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箱の中の嵐? いいえ、私の中の嵐ですか〈二日後に加筆)

パートナーの個展が始まったのだから、少しは気の利いたやきものの話でも書くべきところでしょうか。
それができない。できません。

でも、個展のタイトル「箱の中の嵐」に匹敵する話題はいくらでもあります。
今、私は私の中の嵐を持てあましています。

という訳で、これを書いた翌日である昨日は、個展の二日目に同行しました。
久々、良くも悪くも外の空気を吸いました。
良い事のほうが多かったのだろうと思います。
思いのこもった個展への訪問も多かったから。
それでも、おとといの夜から続いた波紋が私を揺さぶりもしました。



結局、この嵐は、のえの命日前後の、久々にキョウダイが集まった、あの四泊五日の哀しさに端を発していると思います。「平和的解決」に渾身の力をこめて、ほぼ毎日寝不足で、ひそかに元気になる薬ものんで、費やしたエネルギーがなんだったのか、やはり判らなくなっています。
それは直後から紛れもなくあったけれど、今や、私が本を書いている意味すら問いかけてきます。
直後は、今までにない種類の疲労というか、疲弊感を体験していた。
何か、誰も傷つかないために、めちゃくちゃにやっぱり「傷ついていた」んだった


毎朝、あの子の今の課題をきちんと語ると、もう一人の別のこの子を立てられなくなるから、
どういうふうに語れば、みんながうまくスムーズにこの日々を送れるかに、
全身全霊で耳を傾けて過ごしました。一人で対策会議をして、それを粛々と実行した。
何か、針のむしろの上で、針を針とも感じないようにして、
にこにこというほどではないけれど、
穏やかに話し合い、語り合い、結局私の「平和的解決」にいそしんだかのよう…。
平和的解決も、やはり本音でぶつかる覚悟もなければなりません。
傷つきやすいキョウダイたちを守って、
とりわけ、押し黙っていた一人を守って、私はありえないほど知恵をしぼりました。



それはそれで、良かったのかもしれません。
でも、私にはただただ辛い、拷問のような時間でした。
一人一人を立てる、働きまくっている子の存在も、
働けない子の存在も立てる。
言葉で自分を語れる子も、全く語れない子も立てる。
キョウダイではないけれど、六番目の娘みたいな一人が影で、
どんなにこの日にいたる日々に力を尽くしたかも皆に伝えたい。

毎朝、2時間はそんな三次元三次方程式を解いて、
頭と心と魂を総動員して、より良い一日をどうしたらおくれるか考えていた…。





私が二人いたらなあって、思います。
本を書く私、応援団をする私。
二回、9月1日と11月4日に東京で、本の応援団を持って、
自分でそれを呼びかける限界にも気づいています。
2回目の時に呼んだ二人の、大切な人の自死に向き合っている人たちに、
かなり渾身の力をこめてコミュニケーションをはかり、
ものすごく他の人に何がどう大変なのか、見えるように努力したつもりではあるものの、
私が、皆さんに使っている最大限の工夫とエネルギーって、
応援していただくためだけのものって思われがちで、
なにかとてつもなく割に合わない立場を一生懸命やっているみたいに思えるときもある。
いやあ、良い語らいも沢山できたんだけれどねえ。



のえの命日に集まったキョウダイたちを「立てる」ために、
頭を総動員する私と、そんなことを立てなくともいいのよって、
間に入って、自死に向き合う家族に
何でも言っちゃいなさい、と「介入」する
「ミッチー…隠れた贈り物」の著者、

アイリス・ボルトンみたいなカウンセラーの私。


私が二人いたらいいなあ、って思います。


あの9月も私が二人いたら、のえは生きていたかもしれません。


診断を受けた私と、ケイコちゃんは診断を受けたんだから、
ちゃんとにあなたたちが向き合わなきゃダメなのよーつて、
キョウダイやヒデコに語りかける私。


一人で何もかもなんてできやしない。


ケアしてーって働きかけて、
けっこう、ケアしていることのほうが多い場合もある。
私のケアって独特だから、
ケアされたり癒やされた側が、自然と立ち直った気になって、
皆気づかない。ものすごく割に合わない。
それでいいと思っている私もいるけれど、
最低限の敬意は持ってほしい、気づいてよねって、
たまには言いたくなるってことはある。
応援団のときのカンパとかね。
だって東京まで出向いて持っているんだよ!!
ヒデコのトークのついでなんかで、
できるようなことじゃあないんだよ。…
結局、「のえルーム」もそうなんだけれど、
さすがにあそこでは皆、よく気づいたんだと思う。






嬉しい言葉。

私はね、のえを喪ったあとにこれを書いているんだからって言うのに対して、
「うしなっていないものをちゃんとに見つめて、
書いていらっしゃると思います。」と言われたとき。
これを言ったのは、別の日本のタブーに向き合っている方。
だから、言えたって面と、やっばり喪ってないんだって、
あとからじわじわ来たったのがある。
でも、応援談に粘り強く参加してくれたり、
段取りをしてくれたり、はなまなかな尽力じゃない。
やはり、私は失っていないものを見つめて書いているんだと、立ち戻れる。




