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なんだか気が遠くなるほど思っています…キャラバンの三日前に

なんだか気が遠くなるほど思っています…キャラバンの三日前に

元旦のブログの拍手が増えないのを、
やっぱりねって感じで、考えています。
そして、色々な人たちのさびしい、
さもしい…かもしれない…言動を思い出しています。

あるノコサレシ者の一人の女性の言。
「そんなことひとつひとつ気にしていたらだめですよ。
私なんか、仮面をつけてニコニコ暮していますよ。能面のような仮面を。
がりがりに石膏が張りついてしまっているくらいですけれど…。」
これは、私たちの番組の映像被害にふれた時の事だから、
はっきり言ってかなり罪深い発言。

ある分かち合いの会にて。
「私たちは叩かれれば叩かれるほどつよくなるんです…。」
内心、ウッソー、アホクサって思ってましたよ。
大切な人を亡くしたことに直面している人の発言とは思えません。
実際、ものすごくやさしさに欠ける人だったから、
コンチクショーって思って生きているんだろうけれど、
私の元旦の『バッカヤロウ』とは全く質が違います。

のえのキョウダイも言っています。
おそらく目の前で茫然している妹を気づかってのことで、
百パーセント本心だったとは思いたくないけれど、
気づかってでも、言ってよいことだったのか、
いやいや、妹を気づかう言葉として、私が耳にしていい言葉だったのか、
いやいや、その娘自身が言ってよい言葉だったのか、
ものすごく思っています。うむ、考えています。

「私たちはサー。
のえちゃんを失った以上に大変な事なんかないんだから、
周りにどんな事を言われようと、
そんな事はさして大きな事じゃないんだから…」
このような意味の事を、
妹に寄り添おうとして言っていたんだと思います。

私が本を書くことのリスクとおもみを伝えようとして.

自分のためにも、読者のためにも、このくらいにしておきますね。

元旦の一件は思い出すたびに、痛切な思いに立ち止まります。
今終盤を書いている本を書くという行為のおもみに立ち戻ります。

年賀状を書く、受け取る、という行為や習慣、伝統をこえて、
当たり前ながら私の思いはあります。
でも、きっと、多くの人にとっては、
年賀状はジョーシキー!って世界なんでしょうねえ。

でも、今年はまざまざと思いました。
日本中の家で、それぞれの居所で、受け取りたくない年賀状や、
つらねられた名前にほぞをかむ思いの人たちが山のようにいることを…。
そうして、ほぞをかむ思いをけっして誰にも訴えられないことを…。

人々の色々な生きづらさの中での「温度差」について、
痛切に思っている、と言ったらいいのかもしれません。

12月の講演の直後の一件も、
少しだけ思いを凝らしたら判るような類いの事だとは思いますが、
それができないのが日本というムラなのだと思い至りました。
いやいや、今さらながらというほかはないのですが…。


2日間、娘ののえの音楽とミュージシャンとしての章立てについて、
とことん向き合って、推敲をかさねました。
ヒントになることがいっぱい立ち上がってきているので、
うってつけのタイミングではありました。
いよいよ、のえはのえ以外にありえない人生を生き、
のえでしか表現しえない声を遺したのだという確信に、
ゆるぎなく立っています。

それにしても、不思議でなりません。
私の執筆を応援しようという人たちが、
ほとんど誰も、のえの音楽に触れようともしないことが、
私の物書きとしての方向性や書きっぷりを、
ほとんど知ろうとしないことが。

だって、それなしには、応援のしようがないんじゃありませんか。

2日間でしたが、ものすごく長い時間、
またまた、のえのあまりにも独自な、音楽の森に分け入っていた、
そんな深い、ものすごく大きな世界を、
今一度、読者に判りやすいように整えたり、
書き込んだり、刈り込んだりをしていた次第です。
ものすごく充実していたけれど、ものすごく痛みを伴いました。
最近は、めちゃ冷静な作業になっていたので、
いえいえ、そういう冷静さは全く変わらないのですが、
元旦のことがあった後では、
一字一句が痛くて痛くてという状態が久々に復活していました。

今日は、二人のエックス県の女性に手紙も書きました。
丁寧に丁寧に書きました。
以前と違う自分がいることも感じました。
それでも、これらの手紙で人が動くかどうかなど、
けっして判らないという、ずしんと深い諦観のようなものもあります。

けっして返事の来ない手紙を、
私は私の生涯において、一体どれだけ書いてきたことでしょう。
けっして返事の来ない手紙を…。
おそらく万は下らないだろうなあ…。
何行以上を人は「手紙」というふうに呼ぶのかは別として…。

それから、今日はキャラバンを前にした必要な買い物にも、
郵便を出しにも行きましたが、
ある人の事を思いつつの買い物にも行きました。

なんだか泣きそうでした。
いや、確かに泣いていました。

それから少しして笑っていました。

それから、帰宅して、
キャラバンをするリエちゃんにもメールしました。

私は絶対温度差の中にいるけれど、
その絶対温度を相対化できるようになっているんだと思います。

そして、色々な人たちが、
ありとあらゆる、生きている場所で、
それぞれの温度差を、お茶をにごしたり、
あるいは、年賀状を出したりして、
埋めてもいるのだと思います。
まあ、そんなの当たり前ですが…。

今日、来ていた一枚は、つながろうと今でもしてくれている、
その事実が嬉しい、しみる一枚ではありましだが…。


足りない足りない、
生きているだけでは足りない…。
死んでも足りない…。
話さなければ…。
何を待っているのさ。
ゴドーを待っている。


『ゴドーを待ちながら』が急に立ち上がってきました。

不条理劇を描いた、ものすごく昔の前衛演劇の一節です。
そうか、ベケットか…。

やっぱり気が遠い…。
さようならを言いたいのに、
こんにちはを言わなくてはならないんだな。

深く大きな思いのなかで言葉を紡ぎたいのに、
現実の人々の前で、
人と人をつなぐ言葉を、
狭くも浅くも探さなければならないんだな。

せめて、このブログでは私の言葉を紡ぎたい。

時に荒々しく。
時にやさしく。
時に無謀に。
時に深くしみわたるように…。

さようならを言いたいのに、
こんにちはを言わなくてはならないんだな。
ゴドーを待ちながら…。


ケイコ
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