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「納棺夫日記」読了、テレビ放送への「東京の雪」を巡る苦情電話と

「納棺夫日記」読了、テレビ放送への、雪を巡る苦情電話と

長いあいだ、開かなかった「納棺夫日記」読了。おとといの晩は、きわめて遅くなったけれど、この小さな本の中に溢れる、結晶のようなものに触れて、久々、自分の涙が自身の心の低い水脈を浄化する実感を得た。

あいだに、少し読んでいないところがあるけれど、それでも「読了」。なぜなら、私はこの本の核心にすでに触れたという確かな思いがあるからだ。でも、残り10ページくらいはまあ明日か今日のうちにでも、時間を見つけて読むだろう。

たとえば、こんな一節がある。37ページから38ページ。


とうとう、みぞれが降ってきた。
山々の紅葉は、山頂から下りてくる積雪に追いつかれないように、一定の距離を保ちながら、山麓に向かって駆け下りてくる。
すると山麓の農家の柿の木の葉が落ち始め、枝先に赤い柿の実がぽつんと残る頃、みぞれが降り始める。
みぞれの降る季節になると、この街のあちこちに一斉に鮭がぶら下がる。
鱒寿司屋の軒下に一列に並んでいたり、魚屋の前のプラタナスの街路樹に渡された横木に稲架がけにぶら下げられたりしている。
鰓から荒縄を通され、大きな口を開け、濡れた目で空を見上げている。
空には、立山連峰にせき止められていた乱層雲が、せめぎあい重なりあって低く停滞したまま動こうとしない。
鉛色の空からは、絶え間なくみぞれが落ちてくる。このみぞれに濡れたうら寒いモノクロ風景こそが、この地方独特の貌なのである。
気象が風土の貌を作っていく。山に雪が降っているのでなく、雪が山を作ってゆく。
みぞれが降り始めたら、北陸に住む人々は冬が来たと実感する。年によっては十一月の下旬から十二月の下旬まで
が降ることがある。


著者の青木新門さんの住まいは、富山県である。ここ福井よりはかなり北のほうだが、このみぞれの現実は変わらない。今年もまさにそうだった。そして、ある日、風景が真っ白になった朝があったのだった。
鮭や鱒寿司屋の風景は、富山独特のものだ。鱒寿司は北陸線に乗ると必ず車内販売で回ってくる中に、いちばん偉そうに顔をのぞかせてもいる。
この「みぞれ」を巡る一節を、「うん、なんてことないけど、いいよ」と言いながら、私は英子に読み上げていた。パソコンに向かっていた彼女が手を休めて聞き入り、当たり前のような聞き、そして、また仕事に戻る。

みぞれ。そして、雪、根雪、雪かき、雪下ろし…。
そんな暮らしがある事を、私も英子も実は知らなかった。今はいやというほど知っている。ただ、私は北海道生まれて三歳まで極寒の中にいたから、寒さの三つ子の魂はあるのかもしれない。ただ、北海道の雪には、もしかしたらみぞれはないのかもしれない。

昨日、アルジェリア情報を得ようと、久々に「報道ステーション」を見ていて、東京が「大雪」になるらしいという中、キャスターが何はともあれ、東京に雪という事実ばかりが大きくなったと明白な、解説をしてしまった。
「東京に大雪が降るようです。いえ、東京だけではありません。東北や被災地、北陸の一部にも…」
逆だろう、とすぐに思った。雪国の人々が雪に慣れているからと言って、日常茶飯事としてスルーする事は許されないおもい背景がある事を、メディア関係者に忘れてもらってはならないと、朝日系の視聴者センターに即電話した。

「今、キャスターがつい、東京中心の発想でこうおっしゃいましたが、雪国に住んでいる視聴者が、まっ、一万人は、その東京中心の発想にあきれたか、落胆したか、まっ、そんなものか、と思ったか、心から怒りを覚えたのは間違いありません。トーキョーほどの大都市にたとえ数センチでも雪が降るのは大変な事だというのは、もともとトーキョー人だからよく判ります。でも、それを余りに過大視して、順番を間違えてはいけないと思います。」

