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久々に新聞隅々まで、『わたしの、やむにやまれぬ紙面批評』開始します

久々に新聞隅々まで、『わたしの、やむにやまれぬ紙面批評』開始します

新聞を隅々まで読める日は意外と少ないと思います。それなりに、それでも目を通すようにしています。社会で何が起きているかも大事だけれど、私の場合は、文化的孤立感を埋めるために読むことの比重がぐっと高いと思います。自分には当たり前のことですが、このブログを読まれる方々は、地元の人から北海道、トーキョー、オオサカといろいろですから、毎朝五時前にうちだけ別個に車で届けられる朝日新聞が、ここ地元では希少植物くらいの存在だということだけは記しておきます。地元では地元紙がメジャーなのです。これ忘れないでくださいね。

今日は何か面白い番組があるかなってまず番組欄を見ました。あった。『試写室』に写真入りで載っているドラマ。見ても良さそうだけれど、あらすじ全部書いちゃっていますから、見る意味半減ですよね。私は映画でも予告編で、だいたいのことを把握してしまうので、予告編を見ないで、何も知らないで見たほうが鮮烈だったり新鮮だったり…。
同じ時間に、宮崎駿の引退の背景みたいなのがあるから、こっちのほうが短いから良いかな。でも、ドラマも少し気になるかな。喪失が背景だから、見るこちらも手厳しくなるからやめておこうか…。

今日の出色の全面広告は、今年度の「新聞広告クリエイティブコンテスト」結果発表でした。
…僕のおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました…
という、いかにも小さい子どもがやっとヒラガナをつづった、広い画面の縦位一行に書かれた文字の下に、小さな子鬼くんが金棒ぶら下げて涙流している、ちょっとつたなっぽいイラスト。その下には、
…一方的な「めでたし、めでたし」を、生まないために、広げよう、あなたがみている世界。…だってさ。
なんか、溜飲が下がっているのは私以外にも随分多くの人がいるんじゃないかしら。
講評も全部読みました。なんと、今年のテーマは、「しあわせ」でした。なるほど。「いつも通り」という通りを描いた写真の広告も次点で掲載されています。ふふ。
講評で面白かったのは以下の一節。なるほどなるほど。
…等身大の幸せをテーマにしたものがほとんどの中で、選外の作品に、社会的視野の広さを感じさせるものや、幸せのとらえ方がユニークなものがいくつかありましたが、コピーやデザインが未熟で訴える力が弱く、入選に至らなかったのが残念でした。…

この全面広告!!をなめまわした後だったので、地元欄で知っている人の名前が出て来ても、ふんって耐えられたんだと思います。大事な社会的活動が取り上げられていても、ここ地元では、そういう活動をする人の多くの人間的限界を思い知っているだけに…。

『惜別』の欄は、私は好きです。亡くなった様々な活躍をした人達を取り上げているので、批判的な部分はやや控えめでも割に書いてあったりで、残念だけれど、亡くなってから知るスゴイかなって人の存在もあります。今日は、三善晃氏の記事に打たれました。
戦争の生き残りなんですね。それも子ども時代の。そして、彼の作曲の背景には常にそれがあったんですね。このブログを書く前に、YouTubeで聴いてみた「響紋」はまだ聴いた人が5000に満たないことが少しショックでした。童歌の『かごめかごめ』を絡めた作品ですが、この童歌の意味、判ってないよなってあらためて思いました。

