PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

のえへの「いとしさと悲しみ」をつなぐ東京の旅から

むむむむむ、と何字書いたらいいのか、って思うほど、
そりゃあ、濃密な旅でした。

サンヤの街は、今やインターナショナル格安ホテルの街。

その老舗中の老舗の310号室が、
私の十日間をしっかりと支えてくれました。
一日二千円だいでしっかり安心と共に泊まれるって、
ものすごいことです。

一階にキッチンもランドリーもあって、
二回、料理をしましたが、洗濯はしませんでした。
二回、洗面所でタンクトップを洗って、
干したら朝には乾いていたっけ。

女性専用階が三階で、各階に煎茶、ほうじ茶、水の、
熱いのと冷たいのとが給茶器でいつも利用できるので、
ほとんどペットボトルとは、
少なくともホテル周辺ではお世話になりませんでしたね。
ものすごく経済的。
しかも、お隣のスーパーがほどよい広さで、
こういう半分炊事状態にちょうどいい、食材がそろっています。


好きだなあ。
ラテンアメリカを旅している時もいつもこんなだった。
ボールや皿も携えて、旅していたなあ。


何をどこからどこまで語ったらいいのやら。


ともかく、まずは、のえへの「いとしさと悲しみ」を巡る旅だった。

のえの最初のオリジナルが生まれるのに立ち会った、
ある元ミュージシャンの男性にお会いしました。
彼の人生の節目でもあるこの時期、お会いできたことは、
何よりのことでした。

もう一人、のえとのことで、
大切な分かち合いもしてきました。
のえの音楽の天分は、間違いなくその人からも引き継がれたものでしょう。


大切な、深い、静かな、しみいるような時間でした。
思い出すと泣きそう。
思い出すと溢れます。
何が…。
何か、限りなくいとおしい、限りなく深い、
人が生きていることと、どこまでも一人であることと、
それでいて、やっぱり人と人がつながってあることと…。


うむ、このお二人が似ているという発見もありました。

のえは知っていたのかな。
知っていたのだろうな。


それから、本の出版を巡る動き。
これはシビアな面と、
暖かい面と、
もどかしい面と、
限りない面とでできています。

おいおい書けることは書くし、
執筆に反映させることはさせます。



自らのケアもたっぷりとしました。
ちょっともったいなくて書けないなー。
語るほどにぐいぐいと入り込む傾聴の人。
おそらくこの日本で、
今の私にとってこの上ない機会だったと思われます。

そして、私はますます深く、自分に向けて語っていました。


ある自死と向き合う方との出逢いも、
かけがえがなかった。
じっくりと育むことになるでしょう。

そして、自死に向き合う社会に向き合うまなざしを、
専門域としても、人間としてもつちかってこられた方との、
つかの間とはいえ、濃縮した語らい。

「あなたからいただいた事のほうが多かったと思います」
という言葉の真摯な響きを大切にしたいと思います。


そして、いつもながらに限りなく優しいN先生との邂逅。
新宿西口側のある有名なホテルのフロントの隣の、
時々ピアノ演奏もある、広々としたそのカフェでの時間は、
不思議な東京体験めいてもいました。
(紅茶一杯が1200円に驚いている貧乏人!!)

自閉症がご専門のN先生から、
本の中の根幹にかかわる大切な章に関して、
「いいでしょう」と言われた事、これも大切に携えていきます。


もっともっとシビアできびしい時間もあった。
火花が散ったと言うべきか、齟齬があったと言うべきか…。

それはある方との一対一の対話であったり、
あるフォーラムでかみしめる「孤独」であったりもしました。



だけど、そのいずれもが、
のえへの「いとしさと悲しみ」を巡る旅だったことは変わりません。
それがどのように届き、どのように届かなかったのかに関わる…。


この「いとしさと悲しみ」の質と在り方を、
だから、私はきちんと見極めなければならない、
そんなところに立っていると思います。


またも…。

そう、またも、発達障害と診断された後に、
「自死」された息子さんを持つ方とお会いしました。
随分お話してから、
のえが亡くなって一ヶ月後に京都でお会いした方と同じ方だと、
お互いに気づいた次第です。
あああ、あんなにまだ時間がたっていないのに、
京都に出向いたんだよなー。


