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追悼 藤圭子さん〈3日後に、自殺報道を巡る国際基準にそって、こころしてチェック)

追悼 藤圭子さん


http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130823-00027482

上記のアドレスは、藤圭子さんの自死に関して、
その報道のありかたを巡ってなされたものです。

私が3日前、亡くなられた当日に書いたこのブログを、
この基準をざっと読んだ、
「自死遺族」当事者として、今一度チェックしてみたいと思います。
こころして、心を砕いて、祈りながら…。



えっ、ベロ亭のブログでこんなことを書く訳って思いますか。
どうか一度は思ってください。
これは、藤圭子さんが「大衆的な歌手」だった事をさして書いています。
むろん、自殺報道に熱狂して書く、そんなつもりがあるはずもない、
という事は、多くのこのブログの読者はおわかりでしょうが、
もしかしたら誤解を招く書き方かもしれません。


今日、午後、考えられない残暑の中を、冷房の効かないハイエースに乗って、郵便局へ。どうしてもすぐに出したい郵便があったし、英子は冷房の効く方で出かけていたし。

冷やっこい小さいけれど、今となってはその機能の割にはだだっぴろい局の片隅に置いてあるテレビがなにやら聞き覚えのある名前を言っていました。それから、はっきりと聞き取れた「自殺」という音声…。
藤圭子、自殺、マンションから飛び降り…。そんな事々が次々と私の耳に入り、郵便を出すや、画面に釘付けになりました。

そうか、新宿のマンションだったんだ。知人の男性…??
まだまだ、時間がたっていないかのような報道だなあ。
そうか、「ご遺体は新宿警察に安置」かあ。

フラッシュバックのように、確かに超有名人の「自死」なのに、まるでヒトゴトではないかのように、報道の内容が私の耳に、目に届いてきます。
帰宅して、またすぐにテレビをつけましたが、どこもやっていませんでした。
ここまでは、まさに、国際基準を逸脱した報道にさらされた一人の自死遺族として、
反応していると思います。
確かに、「現場」が映されているのはつらかった。痛ましかった。


それから、さっき、夜の庭で草花に水やりをしていたら、急に圭子さんのことがまざまざと思い出されて、そうだよ、そうだよ、彼女は昨晩、最後の夜を生きていたんだよって思ったら涙が止らなくなりました。いや、私としては、他のことも自分の間近に迫っていることとして考えてもいたんですが、やっぱり気になって、始まったばかりの「報道ステーション」をつけました。

最近、テレビはまず観ません。随分久々に積極的に観ようとしている自分を意識しました。

藤圭子。
私はいくつか符合する思いがどうしても避けられない存在なんです。

新宿という町。
同じ時代に同じ町で、あのぐさっと胸にささる声でデビューした存在。
そう、同い年。いや、私はまだ一つ下だけれど、同じなんですよ。要するに。
それから、北海道の風を知っている心とからだ。
それから、まあ、ケイコさんって名前はどうにもならないね。
この年代は大安売りみたいに多い名前だしなあ。

そして、演歌でもなく、艶歌でもなく、
怨歌というジャンル?を創りだしてしまった人。
だって、これってブルースだよねえ。

なんか、骨身にしみて、高校時代の自分が甦るような存在なんです。
15、16、17,と…と彼女が唄う時、まさに私もその年頃を生きていたことをまざまざと思うのです。

赤い花ならケシの花。
白い花なら百合の花。
どう咲きゃいいのさ、このわたし。
夢は夜ひらく…♪♪
ここまでは、あくまでも私自身の個人的な、藤圭子さんへの思いの吐露です。
こんなふうに同時代を生きた人たちの思いが揺れたのは間違い有りません。


画面では、彼女の歌が披露され、五木寛之の追悼の言葉が紹介されていました。
ルサンチマンを代表する歌手……かあ。
自己否定感を心底、はき出すように、あの年で石川さゆり、なんてもんじゃあなく唄っちゃっていた圭子さん。

