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カレンダー事件勃発、ハッタツ系はアウティングは避けられない?

カレンダー事件勃発、ハッタツ系はアウティングは避けられない?

今日、トイレに入って、新しい、少しだけ見覚えのあるような小さめのカレンダーがあるのに気づいた。ああそうか。私が体調を崩し、行けなかったキャラバンの一日に、C子さんが来たと言っていたし、ああ、それでもヒデコもこれを買ったんだって思ってめくった。

さりげなくも、どこかに甘さのあるイラスト。よく買ったよな。C子さんの絵が各月に描かれた手作りのカレンダーだ。11月までめくって、心臓が止りそうになった。
のえの楽曲を4曲、5時間の滞在中の最後の最後に聴いて、目つきも表情も変わったC子さんが、翌日、ネット上でこの絵を公開していたのは、目の端で見た憶えは確かにある。

へえっ、自分はここまで嘘をつかずに生きては来なかった、ってC子さんは感慨深げに、のえのことを言っていた割には、こんなふうな絵に簡単にしちゃうんだって、…それ以上は思わないことにした。

その絵が、カレンダーの11月の絵になって、のえって名前もローマ字で入っていて、しかも、ヒデコも神戸から手伝いに来たタンポちゃんも買った、買った??
訳が判らない、どういうことって、ヒデコに訊いた。

そこから始まったヒデコとの語らい。ああ、胃が痛くなりそう。いや、心臓がまたちくりちくりと痛む。

実を言うと、のえの曲を聴いた翌日に見た絵ではなく、ネット上に書かれたC子さんの言葉のほうは私は嬉しかった。
…ブランチによばれたのでもなく、おしゃべりにお邪魔したのでもなく、今日は、のえさんという人に出逢いに行ったのです。のえさんは、生きづらさの壮絶な語りべです。近い将来、大きな反響を呼ぶと思います。わたしだからよばれたんやと思います。…
そのようなことが書かれていて、私はほっとした。文面は節度があった。それ以上に感動もあった。でも、彼女は、「わたしだからよばれた」って書いた瞬間から、自分を甘やかしたんだと思います。買いかぶったのね。よく判るけどね。
ハッタツ系を殺すには、誉めるに限るからー。

しかし、公開されたネット上の画面では、またまた起きてはならないことが続いたのです。実は、別の人のひどい書く込みで、彼女が書いてくれた内容への感動すら打ち消すような事態だったが、私もヒデコも努力して、その火の粉は丸一日で消すことができた。


最近、カミングアウト…少数派や弱者など、名乗りをあげなければその存在が判らない人達が、自らの尊厳をもって名乗り出ること…と、
アウティング…悪意善意を問わず、たとえカミングアウトされているような事柄でも、その本人以外が、本人の了承を得ず、他者にその内容を告げてしまうこと…と、
この二つの事柄が、ものすごい社会性を必要とする事柄なんだと、アウティングの被害を自覚しながら、いよいよ認識を深めるような時期だったから、何とも言えない気持ちに、このカレンダーを見て襲われた。

アウティングの被害ってね。ベロ亭に通っている若者に、1年くらい前に、こう言われた時から受け続けたの。全く悪意がないのは判っていたし、遠い街だから、1年かけて翻訳と説明を、ようやくできるようになったけれど…。同じ市内だったら、すぐに火の粉は払ったわね。ああ、思い出すと溜息…。
「レズビアンの所に行っているっていうと、皆、18禁って言うだけで…」


さて、のえの唄を聴いて、その感動を自分の絵に描いてくれるのは悪いことではない。
だか、しかし、限定部数とは言え、人に売るカレンダーに、私の了承すらなくその絵が入っていて、しかも、自分の家のトイレでそれを突然見てしまうなんて…。

うん、C子さんもハッタツ系。とても自覚的なところもあるから、ヒデコと話して少しは判る部分もあるでしょう。私は今、人とは話ができないのでヒデコに任せるしかありませんから。そろそろ声が出なくなって10日目。声を出したら何かが終わってしまうような怖さがあります。

C子さんのカレンダー事件と、アウティングとが本質的に同じって、読者の方、判りますよね。これが判らない方は、他者への想像力がないって自覚して下さいね。あなたも無自覚ハッタツ系かも…。


のえの日記、私のノンフィクション、そして、何よりも、のえの曲、4曲で構成されるCD部分。これらの著作権、肖像権、引用などの問題が、よりいっそう明確に立ち上がってきた経験でした。まだ過去形ではないけれど…。

そういえば、去年、二人の若者が、のえの曲を聴いていて、一人が曲を聴いたら楽譜に書ける人で、もう一人がそれを「できる?」って感じで訊いた時もどきりとしたものです。
それは、まだ、のえの初期後半くらいの曲だったのですが…。

ところが、CDにする4曲を聴いた後、楽譜にできると言っていた人の言い方が変わったのです。それには、何よりも楽譜にできないほどの、のえの絶妙な唄いっぷりだったということがあるのだと思います。
それでも、楽譜にできないほどの唄いっぷりも含めて、のえはのえの高みで、のえはのえの生きづらさの極みで、唄っているという、抜き差しならない尊厳を、どこかでその人は感じたんだと思います。そんなに安易に楽譜にできるなんて言ってはいけない…とも。

これは、のえのお通夜の席から持ち上がっている課題でもあります。
ある人達は、のえの『ひとりぼっちの夜』を皆で唄うことを望んだ。
だけど、とりわけ音楽仲間は、少なくともそのときには、のえの唄を唄えない、と思った。のえさんにしか、のえさんの唄は唄えない、という叫びがあった。

難しい課題だな。
私は著作権者なんだよなー。


すでに見えないところで、昔の音楽仲間が、のえの「すきっぷ」だの「雨の中」だのを、唄っているのは全く構わないのです。

だけど、人間として筋の通らないことはいやなんだ。
きちんと、了解を得たり、プロセスを踏んだりしなきゃなー。
のえだって、いやだろうなあ。

大変なものを、いやいや、大変貴重なものを、私は「所有」してしまっているのだろうか。
いやいや、所有なんかしたくはないんだわ。

のえの生きづらさと嘘のない人生に、唄でとことん向き合ってよね。
向き合ってから、絵を描いたり、自分が作った、のえのための唄でも、のえの唄でも唄ってよね。

昔の音楽仲間は、少なくともそういうところには向き合っていると感じる。
のえの唄がかけがえがないと感じている音楽仲間はね。

のえが亡くなった直後に作ったという唄の歌詞を送られて、
のえが人生をマチガエタって言うかのような歌詞にあきれて、
こりゃあ、勘違いだわーって思ってからも、すでに5年余り、


いろいろ心は煩わしいけれど、避けられないんだなあ。
どこかで予感していた、この事件!?

自分の甘さに、ちょっとは向き合ってから、
絵でも唄でもつくっておくれよね。

ケイコ
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| 自閉圏のつらさと豊かさと | 00:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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