そして、何かがいつも切ない。
それでも、どこかがいつも悲しい。

こんなに「分かち合ったり」「理解し合ったり」してすら、
どこかが切なくも悲しいのです。


自分の位置の見極めが難しい。
否、
自分の位置は見極めているけれど、
それをどう伝えたらいいかが難しい。


だから、切なく、悲しい。


帰宅後、シューマンを弾き、
中島みゆきを唄ってもいます。


「リメンバーのえルーム」のお披露目はいつしようかなあ。

今年の命日はキョウダイたちも集まれるみたいだけれど、
どうしてこんなにもなんとも言えない気持ちになるんだろ。
なんで。
なんでやのん。


のえの命日まであと、三週間。
のえのメモリアルフラワーの西洋芙蓉は、
地道に時々咲いては、またおやすみ、また咲いたりと律儀です。


うーむ、世に出すってすごいこと。


一気にのえの音楽仲間4人と話せたこともとっても大きなこと。

その一人が言っていました。
「のえの音楽はどんなに時代が変わろうと、
届く人には必ずや届くもの」と。

もったいないからこれ以上、ここには書きませんが、
「うたうたい のえ への オマージュ」の章が、
いよいよ濃密になっていく感じがします。


そう、のえは時代を間違えて生まれたりはしませんでした。
あの時代にベロ亭があり、
うたうたい のえ の
うたうたい のえ である時代があった。

東京に着いた翌日、新宿駅東口に出て、
きれいになったあの小さいガードを携帯におさめました。
ひととき、手も合わせました。
それから、急いで新宿二丁目のとある場所に向かいました。


のえ、ありがとうね。

ケイコちゃん、やっとここまで来れたよー。


オツからもらったゴマクリームはのえのところに置きました。
君だけに見える希望…それを信じ合ったんだものね。




沢山ののえの音楽ファンが、そして音楽仲間が読む本でもあることを、
たんと意識させてもらった貴重な時間でもありました。



今日は倒れた旅人たちーも…♪
生まれ変わって、歩きだーすよおー…♪



幸運にも三回入れたホテルの立派なお風呂では、
一人、のえとの対話をしていました。
うん、今日はね、誰々に会ったんだー、とか、
ただ、声を出して、呼んでいたり…。



のえ、
のえ、
のえ…さあ、……なんてね。



最高の傾聴をしてくださった方は、
こう最後に言ってくださいました。

「あなたの中に、
どれほど娘さんが生き生きと生きていらっしゃるか、
ものすごく感じることができましたよ。
そして、それがとてもよく判りました。
今日は、忘れられない日になるでしょう。」


最高の贈り物でした。


東京での、かけがえのない時間の全てに、ありがとう、と言います。
声を限りに。


そして、4日にヒデコが大けがをしたにも関わらず、
私の旅を続けさせてくれた、人々の手助けの全てに感謝を捧げます。

とりわけ、ケガがした瞬間居合わせて、
適切な判断をしてくれたゴー君。
病院に取るものもとりあえず駆けつけたり、
安定感のあるツエを探しに二往復してくれたり、
そんなふうにしてくれたリエちゃん、ありがとうね。

それから、東京のハードな仕事の合間をぬって、
ヒデコのケアにかけつけたサナエ、ありがとう。




そして、ここまで、私を歩ませてくれた、
全ての出逢いと、
差し出された全ての手、

時にふりはらわれた手すらも、

暖かい抱擁の全てと共に、
戸惑いのまなざしと共に、




何よりも、のえの生きた時間、
生ききった時間の全てに、


のえを私に与えたもうた、
天の采配に、感謝を捧げます。





私は生きて、書き続けます。


ケイコ




追伸 9月1日のことは、
   書ける時期が来たら書きますね。

   新宿二丁目での新たな出逢いにも感謝。
   私もまたLの一人であることをもって、
   やはり前に進む。
   それはあたかも棚に上げているように映ったとしても、
   どうにも抜きには語れぬ。

   その事実を書き添えて、結びます。




スポンサーサイト

| のえと共に | 03:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/1141-25fafeb6

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。