のえ関連、自死関連は、どうもオープンに書き込めない傾向にあるようですね。
やはり、ハダカになっているのは、
このブログの書き手の側だけのようにも感じます。
9月8日に、中学生の娘さんを学校内の自死で亡くした、
ご両親の話をじかにお聞きしました。
いじめを知らなかった学校、教育委員会と裁判中です。
ご両親がこう言っていたのが、よくよく判るから、ここに書くのです。
「私たちは、マルハダカです。
周囲は皆、押し黙って、沈黙の壁に囲まれているかのようです。」
いいですよ。
今のところは…。
私とのやりとりも、やっぱり他の人に見える形はまだこわいのかな。
パラさん、Kさんを責める気持ちは全くないけれど、
そんなところからも、人の気持ちがすかし見える気がします。
一人一人の立場があるので、私が気安く言えるものではない、
それはよくよく判ります。
私にだけ、告げてくれたことを今は大切にしたいと思います。
さてさて、21日には、
私は京都の柳田邦夫氏の講演に、
のえちゃんを産んだ、私の人生最大の快挙にご褒美を、と思って、
往復8時間をかけて出かけました。
片道4時間というのは、ドアツードアですけどね。
還暦を過ぎた私は、ジパングクラブの会員ですから、
3割引、それで4400円のところが3000円と少し。
うああ、やったあ、と思っているのは、
やはり相当の貧乏人の感覚なんでしょうね。
講演料はただ。
申し込んであった人は引換券で本がもらえたので、
まあ、お得です。
本は人だかりであまり選べなかったので、
まあ、景品感覚ではあるのですが…。
そもそも、京都の出版社がこぞってした講演会でもあり…。
この講演は、
『命を映す言葉を』というタイトルで、
柳田氏が20年前に息子さんを自死で亡くしている、
そして『犠牲』と『犠牲への手紙』を著している、
そのことで直接講演するわけではなくとも、
その20年目の心持ちが反映している講演であろう、
というような検索項目もあって、
奇しくも、のえの生誕日とあって、
わざわざ申し込んでの京都訪問とあいなったわけです。
良かったです。
少し遠ざかっていた友人とも終わってから小一時間、
お茶ならぬラーメンとうどんを食べながらおしゃべりもしました。
この友人とは、
のえが亡くなった直後の時間は共に過したのに、
あの番組で、『のえルーム』が映し出されて、
その反応めいた段階に入ってきたときに、
言葉が通じなくなってきたと感じていました。
起きていることの意味合いが届かなくなったと感じた…。
講演では、
『ラーゲリからの遺書』のこととか、
硫黄島の総指揮官だった栗林中将の人柄や、
辞世の句が、大本営で改ざんされたこととか、
『散るぞ悲しき』が『散るぞ悔しき』にね…とか、
『それでも世界は美しい』の小林万里さんのこととか、
まあ、命と喪失にかかわるお話をたくさん聞けました。
いわば、逆境をどう生き延びるか、
どう人間性を失わずに絶望の中でひとにぎりの光を見続けるのか、
そんなお話ばかりです。
中には、700人満員の会場の『一般人』受けっぽい、
少し浅いと思われる話もあったけれど、これは仕方ありません。
そうそう、ガンの闘病のなかなかのエピソードとかもありましたね。
注文したので、
今日は『ラーゲリからの遺書』も届いています。
辺見じゅん著。
『それでも世界は美しい』は取り寄せるのをためらっています。
理由はここには書かないけれど…。
小林万里さんに関しては検索して、
良い対談に出逢って、だいたいの感じはつかみました。
副題は、「原発避難を生きて」ですが…。
JR往復3000円。
烏丸までの地下鉄が片道170円。
自動販売機とキオスクで飲み物とオニギリ全部で300円ほど。
食事は友達がおごってくれたのでゼロ。
講演もゼロ。
てなわけで、
京都まで行っても、4000円もかからなかったことに、
自分で勝手に感動していました。
翌日はものすごく体が疲れていて、いらいらしてましたが、
実はその日の晩か、翌日の朝か、
ものすごくいい夢を見ました。
実は京都で、久々に会った友人が束の間の語り合いのあと、
別れる時、向こうからハグしてきてくれたんです。
やっぱり友達なのだな、と殊勝にうれしくなった私がいました。
そしたら見た夢は、のえのことや、
のえの本のことで、遠ざかった人々が出て来て、
楽しくなんの屈託もなく、語らっているのです。
なんか、すごく穏やかな気持ちで目覚めました。
でもね。
それも束の間だったけどね。
判ったこと。
やはり、のえのこと、
自死に向き合うということ、
その他、ベロ亭の生き方の複雑怪奇さについていけない人たちと、
行き来できなくなっていることが、
とてもつらいのだと判りました。
まだまだ、本は執筆中。
ヒデコちゃんは言います。
「本が出たら、応援する意味がはじめて、
しかるべき人には伝わるんだろうなあ」。
うん、多分そうです。
時々、最近、また頭がものすごく混乱します。
小林万里さんも書いているけれど、
私は黙って寄り添ってほしいだけなのだ…。
同じ方向を見ている、その実感と共に、
人と共にありたいのだ、と思います。
共に同じ方向を向いている実感…。
それはその場その場での、見えないたたかいでもあります。
それもまた、共にの覚悟の元にある、そういう必要があるのかも…。
混乱するときは、
どこか架空の街に住んでいる自分を想像したり、
宝くじが当って、一攫千金となったら、何に使おうか、
などなど、久しぶりに考えて、
ぐっすり眠ることにしています。
ものすごく努力して馬鹿なことを考えます。
昨日から、
本格的に執筆に復帰。
どんどんアイデアと筆致が決まっていく手応えがいちばん、
私には安定感をもたらしてくれるようです。
私は誰もたやすく信じていません。
私は誰もにあるはずの、希望の種を信じようとしているだけです。
それは感覚でもなく、
感受性でもなく、
意思です。
生きていく私と伴走している、
大きな意思です。
それを肩で押しているのが
のえの声、
のえの声の深さと人間としての姿なのです。
ケイコ
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そうか。クリスマスが誕生日なんですね。何年目なのかなって、ふっと思う。
一応大きな都市にいても、人混みがつらくて講演に行かれないんですね。
例えばトーキョーにいるだけで享受できる文化、講演、コンサートの類い、うらやましくはないけれど、そこで起きている文化格差にはいらつきます。
今回は、このテーマで、のえの生誕43年のその日だったから、多少からだにはきつくても行けました。行けた自分にもご褒美があげたいくらい。
講演の途中で、退席する人、私の周辺で約三名。近場の人の暇つぶしには、面白くない話だったのかなって思って、どの「おじいさん、おじさん」もいかにも出て行きそうなタイプなのがおかしかったものです。
小林万里さんの本は「それでも世界は美しい…原発避難の悲しみを生きて」といいます。
困難な状況の中での人間性をテーマとするとき、右派も左派もなくなるところがあります。
これもまた、考えるところ。小林さんは、避難区域の隣りの村で過ごしながら、全日本的な脱原発の動きにも、やや違和感を唱えています。よく判るだけに、慎重に読みたいかな。
誰だって共につらなる心意気や、意志が支えているのです。ぎりぎりの人生を。
あわれみや同情は、真綿で首をしめられるようなもの。人を生かすことはないと思います。
| ケイコ | 2013/12/26 02:37 | URL |