表現上の価値観の偏り、事実の間違い、あやまった偏見を固定する物言い、には、こころして、「待った」を言うようになったのはいつ頃からだろうか。もうずうっと前から当たり前の事で、でも、はっきり覚えているのは、池田小の児童殺傷事件で、精神科で処方される薬に関する、きわめて危うい間違った知識が流された時の記憶は今も鮮明だ。

あの時は、犯人が自らの錯乱を装っていた事に、警察もマスコミも翻弄された。翻弄されついでに、きっちり抗精神病薬をのむ事によって、「よりよき」人生を維持している、あるいは、維持しなければならないのに、こんな薬はのまないほうがいいという家族や本人の葛藤をより混乱させる情報が一人歩きしたのは、完璧なミスだった。
だいぶ前の事だが、私は丁寧に電話で、それがどれほどの事を意味するのか、懇々と説明した。丁寧な応対だった。そして、翌日の放送で、久米宏は、画面をまっすぐに見ながら、前日の誤報たれ流しへの謝罪を、きちんとした知識を伝えながら、まっとうした。多くの、私のような視聴者からの深刻なクレームがあったろうし、また組織的に動いた、精神障害者団体もあったと思う。

それに比べたら、雪の事などたいした事ではない面もある。でも、そんな一回一回が、トーキョー中心主義を固定化し、雪国の人々の気持ちを委縮させはしないか。
まあ、数センチで都市機能が麻痺する現実には、さすがの福井の人々も、トーキョーの人にはこんな事を言うのは申し訳ないが、日頃の「溜飲が下がる」思いをつば飛ばして話しているのには、英子も何度も出逢っているようだ。

「自殺」を巡って、テレビのバラエティ番組の展開が許せず、NHKのふれあいセンターに電話した事は、すでにブログに書いた。


話を戻そう。そう、「納棺夫日記」の事だ。
びゅびゅんと飛ばして、孫引きさせていただく。

 「根源的な現象に出会うと、感覚的な人たちは驚嘆の中へ逃げ込むし、知性的な人たちは最も高貴なものを最も卑俗なものと結びつけて分かったと思おうとする」ゲーテ

私たちのあの『ハートをつなごうセレクション』で何が起きたのかにも、私にはまっすぐにつながる言葉だ。ただし、現代の日本人で、単に感覚的と言える人たち、そして知性的な人たちと言える人たちが、存在するかどうかは、はなはだ疑問だ。
感覚も知性も、すでに危うくなって久しいのではないか。
この引用は、実は「オームの地下鉄サリン事件」から間もない頃になされている。この著書が書かれて、著書が売れて戸惑いながら書いている著者の文章、「『納棺夫日記』を著して」の中にある。オームとの関連で著者は、こういうふうに結ぶ。


このことはほとんど詐欺行為である。純真な若者たちは、既存宗教の詐欺行為がうす汚く見え、天才的な詐欺師の仕掛けが美しく見えたのかもしれない。


著者が書いた「文庫版のためのあとがき」も示唆に富む。特に今の私だからだろうか。


日記と題していながら、日記でもなければ、自叙伝とも小説とも言えず、宗教書でもなければ、哲学書でもない。あえて言えば、ノンフィクシヨンかなと思ったりしてみたが、そうとも言えない。


そして、著者は司馬遼太郎の『空海の風景』のあとがきを引用する。


 「私がこの作品を書くにあたって、自分に対する取り決めをしたことは、いっさい仏教の述語を使わない、ということであった。述語を記号化することによって、その上で文章を成り立たせるというのは、学術論文の場合はそのことが当然だが、人間についての関心だけを頼りに書いてゆく小説の場合、有害でしかない。」

