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花が立つとき




花が立つとき。

そうとしか言いようのない、
花が花ハス公園に行くと、お盆の少し前まで、
すごい光景として見ることができます。

先日、二人で行ってきました。
ヒデコのアイホンで撮ったほうがいいのがあるけれど、
私の携帯で撮ったのをアップします。

私はなんだか彼女の顔つきのばっかなので。

月曜日には、また二人で行きます。ここから車で三十分と少しの所。
今度は一眼レフを持っていく、と彼女ははりきっています。

明日は、福島から来ている子どもたちのための陶芸教室とあって、
ヒデコは準備に向かっています。
人数の確認、用意しておくべき物の準備とか…。

花が立つ。

花ですら立って、咲いているのに、
もう人間は咲き方すら忘れてしまった時代を思います。

この前回のブログの書き込みに、
「核心中の核心」とコメント欄にありました。
「前人未踏の大航海」とも…。
まあ、コロンブスみたいな「侵略」はするはずもないけれど、
安泰、安泰、原発と共に、人が自死することが痛くもかゆくもない人たちには、
「侵略」と映る、私の執筆かもしれませんよね。

「核心中の核心」だから、
拍手は意外に少ないのです。
それがピンと来る、ピンと来たことに拍手する。
それができる人が意外なほど少ないと痛切に感じます。

加害者側の心理、というものに、
私は「戦争礼賛」者の側に死ぬまで立っていた「我が父」を通して、
向き合ってきました。

ここでは、私は「我が父」とあえて書きます。
そこを私はゆりかご
(たとえですよ。言わないと字義通りに解釈する人だらけだから)
にして、生まれ育ち、違和感満々のよるべない反抗的な子どもとして、
それも目だけで反抗して、地団駄踏んであったようななかったような「青春」を突き抜けました。

その果てに、のえの誕生がありました。
ある女たちのムーブメントとの遭遇も、邂逅もありました。

そして、激突も。


反対する側。賛成する側。
害を加える側。害を被る側。
それは永久不変なのでしょうか。

そうではないはずです。

父は本当に弱い人でした。
弱い人だから、はったりも沽券も必要でしたが、
それは余りに無残な演技で、
子ども心にも、それが失敗につぐ失敗だと判りました。

母は、そんな父と別れられない、
強気だけれど、現実的で世俗的でもあり、
美人で…一週間前に写真をあらためて見て、やっぱりそう思った…
だから、母と父との結婚は成り立ったのかもしれません。

そんな母は、父が処しきれない生活面の全てを、
後半生、自営業を店員さんと営みながら、家事、仕事の全てをこなし、
老後を楽しむいとまもなく、癌で逝きました。

花ハス公園に行くと、
そんな亡き人たちが立ってくるのです。

母も、父も、
並べてはなぜか書きたくないけれど、
母と父の孫でもあるはずの、
「うたうたい のえ」も、
ベロ亭の庭でゲラゲラ笑い、
くるくる回っていた、そんな、のえも立ってくるのです。


花が立つ。

亡くならなければ、
失わなければ、私たちは、その立ち姿すら、
もはや見られない時代なのでしょうか。

航海は祈りです。
かつて石原吉郎が言ったように、
…私は告発はしない。私の位置に立つ。…
それだけです。

それだけの航海が、核心中の核心と言わなければならない、
そんな日本の原罪の大きさに、
歴史の流れと共に、
思いをはせます。

…花は花であることにおいて…うんぬん、という石原吉郎の言葉もありました。
尼崎の喫茶どるめんのトイレに今もあります。

彼はシベリア抑留体験者だったけれど、
詩としてまずは表出しはじめて、
たしか10年近くをへて、
初めて散文で自己の体験を表出しはじめます。


届かないことを前提にした表現に立つとき、
人は深く降り立つのみです。


そして、花として立つ。

花は立つ。


花が立つ。


ケイコ
2013/07/27 16:10

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| シリーズ花 | 15:48 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

大賀ハスもあります。別の名前でした。

私は、花は白に魅せられます。
樹木はケヤキを見ると、涙がにじみそうになります。

原体験が恵庭の野原に広がるスズラン。
これだけは覚えているのです。三歳までなのにね。

で、ハスの花園も、白いところでは佇んだまま動けなくなります。
りんとして咲いている、水面から抜きんでたのを見ると、
のえの唄っていた最後の夏の立ち姿になります。

蝉がうるさいほどに鳴きつづけて、最後の唄を歌い続けていた、
そんな、のえを想う日々…、
そして、そんな、のえをたどって立ちすくむ。

白い花ハスは、そんないまの私の拠りどころです。

行ったことがあったんですね。
長いこと住んでいても行かなかった私たち。
もったいなかったなあ。

| ケイコ | 2013/07/27 22:47 | URL |

今ちょうど見ごろなんですね。在住中、ひとりで行きました。大賀ハスも咲いているのでしょぅか? ハスの命って土にうまっても生きつづけるのですものね。

| KAGA | 2013/07/27 20:36 | URL |















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