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生と死の荒れ野で、大切な人の「自死」に向き合う人間として立つ・前に出る …田口まゆさんの選挙戦最後の日につらなりながら

生と死の荒れ野で、大切な人の「自死」に向き合う人間として立つ・前に出る
…田口まゆさんの選挙戦最後の日につらなりながら


あの日々、のえはベロ亭を飛び跳ねていた!!

昨夕、ある方との電話を終えて、庭の草花に水やりをしながら、
涙が止まらなくなった。

そうだよ、そう。
のえはこのベロ亭で、あの子ども時代、
飛びはね駆けずりまわって笑い転げていた。
そうだよ、そう。

のえは紛れもなく、ベロ亭で生きた。育った。


なのに、私は「ベロ亭」という名前を、
のえのノンフィクションの執筆で出すか否か、
立ち止まらずにはすまない領域まで踏み込んでいた。

なぜなら、私の執筆が、ほぼ間違いなく、日本の誰も踏み込んでいない、
そんな領域に舌鋒が、筆致が向かい続けていたからだ。
とりわけ、四月五月と、そして六月と…。

こんなもの、誰に届くのか。
いや、届くはずの人たちが、呻吟(しんぎん)しながら、
苦悩しながら、待っているのではないか。

六月に入ってそれは、ほぼ揺るぎない確信になっていた。

あとは、すぐそこに見えている、おそらく私だけが見ている、
頂上を目指して、
登るには簡単に登れない岩場を登りつめるだけだ。
うむ、ピッケルはいるか、何がいるのかな。

慣れない、
いや高い所が大好きな私には、
やや無謀な登頂にならないように、
気をつけなくちゃなー。


「自死」を巡る「沈黙の壁」に徹底的に問いかけてきた。
その意味と向き合った。
考察し、分析し、思考は心身の極限まできわまった。

誰がそれを読むんだろう。
誰がそれを生かすのだろう。

ベロ亭という名前を前に出すことに立ち止まった。

このテーマに向き合いきりながら、
地元として住む県の、人間を生かさないシステム、
それは社会の構造のみならず、
人の心の奥底に潜む、内面をけっして語るべきではない、
弱さを当たり前に出してはいけない、
そんな県民性にも容赦ないつよい光をあてた。

そんな私の方向性を、ここにいれば全て安泰、
そうほとんどの人が思っているかのようなこの地で、
誰が歓迎するというのか。

県名を出すか否かも課題となった。

しかしながら、ほんの少し心の扉をノックすれば、
あちらの身内にも自死、
こちらの友人にも自死、
そして、それら全てがベールに包まれ、
「心臓麻痺」という名のもと、
この県内では隠されている事実をいくつも知った。
(本当に心臓麻痺の方、ごめんなさい)

だとして、
だからこそ…


まるはだかになって、
ここまで書いて、ここまで自分に社会に問いかけて、
何がどう届いていくのか、
時に得体の知れない、
果てしない不安に駆り立てられた。

しかしながら…。


しかしながら、六月末頃から、
私の確信は揺るぎなくなってきた。
いいんだ。これでいいんだ。



だが、しかし…。

ベロ亭と出す事で実害をこおむるのは、
なにも私たちだけとは限らない。
のえのキョウダイたちだってそういう顔ぶれになってしまう。

世間の刃は、自死に向き合う人に、とりわけ遺族に、
きわめて厳しい裁断を下す。

私はいい。
ほぼ全てを考察し、ほぼ全てを分析し、
ほぼ全てに我が感性と知性を総動員したのだから。

だけど、のえのキョウダイは、
遺された四人一人一人の、
のえの事実との温度差をどう考えたらいいのか。

のえの生前の、それぞれの言動や行動、まあ、のえへのだけれど…、
の確認という作業は、
ここでも思いがけない波乱を含んで進んでいっていた。

いや、思いがけなかった訳ではない。

私が五年前に気づいていたことを、
今、どうやら気づかなければならない、
気づきたい、そう思いかけている以上、
そこに大きな深いギャップがあるのは避けられない。

そんなことは判っていた。

のえの友達と、のえの音楽仲間とも数限りなく、
精神の力業とも言える「確認作業」をしてきた。
それはノンフィクション作家として避けられない作業だった。

私たちのあの番組の、きわめて良心的な視聴者が言ったことがあった。
「今まで、数々のフィクションで自殺について読んできました。
だけど、お二人の番組で、のえさんのことが出できて、
えっ、本当のこととして、こんなふうに触れてしまっていいんだろうか。
触れるとしたら、心を決めてきちんと見なければ…そう思いました。」

自死に向き合う一人の人間として、
娘の生と死に向き合いながらノンフィクションをものにするというただなか、
ありえないほど心を砕き、魂を賭けた作業はつづいていた。

あともう少しのところで今もそれは続いている。

そうして、私は二月に関西で、
確認がてら呼びかけた時とはある種違ったアプローチで、
今度は東京方面の人たちに呼びかけ始めている。

一人で抱えていてはいけない。
ましてや、パートナーの英子だけにぶつけていてはいけない。
…彼女も相当弱っている…
それに、のえのキョウダイたちにも、
これ以上負担な思いをかけてはいけないとも思う。

