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乱れた花ハスから始まった怒濤の日々…戦後間もなく自ら亡くなったある女性のエピソードと共に




火曜日に、再び『花はす公園』を訪ねたのが始まりだった。
その日は夕方になっていて、花はつぼみかけているのが多かった。
しかも、前日、否その日の朝までの大風で、花は若干寝乱れた姿を揺らしていた。そう、まるで妖艶な美人が、私、昨日まで荒れてたのよってくらいなもので…。

ヒデコは予定していた一眼レフ持参、私はあいかわらず携帯のカメラで。二枚アップしました。公園の手前にある『花はす工房』で姉へのプレゼントもゲット。ああ、でもこのかんの取り込みで、まだ送れてはいないなあ。

わざわざ嵐の後に来る人は少ないようで、公園は私たち以外は一組。初めて数日前に来た時の感動はやや薄らいだけれど、それでも乱れた美しさをおさめたり。
ツーショットを撮るのに、何度もうまくいかなくてやり直したり。それはそれで楽しかったな。それから温泉に入り、食事休憩もしたんです。気持ち良かった。

私の頭と心を占めていたのは、前日までにあっという間に、40年ぶりに読破した、ある有名作家と死の道行きをした女性に焦点をあてて書かれた本の内容でした。以前にもものすごく食らいついて読んだけれど、そんなものではない。検視の意味、検視の光景。全部リアルに見えてきます。その時、いたはずの人が、いたらそんなに事実無根のことを書いたり広めたりできなかったはずが、その有名作家の品位も傷つけたかったのか、単なる女性蔑視なのか、まあ、彼女は亡くなってから、文壇でめちゃくちゃにされ、名誉を奪われて、悪女像が作られました。そんな『文学の歴史』を塗り替えた貴重な一冊。いつどうやって手に入れたのか。

リアルな現実が、作家の頭の中で創られていく創作とセットで進行するから、物見遊山の文壇の長老たちがよってたかって、彼女を粉々にしたのです。

その作家の死に顔は実に穏やかだった。だけれど、彼女の目はかっと見開き、苦悶の表情をしていたという。一体死の間際、彼女は何を見たのだろう、何をかみしめたのだろう。本当に死にたくはない自分に直面はしなかったのか。

彼女が、両親にあてた手紙が見事です。彼女亡き後の父親の態度が切なくも見事です。ここには書くのが忍びないけれど、二人が二人で逝きたかった、その事を芯から理解できなければできない行動に出ます。

すでにその作家の病気は進行していて死期は間近だった。それでもなぜ、共に逝かねばならなかったのか。そこに余りに切ない真情が渦巻いていて、余りにシビアな現実が重圧としてあって、やりきれない思いがします。作家の正妻はけっして彼の文学を理解などしなかった。一緒に死んでくれたことを感謝すらしている。だけれど、年月と共に、彼女の言動も変化します。まさに死人に口なしですから。

そこで満を持しての『異議申し立て』とも言うべき本が、私が40年ぶりに読んだ本書です。人が自ら死ぬときについての考察を今深めている。その時に『心中』というものについても思いを及ばせることになるとは思わなかった。

まずは、松田道雄氏編のアンソロジー『死』が始まりで、そこで井伏鱒二が書いた、この辺りの顛末を読んで、この書き手の意図を越えた読み込みが私に始まった。そして、私は大切なその本を40年ぶりに手にした。

意志的で理知的な美しい人の写真があった。本当なら、父親から引き継いだ美容学校の経営者になるはずだった、美容師としても相当の腕の持ち主。聖書が座右の書だったひと。
彼女は、死を決行する前日、その美容学校のそばに佇んでいるのを目撃されている。どんな心持ちだったのか思うだけでも痛ましい。切ない。抱きしめたい。

そんな思いが、花ハス温泉に入っていても渦巻いて、ついヒデコに口走っていました。
「両親はさあ。失意のうちに亡くなっていくの。こういう自死遺族もいたんだよね。世間から目を背けられるような…」

前夜の嵐とかさなって、水かさの增した中に二人して入っていく時の情景とおのおのの心境が浮かびます。作家は書くべきことは書いた。でも、彼女の人生は、ただ、この作家と情死した女性としてのみ、『汚名』が刻まれたという長い年月…。

温泉にゆっくり入った後は、レストランで食事をしました。ゆっくりする理由があったのです。なにしろ、ベロ亭の地区では、異例?の農薬空中散布が午後三時から七時頃までということでしたから。