「なんだか、のえちゃんがこれからもう一度、生まれてくるみたいだね」
と言われたとき。
これは、今回書いている本に、ベロ亭を出そうかと悩んでいた折、
前述の「失っていないものを書いている」って言われて書いたブログで、
「のえがこの庭を走り回っていたんだ」って書いた後に、
それを読んだ関西のある方から言われた言葉。
見えたんだね。私と同じように走り回っている、のえがって思うと、
むしょうにうれしかったよ。




怒り心頭に発して、たたきつぶしたい言葉。

「あなたはパイオニアなんだから、
判ってもらえない判ってもらえないなんて言っていないで、
どんどんやればいいのよ」

ええいっ、いつ私が「判ってもらえない、判ってもらえない」って言ったんだ??
こういう奴の側が実のところ、「判らない」ような、
自分で向き合えない闇や暗さを抱えているんだよなー。

実は、彼女は二回、東京の応援団に来てもらっている。
賭けだと思っていた。境界線にいる人だから。
内面と社会をつなげられないところをいつも感じる。

この人自身が上昇志向から抜けられずに、
同じところでぐるぐるまわっているんだよね。
それで、「モデル」か「パイオニア」みたいな人に、
「ふつう」の自分ができないことを押しつけてくる。
その上、私の認識の断片だけ盗んで、
判ったフリさえできる。
心の一部と頭脳の一部だけはよく使える。
底の底からひっくり返したりはしないんだよ。こういう人は。


みんながあれだけ向き合って、
私が皆に私の今行き着いているところを話し、
別の人が、今まで誰にも開けなかった心の内を語っても、
「ケイコさんの執筆が前代未聞っていうけれど、
前代未聞の前代がどうだったか判らないから、
未聞だってことが判らないの」とのたまう。
この人自身が向き合えなかった体験が、
前代そのもの、だって認識が生まれないのが不思議。
未聞って、未聞って、
二回の応援団の合わせて、15時間くらいの語りをあれだけ聞いても、
結局、未聞って言うなんて、全く判らないんだなあって、
足下がぐらつくほど落ち込んだ。





もう一つ。
「のえルームをやっているあなたは笑ってらっしゃったわね。
この笑いには、どれほどの嘆きと涙があることかと思ってみていたわ」。
これは電話で初めて出逢っている人との会話の中。
声の響きにわずかなトゲが隠せなかったんだよね。
美しく、真摯に、ケンメイに話してくれたけれど、
彼女は、あなたの笑いは「信じられなかった」と言外に言っていたと思う。


ええ、確かに涙なしには、娘の生と死に向き合ってなどいられません。
でも、のえルームにいるのは、私の至福の時間でした。
それを否定されるのは、のえルームの尊厳のみならず、
のえの生と死の尊厳も否定しているのと同じ。
なぜ、至福なのか言わないといけませんね。
ここで、私はレジリエンスをたくわえていたんです。
レジリエンスって、圧倒的な体験のなかで、
なんとか生き延びようとする再生力のようなもの。
命がけで、レジリエンスを皆と共に共有していたのです!!


私は確かめたくて、
「娘のモノを並べて、
皆と共に思い出を共有するなんてしてはいけなかったのでしょうか」
とふってみました。
ふってみた気持ちは少しあったけれど、
なんだかそのときは言っている事柄も本気でした。
こういうことはしてはいけないと、
自死遺族たちは思っているのか、
してはいけないことと思っているのか…。

かのお方は言いました。
「いいんです。私たち自死遺族は、
泥棒になっても、買い物に狂っても、
酔っ払っても、何をしてもいいんですよ」と。
とりあえず、私はのえ亡き直後に少し買い物に向かったことがあって、
これはこれで了解できる範囲の事としても聞けました。
十年間、夫を亡くした後に飲んでは酔いつぶれての日々を送っていた人もいます。
その上で、今は、自死遺族の中でも卓越した活動をしている人もいます。
私の買い物など、もともと貧乏だから、わずかな浪費。
命をつなぐためというほどではない。
気を紛らわせる程度でした。


でもねえ。
泥棒や、酔っ払いと「のえルーム」を並べたんだぞ。
このお方。
何度思い出してもおののきます。
「のえルーム」の意味、おもみ、尊厳をふみにじった人。

ふみにじった、と断言するのに少しのためらいはあります。
ふみにじりはしなかったのかもしれません。
本を書き上げたのには、頭をたれると言ってくれた方だから。

失言かもしれないけれど、
それにしても、重大な失言だとこころしてはいる、
そういうことです。



ええ、
パイオニアなんだから、
判ってもらえない判ってもらえない、なんて言わずに、
どんどんおやりなさい、
と言った人も、
この、何でもしていいんだから「のえルーム」もしていい、
と言った人も、自死遺族だって、
信じられますか。

