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人が生きられなくなるということ

問トーキョーなので、携帯からしか書けません。細かいブツギレ日記でご容赦。

結局、昨日なぜここまで書くのだ、と言われた事柄、人物は、のえが生きられる道筋をひらけなかったことに大きく関わってきます。

朝方起き出して、なぜここまで書くのですか、これについて、かくかくの人物について、というときの悪魔のような声が甦りました。なぜ悪魔の声かというと、それは人を死に追いやる道筋を見たくはない、触れたくはない、というシンボリックにしてリアルな声で、多少なりとも意識的でもある問いかけは、まさに、人が死に追いやられることを肯定する声であり、追いやってしまう状況を許しましょうと言うより、放任しようという声であるのです。

不況は、より商品として多数に迎合し安住する人たちをターゲットに、売らんがための本作りしかできない状況に追い込んでいきます。そして、かつてはまともだったはずの編集者の良心をも呑み込んでいきます。

かくして、私が亡き娘に向き合った明確でシビアであたたかい思い出まで、ネタにすぎず、削ぎとったりメスを入れたりがOK!だと、まるで現代医学の手術の乱発のように言い渡されるのです。

えぐらなければならないとしたら、人を死に追い込む日本の闇です。

しかしながら、その闇の側にいる人間、否、出版マシーンが私とのえの本を作ろうとしていることに気づいて暗然とする。そんな本作りなんかじゃ、人が生き延びられる可能性を示せる訳もない。

ミヒャエル・エンデの、モモの、彼らは紛れもなく、灰色の男たち。
のえは紛れもなく、モモなのだと気づいた私はどう、のえの歌と日記、私のノンフィクションを守ったらいいのでしょうか。

彼らが指摘したシーンには、まさに、のえの死の尊厳をおかした手先の動きすらあるのです。
そんなふうにセイヒツで無言で清潔な安置所でのひとときをおかした無作法と無神経さをなぜ書くのか、と問い、ぶっきらぼうにナイフで突くような言い方はありえません。
あたかも、のえは彼らによって三度殺されたかのようです。

割りきりなさい。
割りきれません。

目をそむけなさい。
目をそむけません。

そういえば、目を背けないという、自死に向き合う姿勢の重要性を語ったとき、これはある厳粛なエピソードを伴っていたのですが、彼らは聞く耳をまるで持たないようでした。
口元は私の真摯な語りをせせら笑っているようにも映りました。
私が目を背けないエールをもらったという書籍の名を控えることもありませんでした。

おそろしいことです。

ケイコ
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| 出版という困難な旅路にて | 08:25 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

まさに血も凍る日本社会の現実ですね。だから政治もこの有様。

| KAGE | 2013/11/02 20:21 | URL |















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