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日本人の当時者性って「ヒトゴト」ってことなのね!!

なんだか、今日は妙に悲しくなっていました。

東京にそれなりに動きを作るべく、知っている人ばかりと話しました。
メールで良い返事も来ました。

知っている人も幅はあります。

のえの赤ちゃんの時から知っている人、
のえが小学生の時から知っていて、ミュージシャン草創期を知っている人、
のえの生前を一切知らない人。

でも、番組やら、ヒデコの個展やらで良い出逢いをした人たち。

間違いなく、私たちを傷つけるはずもない、
良識と見識と、人間としてのあたたかさおもみとがある人ばかりです。


でも、そういう方々が、
「自死へのタブー」を判っている訳ではないのです。
タブーってそういうものなのですね。

自殺予防対策関係者と自死遺族がもたされるねじれのようなもの。

これは今の日本社会では相当、難度の高い課題です。

自死遺族が自殺予防の一端をになおうとしてしめだされる…、
そのおかしさは逆に今日話した方々はすぐに判ります。
でも、そんなことは判る必要がないのかもしれませんが、
閉め出す側の心情というか、いつわりの正義の味方っぷりについては、
ピンと来るところが割にないようなのです。

当たり前です。
私が身をもって、身を削って、さらされた、私の側ではない、
自殺対策にあたる側のタブー視、これは難度の高い理解力を要します。

京都の親友は、しめだされるのがおかしい、という事は判りませんでした。
今日話した方は、しめだす側の理屈や感性のおかしさの根拠が判りませんでした。
どちらも判らなければ、この問題は解決の兆しもないことでしょう。

あるミュージシャンの男性と話しました。
のえが十代でお世話になったこともある方です。

ある関西の自死遺族の分かち合いの会で、
やむにやまれず、私が「レズビアンマザー」と名乗り出て、
総スカンを食ったという意味が判りませんでした。
のえの唄に、番組で触れて、その潔さに打たれた方です。

おそらく発達障害であろうお子さんの学習を手助けしたことのある方は、
あるアクティビストのことを、
あの発言は発達的であると言いました。

よくよく判ります。
ねじれた発言、問題を問題と意識できない短絡的な発想…。

でもね。
本当にすくすく、人とのつながりを知っている、
自覚的で意識的な発達障害当事者は、
実はそんなんじゃあありませんよ、って思わず補足しました。

彼女は、それ以降、
「無自覚で悪質な発達障害者」と言うようになりました。
それでも、なんだか妙に切なかった。
切なかったんです。

無自覚で悪質な当事者ばかりが、はびこっているのが日本社会です。

この地でも、あっちを向いても、そっちを向いても、
自死に関わりのある人ばかりなのですが、
結局は誰もが、相当身近な人を亡くしていてさえ、
それは「ヒトゴト」なのです。

そんな体験を実は一週間ほど前、痛烈にすることになりました。
ここまで良識的な方が、
ここまでヒトゴト意識で生きていられるんだ、
それはそれは、衝撃でした。

何年か前、
自死遺族の分かち合いのスタッフ問題を巡って、
私自身が発達障害という特性に関して、
相談を受けたことがありました。
それ自体は親身になったつもりですが、
結果は苦い苦いものとなりました。
ある種、発達障害のある人への蔑視に加担したかのような結果だったのです。

うーん、
やってらんなーい。

今日のある方が言いました。
LGBTって底の浅い人ばかりですよね。
もういやになりました。
彼女自身が当事者なんですよ。

当時者性をがつんと、しっかりと、
心底、胸の奥まで、
大肯定し、抱きしめていきていたら、
そんなに底の浅い人生はできるわけはありません。

なんか、ただ、人生ってものに向き合いたくない人ばかりなんじゃないのかな。

そう思わざるをえない状況、
人のありよう、
そんなものばかりが見え隠れします。

生きていれば、誰もが、
自分という人間の当事者になるはずです。

すでに日本社会では、それすらも放棄されているのではないですか。

ミュージシャンなんて自分勝手だから…。
ある会話の折、私はそうつぶやいていました。

その含みを受け取れなかった相手は、
のえさんだって、そうだったのではないですか、
だから歌えるのではないですか、
そう言いました。

のえは誰も聞かなければ歌わなかった。
それが淀川べりの雑草であれ、小鳥たちであれ、
川のさざめきであれ、何かと対話しながら歌っていた。

人とのつながりを求めて歌っていたのです。

みな、「わたしの『のえ』さん」にしがみついているのではないですか。

その方は言いました。

そんなこと百も承知です。
だから、ノンフィクションライターとしての仕事は、
一回一回の確認が大事件につながります。
事を荒立てたい訳でもない。
痛みと喪失を分かち合い、
のえの生きたワダチを共に踏みしめなおせるものなら、
という執筆なのです。


