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ガ人格と、モ人格…助詞の多用から見る思考の違い

ガ人格と、モ人格…助詞の多用から見る思考の違い

かなり専門的な内容になるので、ついていけない人にはごめんなさい、
って最初から謝ります。

私は日本語教師で、
しかも、40代で、今のうちに勉強しておかなきゃーって、
大切にとっておいた楽しみな勉強を教育能力検定の受検も含めて、
してしまって、日本語文法の骨子を、一応すみずみまで理解した人間なので、
ここに助詞から見る、人格というと大げさだけど、
まあ人柄というか、特性の違いも書いてしまおうという訳です。

いやいや、これは執筆中の本のラストスパートの副産物です。
それに、文法がとことん判ったほうが楽に言葉を発することができる、
自閉症スペトクラム度が高い人間向けの文章かもしれません。
文法というのは数学に近い。
日本語に精通していることを文化系と勘違いしている人が多いけれど、
これは違います。
文法がとことん理解できるときの恍惚感と、
微分積分が面白くて、高一の時、教科書を渡されてすぐ全冊読んでしまった、
その時の感覚と陶酔感は非常に似いてる気がします。

と言いつつ、微分積分忘れています。
本か何かで、もう一度勉強して、あの陶酔感を味わいたい。

あああ、前長いなあ。

もともとベロ亭の名づけの元になったヒデコの出していた、
『個人誌に終わらせたくない個人誌 ベロ』。
あの3号は、私たちは出逢った最初の半年の往復書簡を、
実は全部掲載して、一冊の冊子にしたのです。
はい、幻の『ベロ 3号』です。

その時も二人で発見しました。
二人の文体の違いです。それについてはここに挙げません。
また、いつかね。

それと同じように、ここのところ、
私の書き上げた原稿をヒデコに確認してもらう作業の中、
ヒデコはつくづく、ガ人格。
私は、つくづく、モ人格だという発見をあらためてしています。

今、日本語学のテキストや研究書は手元にないのですが、
えっとー、マキノなんとかという、
プリンストン大学の日本語の教授が、
日本語の助詞の研究をものすごく面白い角度からしている本があります。

それで刺激されたのですが、
ヒデコと私の違いを私の原稿チェックで見ていると、
おのずとマキノ先生が言っていた感覚と私の感覚が重なって、
甦ってくるのです。


引き込む、惹き込む「も」。
それも、これも、だれでも、どこにも、
いきもかえりも、…「も」感じて読んでました?

それから、日本語の助詞「に」はめちゃくちゃ多様な顔があって、
ものすごく難しいのですが、
これはヒデコはやや苦手、外国人みたいだねって笑ったことも何回も。

私には「ニ」人格もあるのですが、
これは「に」について説明が要るので省きます。


引きこむ「も」は、本来、外向けには自信がないとも言えるし、
内向けには、ものすごく自信があるとも言えます。
もっとも限定していく助詞である「も」は多用は禁物です。
言葉の含蓄が狭く深くなっていくからです。
でも、私はだからこそ、「モ」人格なのです。


ヒデコは、「ガ」人格です。

空が青く、鳥が鳴いている。
情景描写が「が」が多いのは、
情景全体が主人公だからです。

そして、「ガ」を多用する人は、
ものすごく外界に対して、ある種、無条件な明け渡しや、
時には信頼を持っていたり、
時には、子どものような自我を横たえています。

情景描写のような無前提で自明な人格として、
世に認められやすいということです。
と同時に、時に内面的な自己分析には弱い。
弱いというより、する必要がないのです。

いえいえ、これは今のヒデコには全く当てはまりません、
自己分析してますから。
私とは違う仕方でしていますから。

ただ、基本的に、あるいは骨子としてある人格というか、
脳細胞の動かし方、
行動と思考の関連づけのような辺りが、
こんなふうになっている、と言ったらいいのでしょうか。

ガ人格の人は、
ある意味、自分を疑うことを知らない場合が多い。
ヒデコは当てはまりませんよ。
なんたって、私と一緒に生きてきましたし、
五人の子どもを育ててきたし、
信じられないほど、やきものを作りに作って、
生きてきた中での、別種の社会的精神的な疑問は、
山のようにある訳ですから。

これは生まれつき身についている脳の回路みたいなものの話です。

ガ人格の人は、
自分の疑い方を知らなかったり、身につけなかったりで、
すんでいる場合もある。

ある種の深い質問に、
「えっ、この私が、この私が…、
この私が、私が、まさか、私が…」
と発するのです。
驚きのままに。

ここのところを、
「えっ、この私はそんな…」という感じで、
主語の後にテーマ性を浮きたたせる「は」が来る人は、
もう少し、自省する訓練をしているはずです。
なぜなら、「私は」という時、
すでに人は、「私」とは何者か、という思考回路に立っているからです。

何が書いてあるか、
おそらく少なくなっているだろうこのブログの読者諸氏、
おわかりでしたか。

少し何かに触れた、というだけでも、
拍手していただければ幸いです。

推敲、加筆訂正、全体の整理。
言葉から事実へ。
孤立の二重性、三十性。

社会的な孤立と精神的な孤立。

特性としての孤立やすさ、などなどをテーマに、
仕上げに精出している我が処女作。

処女作、という表現をこの際だから、
堂々と使わせていただきます。
私は女だし、本は女々しくないし、
それでも、一度くらい使ってみてもいいでしょうし。

推敲のすきまから立ち上がってきた、
ヒデコ人格とケイコ人格のお話でした。

ご精読ありがとうございました。
オツカレー。

遊び心で書くのに、およそ二十分かかりました。

ケイコ
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| ケイコの言葉遊び | 23:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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