そして、著者は自著の仏教用語の羅列を吟味し、顧みる。
と同時に、「自閉症」、「自死者」「自死で残された者たち」といったテーマを、担いながら、私と英子のパートナーシップを自然な遠景にした、大詰めばかりが長々と続く、執筆中の、担当編集者の言うところの、わが「ノンフィクション小説」への総点検のまなざしを深める。

この「納棺夫日記」、実は、世界中でいちばん有名な(という事がいちばん重要ではないけれど)自閉症者、ドナ・ウィリアムズの、ある人にゆだねていた最初の著書とのからみで、私の手元にある事が浮上した。

読めて、良かった。
でなければ、この北陸の家社会との違和感ばかり、書いたままで終えたかもしれない。
私たちは、見てしまっている。
ほとんど、民俗学的とも言える、浄土真宗を名実共に心身にしみこませた、おばあちゃん、おじいちゃんたちが、少なくとも、ここに住み始めた30年前には、存在していたという事を。そんなおじいちゃんの一人が、アメリカ人のLの友達が遊びにくると、
「おりゃあ、ケットーを初めて見た」
と言った事を。
ケットー、分かりますか。毛唐の事。毛深い外国人、つまり白人の事。
唐が、つまり中国人が最も身近だった外国人という歴史を担った言葉だ。


しかしながら、この地でも、かなりな事が形骸化しつつある。古いものも形骸化し、新しいものは新しいものの、必然的に持つはずの輝きを、一切持たない時代になった今、私の今、執筆中の本は、どんな言葉と方向性と、どんな着地点と、あるいは着地などありえない、見えない道筋を担っているのか。


見えてもいる。
でも、見えないでもいる。
その二つともに、大切にしたいと思う。

今の私は、余りにリアルな自分の現実をブログに語る言葉を持たない。持たないでいいと思っている。拍手の数はもしかしたら少ないほどいいのかもしれない、とすら思う。三つくらいがいいのかなあ、なんて、それでも思うけれど。


リアルな自分の現実。それはあるにはある。
あるには、あるという以上にある。
でも、情理を尽くして、何を語っても通じなさがおおいつくす。
通じるところに持って行くには、おおいにエネルギーを尽くす。それについて、ここに書くのはばかげている。

たとえば。
11月末からごく最近まで、お察しの読者もいるだろうが、私はかなりの本数の電話をした。単なる本の内容確認をこえた段階まで、それは及び、おそらくゆうに、100時間以上を様々な人との対話に費やしている。
それすらも、一旦遠景にする。それすらも、一旦、棚にあげる。大事に大事にしながら、思いのかたわらに置く。
残されたのは、数十枚に及ぶメモと、それを様々な色合いで分類した書き込みだ。

昨日、私のからだのケアに当たる女性に、電話をおそらく100時間相当はしている、と治療中に告げた。
「電話なんて、寝転がってできるし疲れないでしょう…」。
簡単にどんな必要で電話しているかは話したが、英子によれば、絶対伝わっていないだろうという。


だから、私は初めて、先日マッサージをしてもらった、日本語教室の元生徒の無駄な会話のない、心からのケアにこそ、救われたのかもしれない。彼は、私が「本を書いている」という事実にだけアンテナを立てた。私と彼は、スペイン語で、日本人には聞こえてほしくはない話もかなりした。

体のケアには、心のケアも含まれる。どんなおしゃべりであれ。

生の中には、死が含まれる。どんなに死を見ようとしない人生にも。

死の中にも、生が含まれる。どんなに生を見ようとされなくなった人生にも。

今日は、父の生誕97年のその日だ。朝、起きて、父の母である「おばあちゃん」の事を初めて真剣に考えた。
勘定してみると、祖母は父を23歳で産んでいると判った。そして、私の「おばあちゃん」になったのが60歳だという事も。
 
そして、今、私がその年であるという事も。

2013年1月22日午後6時半 
ケイコ
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