昨夜の今頃、最後の夜を紛れもなく生きていた圭子さん。
みんな、その事を忘れているでしょって言いたかった。
私は、のえの最後の夜の事を百万回は考えたし、思ったし、手を伸ばそうとした。

あの唄と、この最後を誰もがこれから結びつけるのでしょうか。
それはそれかもしれないけれど、私はそんなふうには思いたくはない。
唄っていた唄と、その人の死に方が安易に結びつけられるのはいやだった。
でも、生き方に歌い方が反映してる事はある。そこまでは否定できない。しなくともいい。
でも、ジャニスだって、どう亡くなったか、ではなくて、
どう唄っているか、たんと堪能してよねって、
添付の資料に書いてあったよね。
有名になっちゃうと反対の現象もおきるんだ、って思ったっけ。
それから、藤圭子さんの唄は、自作詞じゃないって事もすごく思ったっけ。


生きていたんでしょ。
だから、命つきた。

唄っていたんでしょ。
だから、唄わない時間もあった。
ここの部分も「生きていたんだよー」ってなメッセージをこめていた。

そうして、彼女の周りに、彼女のこの最後を受けとめかねて、苦悩する人たちのことを思わざるをえません。まあ、有名な歌手がお嬢さんだから、ツィッターはそれでほぼ埋まっているけれど、そして、それははかりしれない事だけれど、それでも、私は同時代を知っている一人のファンとして、まあ、かなり番外編のファンとして、だけれど、やはり心からの追悼の思いを捧げたいと思います。
これは、まあ「自死遺族」としての、最低限の礼節として書かせてもらいました。

五木寛之の追悼の言葉に、浅川マキと並べて語られていたなあ。そして、生きづらさとして、金子みすゞと並べていたなあ。そういう人に人生は残酷に働くのかもしれない、とも書いていたなあ。

でも、本当に本当にそうなのだろうか。
これは疑義を唱えたいところが、どうしてもあるんだなあ。
簡単に言うなよって言いたい。
のえが亡くなった時にも訳知り顔で言われるのはご免だった。


時代をになうような唄を唄った歌手の死に、またひとつの時代が終わったと感じる私。

でも、本当にそうなのだろうか。
そうなんだけれど、そうなのだろうか。
この年になると時代が終るって感じるのはどうにもならないけれど、
私は時代を終らせないって、心意気も持っているつもり-!!


新宿。
北海道の風と光。
同じ年齢。
ケイコという名前。

まあ、あとはある種、縁もゆかりもないようで、でも、やっぱりあの歌声はあらためて聞いても、ずしんと来るよねえ。
なるほど、お父さんもお母さんも浪曲師とか、その道のプロだったんや。

圭子さん。
どうか、どうか、
天国で、あなたの夢を思いきりひらいてください。
誰にも届かない、その夢を、
あなただけのその夢を、
どうか、どうか思いきりひらいてください。
私もまた、「ゆめはひらく」という歌詞に符号した事柄を言いたくなっていた。
それは、故人をおとしめる事だとは思わない。
ただ、過剰にそこにかさねるのは、やはり失礼だと思う。思います。


あなたの歌声と共にあった私の15,16,17と共に、私はあなたの歌声を忘れません。忘れる訳がありません。
これは、ホントのホントの私の気持ち。そういう人たちいっぱいいたと思うよー。

と書いて、ベロ亭のケイコさん、こんな大衆的な歌手の事も書くんだって思った読者の方、いますかね。印象変わりました??

どうにもこうにもつらいんです。人が自ら、人生に終止符を打たねばならないその瞬間を思う時、どうにもこうにも悲しく、心が身がちぎれるんです。

どうか、連鎖など起きませんように。
誰も、よりいっそう追い詰められたりしませんように。

静かに、冷静に、そうっと、彼女の生と死を見つめられますように。
そんなことはとても無理だとしても、少しでも、少しずつでも、日本社会が、彼女の死を前に、穏やかでいられますように。

圭子さん、スッゴイ歌声をありがとう。
心から、心の底からありがとう。

合掌。


ケイコ
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| 声・唄_・詞・音楽 | 23:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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