PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

中島みゆきの『肩に降る雨』・『ダイヤル117』がふいにわきたって 

幾日歩いた線路沿いは、行方を捨てた闇の道……

この中島みゆきのフレーズが、
その時期の彼女の最も低い水脈を流れる基調低音だと、
私はわかっていたのだと思う。

私が中島みゆきを「卒業」したmissM の中の一曲だと、
おそらく20年以上ぶりにさっき確認した。
題名すら忘れていたからなー。

おそらく、その時期に、
最初で最後の彼女のコンサートに福井で行った。

幕が開き、ステージに響き渡るメロディーと共に、
たちあがってきたのは、
まさにこのフレーズであった。
このフレーズは、
曲のまんなかへんに登場するはずのものなのにだ。

そうだろう…私は得心した。
そうだろう…私は確信した。
わかった…私は卒業した。


今日、さっきヒデコがある人に電話して、
いつも一人の時のその人の声が余りに切なくて、
という話から、今度は別の唄の言葉が立ち上がってきた。

…張り詰めすぎたギターの糸が、
夜更けにひとりで、そっと切れるーーー…


また、手持ちの何冊かのピアノの楽譜で調べてみた。
ピアノの前には一冊しか、みゆきさんの楽譜は棚から下ろしてなかったから、
初めて、20年以上ぶりにみゆきさんの楽譜を全冊下ろした。

おもむろに、それが『ダイヤル117』だと判った。
はは、これはみゆきさん流の「いのちの電話」表現なんだな、
と妙に得心した。

すぐ、みつかったピアノの伴奏楽譜と共に、弾いてみた。
弾けた。歌えた。
のえの事を思ったら、絶対に、いずれにしても、
この4年間には弾けなかったはずだった。


私は今、
何本もの、何人もの、心からのサポーターとの電話線で、
本当に、芯から、紛れもなく、
いのちをつないでいる。

そして、他のつなぎきれないでいる人の事が即座に判る。


おとといの出来事は、そんなに簡単には記せない。
書いてもいいけれど、書くエネルギーと、
書ける内容と、書きたくない思いを調整する気には今はならない。
ならなくていいと思う。


ただ、いのちだけはつなぎたいと思う。


エカちゃんありがとう。
あなたの言葉ではない、深いやさしさ、に救われています。

何人かの大切な友達たち、ありがとう。
私の言葉との「たたかい」に疲れ果てずに、
おもしろがってつきあって、その意味を汲んで返して、
キャッチボールすらできる事に感謝しています。

私の危機的な時間は、
ヒデコの寝た後の、午前4時頃から。
あったかいお風呂に入って、漢方薬やらが効いて、
すっと眠れればたいした事ではないのです。

ところが、全く眠れない、寝付けない時がある。

ここのところ、10日に一回くらいだから、
たいした「重症」ではない。
まして、なぜそうなっているのか、
判るから、「重症」ではない。

でも、それが本当に「重症」ではないのか…。

朝の5時でも6時でも電話させてもらっている、
そんな事が一ヶ月ほど前から始まっている。

本当に8時とか、
「ふつう」の朝になったら、出てくれる人はもっといると言えばいる。


大きな、見えに見えてしまう、
透かし彫りに判ってしまう課題の大きさの前で、
一歩、この福井という日本社会に出て行った時、
それは起きます。
否、それだけではありません、
テレビの画面を通してだって、
ネット上でも、県外でも、
でも、とりわけ地元で腹をくくって出向いた場で、
起きた事が透かし彫りに見えて、
圧倒されるまでもなく、やっぱり…となって、
血の気が引くまでもなく、
というのは、すでにこの地では私は血の気が引きっぱなしだから、
今さらまでもなく、引いている血が、
もはや引く波すらない事に、
後は大津波でも待つしかない事に、
震えるまでもなく、電話線を通して笑い飛ばし、けっとばし、
はげまされ、やさしく包まれ、そっと抱きしめられ、
言葉のつなぎ目に、いのちをつないで、
のえの原稿の言葉をも、少しはつなぐ日々。



そこに、20数年ぶりに、
みゆきさんの「ダイヤル117」のフレーズが降ってきたのです。
それは、むろん私ではなく、
他の人の、低く孤独な声を通して起きていました…。

…ねえ、切らないで、なにかーこたえて…
…張り詰めすぎたギターの糸が、
夜更けにひとりでそっと切れるー…





そして、
紛れもなく私が彼女、みゆきさんを卒業したのが、
あの「肩に降る雨」であった事を発見するのです。



おとといに関する、具体的直接的報告一つだけ。


自殺予防すら、
今の日本ではビジネスなんですね!!
否定しません。
ただ、そのシステムのありかたには驚きました。
派遣会社がやっています。

福井だけかどうか、知りたいものだと思っています。
おとといに関しては、今のところはこれだけ…。



肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま、歩きつづけてきた…
肩に降る雨の冷たさに、まだ生きている自分を見つけた… 