海鮮どんぶりを、マグロ抜きで頼んだら、日本海の海の幸だけになって、なんと1200円がちょっきり千円になったのはものすごくお得感あり。こういう交渉、私うまいんだ。もともとねらうとだめなこともあるけれど、他意なくただマグロ抜きでこうなった。太平洋側の方々、ごめんなさい。ウニもタイも、甘エビもサーモンもイクラも入っていたよ。久々、本当に久々、ヒデコとゆっくりできたんだった。幸せだった。

それで、帰り間際、まあ空いてないだろうと思ったけれど、12日の昼間、部屋で食事できないか、訊いてみた。フロントのお姉さんはよくよく調べて、空いているとのことで予約を入れた。とりあえずのつもり。でも、埋まってはいけないし、と。

帰宅してから、なんだかもめ始めていた。でもとりあえず、ベロ亭にその日の前後に来る予定の人たちにメール。来るか判らない人にも、来れないって言っている人たちにもメール。この方々、実は私たちの『子ども』に相当する方々。のえの本の執筆の要の時期にという面と、いやはや、この追い上げの時期に大変な訪問で、エネルギーを取られる訳にはいくまいなあという思いと…。

そこで、やめました。翌日には。私が仕上げなくてはならない仕事を優先するべき時期と判断。余りに、
のえへの温度差のある、のえのキョウダイの来訪にすでに混乱してしまったのもある。

そして、混乱は実は昨夜の今頃に極まりました。
ある電話をし、十月ののえの命日頃に設定しなおそうとした中、月日の確認をしていた折、私の原稿を無理に読まされたと、その娘が別の双子の娘に、私が言われたという事実を知らなかったために、なんだか話がおかしくなった。双子の娘たちはよく話すと聞いている。それぞれのパートナーよりもコミュニケーションしていると聞いている。しかし、大切なコミュニケーションはしていないんだと判る。電話の向こうの娘が悪いんじゃない。その娘が無理に読まされたと一旦は思ったもう一人が、そんな思いを伝えていないということが私には不自然に思われただけ。それは大事なことではなかったのかな。

娘が泣き出した。最近、話し出すとすぐ泣き出す。責めたりはしない。ただ、簡単な若干含意のある確認をするだけで泣き出す。あくまでも丁寧に私は話してもいる。

そのうち、電話のそばにいたらしい、娘のバートナーが「切りなさい」と怒鳴り出す。いや、そんなもんじゃあなかった。もっとすごかった。お前を泣かせるような親との電話はさっさと切れ、切れ、切れ、と連呼する声が、心に突き刺さる力となって働いていく。
娘は泣いているし、ここは大人になってと思い、自分から切った。じゃあ、今は切るね、と。

そこから私はまずかった。
何度目かの記憶喪失状態に陥らないように努力した。でも、私の存在を打ち消され、汚い者のようにシカトされた事実は心にも魂にも食い込む。食い荒らす。
涙と絶叫と、嗚咽と静寂と、記憶の断片と、そんなものに包まれる。
足先から冷たくなってきた。肩も…。そのうち震えが来て、ヒデコがさすってくれた。
私が十人くらいに解離した感覚で、ものがものすごくよく見える感覚にすら包まれる。ものすごく不安で怖くて、でも私は天才になったみたいに物事の核心を涙と共に語る。
なにか憑依してしまったような状態に近い。

ヒデコが娘のパートナーに抗議の電話。「泣かせた」のではなく「泣いた」事実を了解しなければダメだ。娘は、旦那の抱き人形か。そりゃあ、テンカンが出たり、過呼吸になったりする娘だ。
でも、こちらだってぎりぎりなんだ。娘を亡くして以来、精神の平衡を大きな意志の力で保たせながら、執筆に向ってもいる。執筆も最終段階に来て、随分と達成感も得つつある。最終段階は高い山越えでもある。

息子のパートナーからの連絡を受けた息子から、ヒデコに電話が入った。時間的には随分たっていた。
息子がなかなか事の真意をつかめず、ヒデコは腹立ち紛れに電話を切る。その時の私はヒデコのいらいらに耐えられず、よれよれの状態で、でも息子に向う時はいつもそうあるように、穏やかに冷静に話す。本当は私はその全てを覚えていない。ただ、息子に伝わるように話した。おととし再発してから、少し物事を了解するのに時間がかかるようになっている。

