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なんとも言えない、根源的な痛苦が気にかかる

なんとも言えない、根源的な痛苦が気にかかる





こんなことをこの日記に書いていいのだろうか。
だけど、私は自分自身だけに向ける言葉を紡がなくなってから久しい。
その種の作業は自分の心の中で、言葉を瞬時に紡げば事足りる。
それは自らの精神性の蓄積にこそなれ、精緻な、詳細に渡る事柄は、
忘れてしまったほうがいいと、すでに20年ほど前に放り出してしまった。

人とつながるための言葉以外には書かない。
ひとりごとも、人とつながる時に意味を持つ時しか書きとめない。

今日のこのブログは、限りなくひとりごとに近いけれど、
根源的に人の孤独というものを見きわめたく書いているとも言える。

昨日、ある方と話した。
私としては、歴史的と言える対話をしたかもしれない。
あるいは、そんなに歴史的とも言えない対話だったかもれしない。

人は、なにをもって自分を抑圧し、あるいは抑制し、
そして、人として立っているのかをあらためて深く考えることになった。

抑圧と抑制は、裏腹で、全く違いもするけれど、
時にものすごく近いところにあったりもする。
人一人の力ではとても処しきれない、そんなことを負ったりもするだろう。

私はその方に、
「ご自分の体とお気持ちとお身体を大切に。ご自身をいたわることをためらわないよう」
と、対話後のメールのやりとりで丁寧に「アドバイス」された。
 この上なく、真摯で誠実でデリカシーに満ちた方だった。

それでも、私はこの「アドバイス」の置きどころがないことに気づく。
きっと、芯からそう思ってくれて言われたことには寸分の疑いもない。
それでも、そうであるにもかかわらず、私にはその言葉の置きどころがない。

前にもある人に言われた。
やはり、私と同じ立場を十年以上されている人だった。
その人には、面と向かって会った後だったから、なにか「先輩づら」されているようで、
ただ、自分の中で棚に上げれば良かった。

しかしながら…。

昨晩の方は違う。
私はこの日記ですら、「この人」とは書かず「この方」としか言いようがない、そんな方。


この方は、日本の闇や、絶望をどれだけ負ってきたことだろうかと思う。
この方は、日本の闇や、絶望とどれだけ向き合ってきたことだろうかと思う。

それでも、自らの意志で希望を手離さない、
そのことを自らにどれだけ課してこられた方だろうか、とありったけ思う。


だから…。
だからこそ。

私は黙して、祈る。


ちりぢりになった生と死の狭間で。
結びつつある生と死の間で。


私は黙して、祈る。


人は自らが負ったものを人にも見るのだろうか。

そこに希望を見るというのは、どういうことなのだろうか。
そこに希望を見ないというのは、どういうことなのだろうか。


話せた、ささやかな満足感を十分にしのぐ、
日本の精神性の闇の深さに目がくらむ。

その方のふところが深ければ深いほどに…。
その方が現世の欲や得をこえて、孤独に模索しているその手探り。
それが聞こえた、見えた、感じた実感と共に。

祈る。
見つめる。
感じる。


のえ。
ありがとう。

あんたが遺してくれたものが、
紛れもなく「希望」であることに私は頭をたれる。

どんなに無力だった自分をかみしめても、
どんなに、のえがのえで、
私が私でしかなかったことをかみしめても、
それでも…。

それでも、
「希望」を遺してくれた、
のえのスゴサをかみしめる。


それはどうにもならない。
それは打ち消しようもない。
打ち消す必要すらない。

なのに、
その「希望」は佇立している。

まるで、のえの自分でも気づかないほほ笑みに、
いつも、いつしか、誰かがわすれがたい想いをかみしめていたように。

その「希望」は佇立している。

のえのように、
ぽつんと、
一人で、
たたずんでいる。

紛れもなく、ここに、
そこに、
私の手の中に…。


そして、
私は、
なんともいえない
根源的な痛苦が気にかかる。


2013年8月21日夕方7時前

ケイコ





甦る。

魯迅の言葉。

…絶望の虚妄たること、
希望に相等しい。…

あの時代の魯迅の見ていた、
絶望がリアルなものでなかった訳がない。
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| 辺境の森から | 18:46 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

今日の言の葉つづり、これはケイコさまならではの詩篇と受けとめました。厳密に言えば詩篇は宗教上の歌唱をともなう祈祷文らしいですけど。私としては、今日のこの日記が詩篇にふさわしく響いた。

| KAGE | 2013/08/21 22:57 | URL |















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