二人の物言いは、真逆に私を引き裂いています。
人が傷ついても、悲嘆のただ中でも向かおうとする意志、
その意志の出どころが悲嘆そのものだと見えていない人。
もう一人は、
人が回復する可能性への信頼を疑うクセがついてしまった人。

前者は余り傷ついていないか麻痺させてきたんでしょう。
後者は傷ついていることに拘泥していた月日が長いんだと思います。
それはそれで、仕方ないのかもしれません。
ただ、むやみと人を傷つけるかもしれない言動を、
自分がしかねないとは気づいていないのが困るんだ。



今日はこの辺にしておきます。


ただ、ケイコさんが本のために刻む一字一句が、
どんなに悼みと痛みに満ちているか…、
今日はある方がメールしてきました。
この方は、11月4日に初めて応援団に参加した方。
応援団の意味が薄れそうな危機を感じていたときに、
やっと聞けた言葉でした。




それで、少し救われました。


ええ、
少しね。

少し救われた。



さっきあった、とんでもないけれど、
書くに及ばない小事件はここには書かない。

でも、とってもさもしい、さびしい、
哀しい小事件。

8月の初めに起きた身内とのある事件が、
解決の方向に行っていたと思っていたのは、
間違いだったと知ったのです。
私と娘の一人との電話での対話のおもみを、
理解していないその夫君が、
会話を中断させた暴挙で、
私にどれほどのことが起きたのか、判っていないばかりか、
それだけではなく、娘もどんなふうに苦悩と共に宙づりになっているか、
発覚してしまったのです。
その点では、けっして小事件ではありません。



生きているのって大変だ。
生きているのって難しい。
希望を忘れないでいるのってなおのこと。
一つの人間関係が、切断されていたと知るのはやはりものすごく残酷なこと。
のえの生と死をつなごうとしている私には、時に耐えがたい。
足下をすくわれます。
無口になった娘が、
どんなに必要最低限の伝達能力さえ失っているのか、
その結果、ますます問題が悪化してしまうという事実に、
何度もそうなっても気づかない。



忘れよう。
とってもさもしい思いをさせるのが、
確かに昔育てたはずの子どもの相手だったりする事など…。

本当に自分に必要な、
大切な、
かけがえのないものをあたためている人だけに、
できるだけ向き合おう。

これは、自死に向き合って生きていく人間の鉄則です。
崩れさせるものに充ち満ちている世界ですから。
物見遊山の野次馬。
偏見で固まって物事や出来事の本質を見失う身内、
などなどに囲まれているので、
その鉄則を守ろうとすると、
世界が狭くなりがち。
狭くなりたくないと努力すると傷つくのです。



昔、一生懸命、育てた双子の娘の一人が、
今や遠い世界にいるなんて、
忘れよう。
忘れよう。
いや、忘れる訳にはいかない、と謝りメールをもらって、
やはり思いました。
謝っているだけじゃあだめなんだよなあって思いつつ、
これじゃあ三歳児だなあってためいきつきながら、
命をつながなければならない命がここにもある、
それに気づきます。



たとえ、目に見えなくとも、
私のすぐそばに、
のえがいることを刻んで、刻んで、
生きていこう。
結局ここに端を発して、ここに戻る。
でもねえ、のえちゃん。
あなたの遺した宿題は時に大きすぎる。
こんなにねじれた世界では…。




死にたくなりそうになるけれど、
まだまだしなくちゃならないことがあるんだから。
私はまだレジリエンスを携えてはいる。
でも、時にぐらつきます。
昨日、出かけたヒデコの個展会場の奥でしている、
マッサージをしてもらって、
マッサージ師が、私が自律神経を相当いためている、
とヒデコに警鐘のように言ったそうです。
いためていると思います。



よくまあ、5人もの子どもを育てたもんだ。
子育てなんて、本当にわりに合わないよなあ。
割に合わないからこそ、
理不尽な人生も教えてくれるんだよなあ。


生きていこう。
生きて、
生きて、
書いて、
書いて、

唄いきって、生ききった、
そんな、のえを描こう。
伝えよう。
それは私しかできない仕事。

だから。
だから。


嬉しいことを言ってくれた事だけ覚えておこう。
にえくりかえることなど忘れよう。


生きていくために。


とは書いても、起きた出来事の中に潜む、
人の弱さや醜さを見つめない訳にはいかない私もいます。
そうして、二日後の加筆とあいなりました。
はい。
そういうこと。



ケイコ


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| 心底飛びきりのケイコ節 | 22:59 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

母も娘も、お互いを思いやっている。
大事な存在だと思うからこそ、過ごす時間は気持ちよくいたいですね。

普段の生活はそれぞれ別の場所で別の時を刻んでいる。
知らないことの方が、知っている事よりもずっとずっと多くなってる。

知らせないことが相手の幸せだと思えば、知らせないまま。
言わなければいけないと思ったことは、どうすれば相手の気持を害することなく伝えられるかと、考えを巡らせます。

そうしないではいられない。
それがどんなに辛くても、相手の笑顔を望むから。
笑顔が私の幸せだと思うから。

| PARA | 2013/11/25 09:54 | URL |















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