あと面白かったのは、『年代ごとに振り返る 天野勇吉さんのCMコラム』という一面に渡る記事でした。80年代90年代00年代と、彼のCM批評を挙げています。一番面白かったのは、昨年7月の『求むスポンサー』です。ある演歌師が1920年代に作ったという、「金々節」を取り上げています。まあ、一にも二にも、どこまでいっても金の世の中ということに尽きる歌詞が抜粋されていますが、ものすごく長く続くみたい。
…いっそ、東電さんあたりが自己批判も含めて「金だ金だこの世は金だ」とやってくれたらね日本も変わるけどなあ。…という結び。
80年代と90年代のは、まあ女性の視点が少し入るだけで、ひねられるのねえって感じですが、00年代のには、「パロディーというのは笑いのなかに批評の隠し味」はまだしも、
…このCMはいまという言葉貧乏の時代を、それなりに笑っているんだろうか。…
の結びは痛しかゆし、おもわゆし、ですね。
あら、その横には、当たり前のことが小さいけれどゴシックで。「人と人がつながるのは言葉。言葉でちゃんとつながっていれば、絆なんてことさら使わなくとも自然と絆は生まれる。」だって。これは、東北の震災の後の状況への警鐘でしょう。
このゴシック文字に私は驚きます。これ、言わなければならない時代って何なのでしょうねって。沈黙が無ではなく、豊かな沈黙なんてもうないんですねって証しですね。

『私の視点』。はいはい、「日本酒啓蒙家」ね。勝手にやってください。
レイテ島、シリア、手が届かないけれど、世界の傷はぐるぐる回っています。

ここだけの話ですが、私は週刊誌の広告をざっとだけれど、チェックする癖があります。どんなに下世話なのも見ます。一瞬で、世の中の空気を読みます。
最近、世の旦那方は、ひときわ性に飢えてきているような見出しがちらつきますね。その反対側の同じ週刊誌の大文字には、小泉のことがでかでか。これって、あまりにシンボリックにしてリアルで、あきれかえります。原発支えているのは、こういうセックスアニマルたちなのでしょう。いや、魂の飢えがこういうセックス信仰に走らせるのでしょう。ずっと変わらないとも言えるけれど、最近の見出し、恥も外聞もますますなくなっている。
それも二誌ともに同じ体裁。いやいや、恥ずかしい。品位ってないのかな。

 今日はトップ面はあまりちゃんと見ませんでした。『天声人語』もよく読むんですが、一行で読まなくていいって、判断しているんですね。やめました。この欄も、もっと内容が濃かった気がするのですが、時代の趨勢でしょうか。今日の本の広告欄は、ろくなのがありませんでした。文藝春秋社と双葉社と…はいはい。『ケネディ暗殺』ね。

 あっ、「ひと」欄は忘れてはいけませんね。『世界トイレデー』を国連に働きかけているシンガポール人のジャックさんのこと。これなかなかいけますね。
 携帯電話の世界中の普及率よりも、トイレの世界中の普及率の方がずっと下。この現実は多くの日本人には実感できないことでしょう。エクアドルのやきものの極貧のムラで、鍵を閉めたトイレを大事そうに開けてくれたときのことを、まざまざと思い出しました。

 今日は珍しく、俳句と短歌の投稿欄も見ました。ありますね。のっかりたくなる…。 喪失を悲しみを表した短歌はわざわざここには挙げません。
 この一句で、今日は締めたい気分…。あるよ、あるよ、みんなそうなのね。ただ、その段階や広がりや深さやスケールが違うんでしょう。


  知り合いが友達と呼ぶ人になりだんだん生まれるめんどうくささ


 ベロ亭のことを「よく知っている」という人に、今までに何人も会ったり、間接的にそういうふうに言っている人がいるとも聞きました。その前提で、ベロ亭批判??を書かれたこともありました。
 それは、私が、私たちが表出し、提出し、投げかけている「深さ」が、多くの人に多くの錯覚と勘違いをさせているのでしょう。


 秘密保護法や原発関連の記事も読みました。でも、面白かったのは、上記の記事。そして、最後の短歌。


 なお、私はここのところ、人とのやりとりがオーバーワークになって、脳細胞が過熱してしまった状態を冷ましているところなので、コメント欄への書き込みはどなたもご遠慮いただけるよう、伏してお願い申し上げます。

ケイコ

追記 私がさっき、やむにやまれず読んだ、「今日の新聞」です。あしからず。
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| やむにやまれぬ紙面批評 | 17:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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