そして、
そして、誰よりも、
誰よりも、この私、ケイコが、
「わたしの『のえ』」であることを一旦は、
ものすごい精神の力業で棚上げにし、
執筆という冷静な作業に向かっていること。

そもそもこの私が、
のえの誕生以来、
「わたしの『のえ』」を拒んできたことなど、
誰もあずかりしらないかのようです。

母親だから執筆していると思い込んでいる。


母親、だったら執筆なんてできやしません。


少なくとも、日本の母親像を背負わされていたら、執筆なんてできやしません。

『のえ』は家族のものでもないし、
ましてや、産んだ私のものでもない…。

だから執筆するのです。
だからたゆまずインタビューを依頼し、
断られても、丁寧にまたメールし、
いつか機が熟すのを待つのです。

そんなに、一人一人の「わたしの『のえ』さん」ってあるんですか。

そんなに、「わたしの『のえ』」をばらばらにたずさえていて、
なにが楽しいのですか。
なにが大切なのですか。


のえは、のえ自身という当事者性を生ききりました。

まず、何よりもミュージシャンとして。
そして、独特の個性を持つ、『自閉症』という特性をも潜ませて。

そして、私とヒデコを母親に持つ家族の娘として。
そして…。
そして…。

まだまだ、書ききれない当事者性をもって、
のえは生ききったのです。


ヒトゴトにしなかったから、
唄いきったし、
生ききったし、
命つきたのです。


やさしい人々の良識と見識のはざまに、
ふっと垣間見えるのは、
たまたま知らないことがある、それだけのことかもしれません。


それでも、
タブーはだからこそ、
タブーとして、今も脈々と生きていることを知らされつづける日々、
それは終わりがない日々なのでしょうか。

悲しみと悔しさで、
身も心もねじれてしまいそう。


最後に話した40年来の友人は言っていました。


タブーは誰にも知られないからタブー、なんだよねえ。
そうそう、と私。

確認作業が一回一回、大事件になると聞き及んだ彼女はこう言いました。

「それを一人で引き受けているとはねえ…。
一人でやっているとはねえ…。
あと先もそんなに長くはないというのにねえ…。」

同世代だからこそ出てくる言葉…。


そして、タブーを一人では担えないということを、
別の日本の人権問題の対極を体験して知っているから言える人。

私が一人でやってはいけないことを、
取り組んでいるということを意識している「応援」する気持ちのある人、
一体、どのくらいいらつしゃるのでしょうか。


これは日本の傷。
まだ、誰も手をつけようとしていない日本の傷。
日本の恥部。

そこに光をあて、
私はそこに尊厳を見いだそうとしているのです。
それを一人でしようとしているのです。

昨日は推敲という作業が、
ものすごくおもしろみを帯びて、
物語性を帯びて、
私は書き進めるのが楽しかった。

その翌日に、こんな私がいるのです。


ケイコ
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| ベロ亭から | 23:56 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

前人未踏の大航海。
核心中の核心。
ずしんときちゃうけど、まあそうだと認識してます。
だけど、待てよ。船長は誰かなって思うよ。
これはこれで、またブログにあげないとダメかも。
多くの日本人は、「自殺という戦争を止めるために」という表現を使った、
ある外国人の外交官が、
大好きな日本に自殺が多いことに向き合って作った自主制作映画の
この表現と、ラストシーンの問いかけにまいってしまったり、
ひっかかったりするようです。
問いかけが即、責められてるーってなってしまう。
社会的な視点をすでに喪失している人ばかりだというのもある。
ここも、あらゆる問題のネックです。
12月以来、私に起きた事も、記憶の鮮明さがあるうちに、
書いておこうと思っています。
閲覧者もそろそろ時効で忘れてくれてると願って(やや不安)。
昨日、ある方と4時間くらい話し尽くして、
まだまだ鮮明だな、って自信?を持ちましたが、
表出して楽になる必要もあるんですよね。
いつも、書き込みありがとう。
昨日話した方も、書き込みたくとも言葉が出てこないって。
出してよー、って言ったんだけどー。

| ケイコ | 2013/07/27 15:43 | URL |

前人未踏の大航海は、舵を握っているのは船長でも、やはりいろんな形での船員が必要なんでしょうね。今日のブログは核心中の核心ですね。私は明日、戦争を担っていた日本が人を人とも思わず「使い捨ててきた」現場をフィールドワークします。現代の一見平和な地面の底に、生きたまま埋められてそのままの人たちがいっぱいいることを参加者と感じてきます。戦時の体験を「嘘」と言い放つ感性がまかりとおる社会だから、自死を見てみぬふりもし、分かちあうことを最初から拒むのでしょうか。

| KAGA | 2013/07/26 23:49 | URL |















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