そして、息子は息子で、常に世の中の無理解にさらされる立場だから、少々のことでこちら側が取り乱しているように映ってしまったとしたら、それはそれでやむをえなかった。
少々どころのことではない。如才なくふるまう娘のパートナーの正体見たり。残念きわまりないけれど、妻かわいさで、電話口の向こうの人間をずたずたにするような暴言を発してもいいものなのか。「切りなさい」「きりなさい」「もういい」「もういい」。
いや、こんなもんじゃあなかった。もっとすごかった。私の脳細胞はそれを忘れた。忘れたほうがいいからだろう。

「危険物だよシカト現象」が研究成果となった。
今、ある章立てに「ノコサレシ者の当事者研究コト始め」を書き上げていて、でもまだまだ推敲の余地はあるのだ。うむ、凄いぞ。これで、世間並みの身内の反応満載になってきた。私はずたずたに傷つき、記憶の断片すらなくしながらも、少し立ち直ってから、そうやって受けたすさまじい現象を名づけていた。

後から、なんとか持ち直そうと息子にした電話で知ったこと。
のえが亡くなって二週間ほどの時期に、息子が、もう一人の双子の娘から、「あんたもへんなことしないでよ」てな、電話を受けていたと知ったこと。頭がくらっとした。息子はこんなひどい暴言を腹におさめていたのか。それは息子の体調への心配ではなかった。また、恥をかかせるような行為をするな、という意味だった。

これをヒデコに言ってもなんのことやらピンと来ない。やはり、信じられない思いがつよく、簡単には誰でもピントは来ないのだ。
そのうち、リアルタイムに息子から聞いていたことも思い出した。ヒデコに話せたなら良かった。それにしても、こんな電話、むしろ死にたくなるような電話だって判らないのかな。
そして、ただ一人、私の原稿の一部も読んでおらず、もう一人の双子に「無理に読ませたのではないか」と私に語った娘は、いかにも一貫した行為をしていたと理解した。息子の立場への「悪意なき無関心」とも言える言動のひどさは自覚はしてもらわないといけない。

あああ、原稿に書き加えることが増えてしまった。でも、これで返って、多くの自死遺族の共感を呼ぶ内容に近づいたと思えるのが切ない。みんなこんなコトに取り囲まれて生きているんだ。否、息をするのも憚られるような人生を強いられているのだ。ひどい。余りにもひどい。

実は、「無理に読まされたのではないか」と言った娘のパートナーとは、私は決定的なことになっていた。これはこれで経緯を説明すると長くなるので省く。良識と見識のある方々は絶句するような出来事があった。

ともあれ、双子の娘たち二人、自分が情けないだけではなく、私としては情けないと思う。二人ともに、パートナーの暴言を止められないような、そんな弱気さをさらしてしまう時がある。
プライドってないのか。精神の腰のつよさを鍛えてはこなかったのか。
せいぜい、私との電話で、「あいつに、ケイコちゃんが無理に読ませたんでしょ」と言う時くらいには、強気が出るのか。

この二人、それぞれ違うけれど、致命的な弱さがある。その弱さはあながち、つよいものにまかれてしまうようなものをはらむ。それが夫君ではたまらんではないのか。それが望みなのか。どんなってんのか。

一人は自分の「学習障害」を疑いだしているような言動をする。それに私が向き合うような言葉を投げかけると、さらりと交わされる。その交わし方は、障害の領域ではない。心の領域の問題だ。心と心を交わし合うことへの逡巡などというなまやさしいものではない。心はふれ合わないと決めているような、否、もう、心はこわれました、とでも言いたげな、拒否感ともつかないせせらわらいがただよっているようでやりきれない。
それでいて、少し突っ込むと泣き出す。最近は、なかなか譲らないという点では突っ張ったりもするけれど…。

やめてくれーと言いたいけれど、のえみたいな例をまた生み出したくはないから、私は今日はしっかりこの事実を保留にするために、一日園芸で憂さを晴らした後に、やっぱりメールの一つも昨日の電話の主からはないのだと判った時点で、がつーんと爆発。ヒデコに訴えるとヒデコがうめいた。ヒデコをこれ以上つらくさせてはだめた。
私は夜の町を、またホームセンター、百円ショップ、ガソリンスタンドと彷徨った。ある人に電話をかけて、話を聞いてもらった。とにかく頭を冷やした。