むろん、それぞれの胸の内の問いかけは問いかけで必要な段階はある。

問いかけは、自他責の念に時に通じてしまうけれど、
私はただ問いかけているだけで、
疑問を投げかけているだけで、
そうでもしなければ、のえの生きた轍(わだち)が消えてしまう、
本当の生きた轍が消えてしまうから、
避けられがたくしている作業だということが、
時には理解されない領域に至るということがあるのみだ。

だから言葉を尽くす。
だから、時に沈黙と静寂にゆだねる。

死に向き合えない社会は、
生きている者の人生をも脅かして気づかない、
見て見ぬふりの人間の荒れ野だ。
生と死の荒れ野だ。



自責の念、考察すべきです。
他責の念、これも考察すべきです。

あって当然のものとだけ、思ってすませてはいけない。
だからといって、
いらないものとして切り捨ててもいけない。



私たちは誰もが、一人生まれて一人で死ぬ。

避けられない「自死」もまたある。

そこから出発しなければならない、
そんな遺された人々の人生もある。

それは、少しだけ想像すれば理解できることなのだけれど、
その少しができない社会が今の日本社会なのだと判ります。

田口まゆさんの選挙戦が始まっていると気づいたその日、
私は気づけば、彼女への思いをこのブログに書いていた。
最初はなかなか増えなかった拍手が、今や10個を超えた。

昨日は英子が金曜デモ…反原発の人たちで続けている県庁所在地でのデモ…
に行くというので、
急きょ、「まゆさんを応援しています」というお手紙も手書きで作りコピーした。
英子は、少しでも人間としてのつながりがあると思える人に丁寧に手渡した。

私は深夜、言葉をなくしかけていた。
失語に近い状態に、ある種の極限状態になると、私は時に見舞われる。

「ご自分が、たしかな答えを持っていらっしゃる」
「亡くしたことではなく、亡くしていらゃしゃらないことをたしかに表現していらっしゃる。そんな気がします。」

まだまだ、夕方の電話のその方は言ってくださったけれど、
ここにはその全ては書けないけれど、
私は、のえが誰よりもベロ亭と出すことを願っているだろうという、
そんな当たり前だが、抜き差しならない思いがあふれてくるのを、
あふれる涙とともに水やりをしながら止められなかった。

なぜ、自死で娘を亡くして、
こんなふうにあの道この道と遠回りをして、
考えに考え、思いに思い、
ありえないほど様々な現象に
…そのほとんどは理不尽なモノだとしても…
向き合い、向き合いしてここまで、ここまで執筆してきたのか。

それでも執筆してきた私を私は祝福し、
のえの人生を祝福し、
のえの遺した宿題に揺れるキョウダイたちの人生をも祝福し、
英子と共に今も一刻一刻を生きる人生に祝福をする。
そう、心から自分でね。

いや、のえがしていてくれるのかもしれない。

いや、この空がしていてくれるのかもしれない。

そうして、この空の向こうで、
田口まゆさんが、最終日の選挙戦をしていることと、
つながり、つながりながら祝福しているのだと思う。

まゆさんがほぼ初めて、
お父様の「良い点」を、不思議な出逢いの中で、
聞けた奇跡を、私は祝福している。

どんなにか遅すぎたとしても、遅すぎることはないことを、
祝福している。

結果はどうあれ、私は知っている。

のえが精一杯、唄ったことを。
のえが精一杯、生きたことを。
のえが、だからこそ、
人生の深淵をその日、見てしまったことを。

結果はどうあれ、私は知っている。


だから、私は書き続ける。
次の言葉を紡ぐ。
最後のひと言まで。
最後のひと言は、
私は生きている限り続くかもしれないとしても。

昨夕、
水やりをしていた時、
のえが飛び跳ねていた。
ゲラゲラ笑いながら、カラコロ駆けまわりながら、
私のなかを通り過ぎていった。

知っているよ。
のえ。
私は知っているよ。

だから、もう少し。
あんたの大切な友達の一人からはいまだメールの返信がなくとも、
だから、もう少し。

私は、
生と死の荒れ野に、
のえの「自死」と向き合いながら立つ。
自らの言葉をもって前に出る。

それは、のえの人生をまるごと抱きしめることだから。
のえの人生を祝福し、
私たちベロ亭の歴史をも祝福することだから。

私は、私の言葉をもって、前に出る。

田口まゆさんのたたかいの最終日をつつむ夏空につながりながら。

私は、私の言葉という表現をもって、立つ。


ケイコ     2013年7月20日午後一時


以下、引用。
「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ   講談社文庫より

だけど自殺のカミングアウトというのは、自分の家族か一人死んでいるという、
とてつもない喪失感の果ての行為であり、その意味ではとてつもないネガティブなところからの、
告白なわけです。
だけど、その苦しみを超えて、今この瞬間も自殺しようとしている人たちに、
あるいは、家族を失って苦しんでいる人たちに、勇気を与えるために、
自殺に対して偏見を持っている人たちの前で、身を晒して語っていく。
それは、ある種の崇高なエネルギーとも言えると思います。
 
        文化人類学者  上田紀行氏談
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| 自死を語るタブーを考える | 13:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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