐憫は要らない、徹底的に対象に裏切られること…究極のエールとして

正直言って、大声をあげて叫びたい。
爆発しそうな内面をようやく持ちこたえています。
そして、助詞でもって、パートナーと私を語ってみたりして、
少し気を紛らわせています。

私の調整の取れた人格は「ハ」人格かなって、
昨夜書いたのが拍手なんてないと思いきや、五つももう拍手があって、
驚いて読みつつ、あらためて思った次第です。
昨日の思索は、最も深層にあるそれぞれの骨子のような指向性みたいなものでしょう。

ものすごくハードです。
ものすごく乗っています。
ものすごく維持しています。
自分を持ちこたえています。

そして、叫びたいほどの大きなものに圧倒される。


私は、日本の大きくて深い宿題を肩にも背中にも腰にも、
のせているんだと思います。
実際の肩や首も凝るけれど、脳細胞や精神、
こころや魂とも言うべきものの腰骨をきたえさせられている、
そんな仕事、そんなライフワークだと断言できます。

そして、1月に知ったある作家の、
ノンフィクション作家としての姿勢についての一文を思います。
それはこんなふうなものでした。

★自己憐憫などひとかけらも要らない。

★対象に徹底的に裏切られつづけること。

仕上げに入ろうとしている矢先にこの言葉に出逢ったことは、
本当に芯から私の脳細胞のすみずみまで覚醒させてくれました。


私は悲嘆を手放しては、この本の仕上げができないのは知っています。
ただ、憐憫は必要ない。
「甘えた」言葉は、次々と捨てていきました。

その頃、その少し前だったか、
辺見じゅんの『ラーゲリから来た遺書』を読んだのも、
ものすごく大きな収穫でした。

この二つが、私をノンフィクション作家として問うてくれたのは間違いありません。

ここに書くのはやや惜しいけれど、
もうそろそろ書いてもいいでしょう。

実は、書き直したプロローグを、年末に来ていた二人の若者?に、
読んでもらいました。モニターです。

一人が確かに言いました。はっきりと衝撃が語られているのが伝わってきました。

「これは、母親が書いたとは一切判りませんね」。
これも大きなエールでした。


しかし…。
しかしながら、そこまでに至る執筆のプロセスは死闘です。
葛藤から獲得へと至る道筋には、大きな嶺あり深い余りにも深い谿ありで、
誰もそこには関与できません。
孤独な仕事です。
それでいいのだと思います。


二つ目の対象に徹底的に裏切られること。


ええ、ここで「裏切られる」を使うのは、誤解を招きたくはありませんが、
主人公がこの世にいないこと、それだけで、
それは100点満点というほどのスタートを切っています。

おまけに、場合によっては、取材拒否、
登場人物の文面確認による波乱、
波乱などという言い方では表せない、別の物語を追わなくてはならなくなる、
そんな課題の再浮上…。

そういう点では、
徹底的に裏切られる点においては、
200点くらいはいただいてもいいでしょう。

しかし、そんなことで悦に入っていられる訳もない。


裏切られた対象にも迫るのです。
裏切られた対象をも抱きしめるのです。
裏切られた対象をも確かにくっきりと浮き彫りにするのです。


これほどまでに残酷な作業があるのか、と慨嘆することもあります。
これほどまでに美しい作業があるのか、とそっと胸に落とすこともあります。
これほどまでに涙を流す作業があるのか、と悲しみの出どころへと、
何度でも、いかようにも立ち戻ることもあります。

そして、大声で笑って、主人公の快挙に、
一緒に歩いている、自分にいいんだいいんだ、それでいいんだ、
と思っていることもあります。


近づいてきた、終わりは、おそらく限りない、
険しい道のむしろ、始まりなのでしょう。

編集者との、
出版社との、
そしてこぎつけたとしても、読者との…。


それでも、私はこの本にこめた全てを、
世に落とします。

日本社会に一石を投じます。

見たことも触れたこともなかっただろう、
そんな道筋とそんな思索の方向性の中から、
立ち上がり、見えてくる、読者の中の共振に賭けます。


自己憐憫は要らない。
徹底的に対象に裏切られればいい。



ウルグアイの大統領のエールもすごいものですが、
この作家のこの言葉もまた、
私には端的にして深く響くエールです。

そして、
ウルグアイの大統領が十四年間の獄中生活で支えにしていた、
そんな心境とも共振します。


私は、私の主人公が抱きしめようとしたこの世界を、
こうして抱きしめなおすことでしょう。


今日、ある人がある人と結ばれたという報告を聞きました。
時間と空間は広がり、人の時間は刻まれます。



ポーランドのノーベル文学賞をとった女性詩人、
シンボルスカの、
「春が来てもいい」という境地に、
私は私の主人公の特異性ゆえに、そう簡単にはなれないものをも感じますが、
この女性詩人の詩の背筋のようなもの、
後ろ姿の美しさ、
それは見ていたいと思いつづけています。

ケイコ


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| 出版という困難な旅路にて | 15:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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