肩に降る雨の冷たさは、生きろと叫ぶ誰かのこえ。
肩に降る雨の冷たさは、生きたいと迷う自分のこえ。




私は中島みゆきは卒業しています。


彼女が才能を乱発しているのを聴きたくなくなったから…。
ある日、その「うるささ」にとても耐えられなくなったから…。
否、それは徐々に、私にやってきた、そんな「卒業」だったのでしょうか。


こんにちは。また、少しだけ唄うかもしれません。
こんにちは。また、少しだけ弾くかもしれません。


あの頃のように、自分のためだけではなく…。
のえの事を想い、人々を思い描いて…。
のえ、もう聞き飽きた、って言うかなあ。


ただ、みゆきさんの曲は20曲中に一曲くらいしか、
私にとっては、一音一音、歌詞の一字一句に無駄も、
過剰も、不足もない、という歌はないのです。


だから、そんな大切な曲だけはね。


ピアノの日々が、
突然私に蘇らせた、「唄う日々」の記憶。
「唄う」しかない苦悩と、
呻吟する人々へのシンパシー。


そして、思い出す。
『モモ』の「豊かさの中の孤独」のどしがたいほどの深さと大きさを。
いやしがたい、長すぎる時間を。




そして、胸にきく。
しかも、それすら浄化しようとする
自らの意思のありようを。


そして、そんな私のそばに、
いつも黙って、
時にうるさそうに、
時にさりげなく食事を出して、
時に抱きしめて、涙を流し合って、
大声で互いに笑い合って、
いてくれる、ヒデコを感じながら…。




 ケイコ
 
「肩に降る雨」YouTube
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Xf_Nk1Im5LE


「ダイヤル117」YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Xf_Nk1Im5LE



読んでくださった方へ


フェリス ナビダードゥ

メリークリスマス



カトリックのペルーのクスコ市のクリスマスには、
いつもなら大嘘つきも、
日本人の別れた夫に憤懣やるかたない女たちも、
カンニングしか考えていない生徒たちも、
みんな、みんな、やさしくなったものでした。
そして、
フェリス  ナビダードゥ
って抱擁しあったものでした。
なつかしいなあ。
ただし、雪もありません。寒くもありません。
真夏ですから…。


つけたし

私が最後にしたmissM は、今調べてみたら、
1985年11月の発売でした。
つまり、27年前のこと。
のえは私がみゆきさんを聴いていた時期、
ぎりぎりちょうど、ベロ亭にいた訳です。
あの頃は、ここの環境を最大利用で、
大音響でみゆきさんを聴いていましたっけね。
ふふ、のえも覚えちゃったよね、きっと…。

その後の、アルバムは、もっぱら人様から、
テープでいただいたりはしましたけれどね!
スポンサーサイト

| 声・唄_・詞・音楽 | 18:05 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

東電の件は、人からのまた聞きなので、調べてみた方がいいかもしれない。どこか別の電力会社かも。メナード化粧品は知られてますよね。

| ケイコ | 2012/12/25 00:29 | URL |

http://cress30.exblog.jp/12682803/

ヒットさせられないけど、これ「中島みゆき アルバム」リストで検索すると出てくるアドレス。

私が最後にしたmissM は、ちなみに13枚目のアルバム、その間に、シングルはいろいろ。

私は文学でも音楽でも、その人の最初の頃がどうも好きみたいです。
『私の声が聞こえますか』『みんな去ってしまった』『寒水魚』とか好きでした。
壮絶なのは、やっぱり『生きていてもいいですか』ですね。好きな曲というか、ものすごく気になった曲が何曲か。アルバムタイトルの歌詞が出てくるのは、『エレーン』という曲。

彼女は、ものすごく色々な声を出す人です。一人芝居がものすごく微に入り細に入りで、つきあいきれなくなったかも。

私の見立ては「アスペルガー症候群」の『サバン症候群』。まあ天才の類いかな。

彼女の世界に夢中になる人は、孤独を知っている人だとは思うけれど、あのカリスマ性は今は不思議とよけたいところがあるのです。良い曲はたまに、勿論あるんだけれどね。

彼女に夢中なLの人に、私が自死遺族だって事でよけられた経験があります。みゆきさんは、大切な人に間違いなく『死なれている』人だし、人の生と死に敏感でありつづけていると思う。

皆さん、フィクションはお好きなのです。彼女の実像はなきに等しい。ステージの上の虚構が彼女の舞台です。それはそれはきっと面白い事でしょう。美しいかも。歌会の数々です。少しテレビで観た事はありますが。

でも、あの「うるささ」は、やはり花開きすぎた「アスペちゃん」でしょう。今や、ヤマハの重役ですし、東電のコマーシャルに出た事は、ものすごく後悔しているはず。後悔している、と信じられるところはありますけどね。

| ケイコ | 2012/12/25 00:21 | URL |

ひとり暮らしの時は、クリスマスも正月も無視して生活してました。今は相方とちょっと特別な食卓にしたりハレの日にしてます。誰かいて、そして友とつながって、やっとこさ「生きてる」感覚を持ててる自分です。歌、聞いてみました。みゆきさんってこんな声の出し方だったんですね。最近どうも違うような。

| けろたん | 2012/12/24 21:47 | URL |















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/1067-39745c11

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。