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次々と「読む」「目を通す」本もまた、今や私のサポーター!! そう、「本は読まれるためにあるー!」

次々と「読む」「目を通す」本もまた、今や私のサポーター!! そう、「本は読まれるためにあるー!」

今日もポストならぬ、玄関の二重扉の中の蔦の編んだ状差しに、ばさっと他の郵便と一緒に本が数冊。届いた、届いた、ふむ、あのやや、きわどいけれど、面白い批評家と言うべきか、なんと言うべきか、今のところ保留の人の文庫もまた二冊。こんなの、もしかしたら福井の本屋にもあるのかもね。

それと同時に、この間、かけがえのない言葉の行き来のあった古本屋さんからも一冊。余りに梱包が丁寧な事に、涙が出そう。出てきたのは、まるで古文書のような一冊の私が生まれたより先に発刊された、よれよれながらも、由緒ある趣きがその紙臭さとかからすらにじみ出る本というより、綴じられた紙の束。
うーむ、私はここに私の本質、人間の本質、を探すぞ、と心を決めている。

あと、2冊来たのは、昨日来た人と同じ。売れまくってるかも。でも、この期に及んで、読んでおく必要に迫られた感がある。

そこから、おとといのある方との三時間の電話での瞬間とかさなる叙述をあっという間に見いだした。

彼女は言った。
「ご自身のためにも、ヒデコさんのためにも、執筆を仕上げられることを願っています。」
即座に私は返していた。おいおい、それ、言うのねって内心。
「えっ、それってもう終わっています。自分のために、ヒデコちゃんのためにという事は抜きにはできないけれど、そのためになんて事はとっくに終わっています。」
沈黙。それから。
「そうですよね…」だったか、
「そうですか…」だったか。


それにかさなる叙述に出逢った。ずしんと来たよ。今さら感もあるけれど、こんな簡単な事が皆、判っちゃいないのか。と、言いたくもなる。うむ。
引用いたしまする。この方、引用大歓迎、コピー大歓迎のセンセー。
これだけ、書いたら判っちゃう人多いかもね。

「この申し出を断るためには、「本を買う人」のためではなく、「本を読む人」のために私は本を書いていると即座に断言できなければなりません。この申し出を前に、一瞬でも逡巡するような人間には物を書く資格はないと僕は思います。少なくとも僕は、その問いを前にして、一瞬でも判断に迷うような人間を「物書き」とは認めません。というのは、本を書くというのは本質的には「贈与」だと僕が思っているからです。読者に対する贈り物である、と。」

ある本の第六講「読者はどこにいるのか」からです。
ふふ、筆者は内田樹。知ったばかりにしては、親しみと反感が入り交じる書き手だな。
反感、というのは違うかも。考えの立て方というか、筋道というか、人と人の折り合いの付け方とか、うむ、経済や社会を論じる時の少し届かない感じとか、含めて、この人、カンペキに「自閉症スペクラム」圏ではないと断言できる事、私の知見がもしかしたら、経済や社会、労働において、この「隔離」されたようなドドド田舎で、追いついていなかったり、少し無知である事もあったり、あるいはそんな事は飛び越えて、「違う」だけだからかも。
否、それでもこの人、面白いんだよな。

舌鋒の鋭さ、そそられる。
よっしゃあ、私ももう少し、愛に満ちた部分も含めて、いえいえ、愛をこそこめて、どんどん毒舌とイケズーで行きましょうか、とも思う。
まあ、今までと変わらずで、十分かな。
それに「愛」って簡単に言えない「自閉圏」である事、大事ーですからね。
愛の根源、見極めますぜー!


時々、ドンピシャアと当てはまる想いと、うむ、ふむ、ありゃりゃ、の間を行き来するのは、
私が定形外の自閉症スペクトラムだからだけではありません。
昨晩寝る間際に、朗読してヒデコも知って、
ふむ、それあれ、ふむね、うーむ、なんて言ってましたからね。

そして、彼はハッタツ的には「定型」の人だと思うけど、
別の意味で、というか、
ハッタツ的にではなく、「定型」を求める社会にありとあらゆる、ある種、うがった物言いも含めて、なんだか色々、このセンセーおっしゃているんですよね。

古文書とこの人の三冊含めて、タイトルなんて記しませんーだ!!
私の今の研究課題、こっそり、やりたくこそあれ、です。

でも、上記の引用に関しては、まさにーと合致いたしましたので…。
発表!!

そうよ。
冗談じゃあないよ。単なる遺稿集ばかにしちゃいけないけれど、
単なる「自己満足」の遺稿集とか、思い出をふりかえってみた的な、
そんなもん書いてるんと違いますからね。


すとんと、この社会の現実の渦中に「落とす」以上。


ただし、この引用の手前には、「本を買う」人ではなく「読む人」との対比として、
その本全部買い上げるからと言われた時、さてどうするって出てくるのよね。
金ほしさに、のえのストーリー、私のストーリー、ベロ亭のストーリー売りかねないほど、貧乏やってるけど、まず売らんな。絶対売らんな。

すぐに「読む」人がどう広がり、「買う」人がどう広がりなんて考えないもん。
いや、すごーく考えるよ。でも、考えないモン。

さて、さて…。

今、私はとても大切な本を、大切な若い二人に貸しています。
ある種、「本を読む人」を増やす実践です。
私はそんな「贈与」をされた事はめったにない、といつも思います。
ある、とても買えない分厚い高い、とっても読みたい本を、ある医者の妻でもある、当時、少なくとも「友人」だったはずの人に、「貸していただけたら…」と丁寧に言って、見事に断られました。もちろん、本は買って、そばに置いておきたい、そういう大事な本がある事は痛いほど判ります。でもね、医者の奥方だよん。

身を切る想いで、手元から離したくない本を貸して、読んだ後も返してもらえなくて、
返してもらった記憶はまだ新しいな。
本なんか、近くの図書館、古書店でいっぱい手に入るはずの人たちが、
なんで家の書棚から、本持って行って、忘れてんだよーって、やはり思うさ。

福井の本屋はクズしか置いとらんもんなあ。
これについて論ずるには、本とは何か、から始めないとな。


私は、人に貸して返ってこなかったたくさんの、大切な、重要な、私の人生を変えたくらいの本が何冊かあります。この30年間くらいの間に。
最近、そういう本を何冊か、古本でアマゾンで少しだけ安く購入し直したりもしています。



うむ、実は、私も借りっぱなしの本あるの。その方の住所が判らなくなってね。
何度も調べたけど、力尽きた。ザンゲします。お許しくださいませ。

金よりも、何よりも、本やCD、音楽とか、天下の回り物であるべきです。
まっ、音楽はかなりなものは、YouTubeで聞けるしな。
いや、金も回らなきゃ困るよ。絶対困るよ。本を拾って歩かなきゃならなくなるし。


誰か、私から返してもらってない本、ある人言ってください。
私から借りた本、返してない人、今からでも返してー!!



本は読みたい人に読まれるためにあるの。
音楽は聴きたい人に聴かれるためにあるの。

そして、今日は今から、私はしゅくしゅくと…まるでエセ政治家だな…
執筆活動に復帰いたしまする所存でございます。

ケイコ

追記 サナエ、何冊か書棚から持ってきたままで、すまん。
   タンポちゃん、突然の電話で「返して」などと言って、驚かしたかな。
   あれ、大事な本なもんで、「Nobody Nowhere」!!
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