私は、のえが亡くなって二ヶ月後に、ヒデコの姉に会っている。
彼女の住まいの最寄り駅に単身で迎えに来てくれたヒデコの姉は、私に歩きながらこう言った。耳を疑う口上だったけれど、間違いなくこう言った。
「ヒデコは本当にひどいめにあったからねえ…」。
のえの自死をさして言っているのである。それも私に向って言うということを、どんな自覚も心遣いもなく言っているのである。
「あなたも大変だったわねえ」と言ったかもしれないが、そんな言動を消滅させてしまうようなものすごい物言いを聞いてしまったとあっては後の祭りだった。

のえと同い年の年長の娘は、職場の同僚に、「そりゃあ、ひどいことをしてくれたよなあ」と、他意なく「同情」されている。娘は絶句しながら、最近になってその時のショックを私たちに伝えてくれた。もちろん、私たちは同情されるような存在ではない。彼女も、のえの生と死に向き合おうとしているのだ。
娘の同僚さん。はあ?????? おまえさん何を言ったか判るのかい。それとも、よっぽど、はた迷惑な「自死」に遭遇したことでもおありなのかい。そうそう、いじめた奴に死なれたとか。

でも、まさか、こんなに近い身内の中の身内で、その種の言動があったなんて知らなかった。息子はよく持ちこたえたと思う。そう言われて、むしろ死にたくなるような物言いではないか。心配しているというメッセージではなく、迷惑行為はするなというメッセージだよ。

先日のお寺で、いぶし金でできたハスの花の彫刻を見た。写真におさめた。そのうち、お寺での「いつわりのセレモニー」について書いたブログに写真をあげようかな。

火曜日の二回目の花ハス公園訪問で気づいたこと。番外編。
ロビーのうまいとは言えない油絵で、そうか、金色のお寺の、観音様の両脇の彫刻って、枯れたハスをモチーフにしているんだって発見。そうだよ。ハスが全て花咲き終わって、枯れて見事に枯れて、茶色い胴体を揺らしている不思議な「死の光景」。それはそれで美しい光景。

私は祈りたい。ある作家の傷心と小心に従容として道行くことをいとわなかった女性の心内へと届くように祈りたい。あなたのあなたであることは、こんな作家の「女」だったなんてことでは終わらなくて良かったはずだったかもしれない。
あなたはそれを選んだかもしれない。それがどうにもならない最高の選択だったかもしれない。恋とはそんなものかもしれない。

それでも、あなたの理知的で意志的なまなざしは今も私に凍てつくように残る。そのまなざしがすごみを帯びて、かっと見開き、最後の濁流をのみこんだ瞬間を語らせていたことに思いを致す。あなたは本当は何を望んでいたのか。

名誉挽回の本ではあるが、彼女がやや美化された感は免れない。

高校の同級生で心中した二人がいた。一人が、そう女性のほうが助かった。今、彼女はどんな思いをして生きているのだろうか。
私はそれを某週刊誌で立ち読みしたのである。切ない。
同じ年に、高校のクラスでいちばん、本物の殺気と反抗心を体中にみなぎらせていた男子生徒が谷川岳で遭難してなくなった。彼は学内紛争なんか興味もなかった。
二人が死んで、同じ年までに、高校の同じクラスだった人間が二人子どもを作った。

一人は私。のえの誕生だった。もう一人は語るべくもない。

花ハス公園ぐるりと巡る。
生と死がぐるりと巡る。
巡らない人生すらぐるりと巡る。

最近問いかけた十問のうちの、
のえのことを思いきり話せる場を持ちたいか、という質問に、
前述の「無理に読まされたのか」と言った娘は、
「いいえ」と答えている。
その前の設問は、そういう機会を持ってきたか、だったが、それも「いいえ」にもかかわらず。
ただし、この、のえのキョウダイの中で唯一人、
母親として子育て中の娘は、最後の三点の質問には、
「知っているか、知っていないだけでは答えられない」とまで記す丁寧さを示す。
その問いかけは、障害を持った子どもを持つ親の立場に関わるものであった。

一人一人の人生の奥行きは浅そうで深い。
深そうで浅い。

深淵を見つづけることには、多くの人は耐えられない。
ルネ・シャールが言うまでもなく。
スーザン・ソンダクが語り出すまでもなく。

病も死も、いつわりのメタファーに、
まるでいぶし金の花ハスのようにおおわれている。
それは、白いウェディングドレスのひらひらと何も変わらない。

ケイコ

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| 自死を語るタブーを考える | 04:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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