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アワボイス・オランダのゲイの結婚・明日新宿二丁目でしゃべくりだってさ!! 辺境の森の奥のレズビアンのパートナーのケイコがやっぱり今晩のうちに書きました!!

オランダのゲイの結婚・明日新宿二丁目でしゃべくりだってさ!!辺境の森の奥のレズビアンのパートナーのケイコがやっぱり今晩のうちに書きました!!

中村さんはもしかしたら35歳でも、とても繊細で、甘えんぼの少年なのかもしれない。
中村さんはもしかしたらとても用意周到で、はじめから保証されていなければ嫌なのかもしれない。
中村さんはもしかしたらそこそこ頭が良くて、段取りがたけていて、NHKの取材側なんて簡単に乗らせてしまうのかもしれない。
中村さんはともかくゲイのパートナーがほしくって、日本の小さな島の図書館の仕事を得て、まあ勇気はすんごく必要だったろうけど、余りに当然の事としてテレビ画面ごとゲイだって表沙汰にして、結局仕事を追われて、島の一部の人には、ひどく後指をさされたのかもしれない。
中村さんはもしかしたら長い間、両親に理解されないと思い込んでいた分、一刻も早く『家族』というものがほしかったのかもしれない。
中村さんはセクシュアルマイノリティや発達障害者にありがちな、異邦人のほうが楽なタイプの人で海外に活路を求めるのが自然だったのかもしれない。
そして…。
ともかく、日本には居場所がない、と自分から居場所を果敢にきりひらく前に、一刻も早く結論を出したかったのかもしれない。
余りの不安の大きさは、人の魂を危うくするし、荒廃させるから、そんなふうになる前に、安全な場所で、安心したかったのかもしれない。



その事をとやかく言うつもりはない。それは中村さんの人生なのだから。
中村さんが、35歳年上のミヒルさんをやがて看取ることになるだろうことは、やさしい、福祉なんかの心得や経験もある彼の事だから、とっくに覚悟しているのかもしれない。
その前に、お孫さんにミヒルさんが読んでいる絵本もついでに?読んでもらって、それはそれで大きな幸せなのかもしれない。
チェロの調べも、母のピアノもそれはそれで美しかったかもしれない。


でもね。
でもね。
でも…。

私は耐えられなかった。
あのサインの瞬間に。あの彼らの結婚のサインが、日本の戸籍制度にのっとったシステムと違うと判っていても、やっぱり耐えられなかった。私は誰かとひしと二人は結ばれて、なんて契約を結びたいなんて思わない類いの人間であるし、そうやって生きてきた事そのものに、とことん根底的に誇りと自己の尊厳を持って、立っているんだな、という事を再認識さぜるをえない瞬間だった。

どうしてあんなシーンに感動するんだ。
日本の「自死」の背景には、結婚のシステムゆえに生じる「不倫」ゆえの表に立たない自殺だってどれほどある事だろう。
だいいち、私はウェディングドレスは大嫌い。角隠しの婚礼のキモノなんてもっと嫌い。
だいいち、ご自由に好きな色に私を染めてくださいな、なんて私の人生にはありえない。
だからといって、六色の虹色のドレスでもタキシードでもキモノでも着たいとは思わん。
まあ、二人のハカマ姿は、私にはある種、どうでも良かったし、その分、まあお好きにどうぞって世界だったけれど。そして、それを街角で祝福する人々は美しかったけれど。

そして、もちろん、私は知っている。日本のどこにいようと、ゲイやレズビアンの人たちが、未来に絶望して死に追い詰められる事すら。そして、今晩がそういう晩になった人が何人もいるだろう事も。ついでに、地方なんて飛び出して都会に、海外にと決めた何人もがいるだろう事も。それが一人一人の自由である事も。それで、カミングアウトされたまま残された両親が自死する場合も、田舎町から出られず、偽装結婚するしかなく自死に追い詰められる場合すらある事も。


中村さんとは、ヒデコがやっているあるネット上のつながりで結構やりとりがあって、私たちの番組で随分好意的な、今までにない展開をしてくれるなあ、と思っていた。それは「のえルーム」に関してだから、ある種、私の感動はひときわだった。心にしみた。
ところが、ある瞬間から、彼は「評論家」になった。これって違う。もっと普通に人として対等に話したいな、と思った。そして、そう表明した。素直な彼はすぐに丁寧に応じた。しかし、それ以降のやりとりを望んだ私に返信はなかった。まあ、ここまで言えるかのように見えて、結局「のえルーム」の事など議論を進める訳にはいかないかー。

それから、少したったある日、今日あった「アワボイス」の出演依頼が、間をおかずあって、私たち二人はNHKさんとの重大な課題が片付いていない事、それから私がとてつもない執筆の仕事を抱えている事を主な理由にして、その依頼を即座に断ったのだった。その二つがなかったらどうか、は今は別問題という事はあったけどね。

しきりと思う。日本放送協会の福祉斑にとっての出演者とは何者なのかと。
私は煮え湯を飲まされるように、むなしさというまるで空気のようでいて、実は毒ガスのような何の手応えもない闇にもだえるようなこの半年を、否、アンコールに至る日々を、否、昨年の震災前の放送以来を生きてきた。
まあまあましな制作責任者。時にありえない責任者の態度。
直接制作にたずさわった制作者の心意気とうらはらな、同じ人間から出た態度や言葉とは思えない、あきれるほどに軽い、「責任」なんてものとはほど遠い、ふっと息を吐いたら消えてしまいそうな意思のおぼつかなさとも、何度もかかわりを持ってきた。おぼつかなさと関わりを持つのは、慣れているからな。でも、本当は慣れてはいけない事だから、慣れてはいけないなりに、私の頭と心と魂は瞬時に働くのだけれど。
彼らの「お好きな」ボキャブラリーは、「無自覚でした」「思いつきでした」「甘かったです」。
うむ、まだまだあるよ。光る言葉もまれには、本当にまれにはあるけど、それはしまっとくね。


そうして、私たちは自分たちの番組以降の日々を、
たたかい、生き延び、サバイバルしてきた。




今日の番組は今日の番組、そんな事わかってるさ。

でも、つくづく私たちの『レズビアンマザー・家族の自死を見つめて』に至ったあの番組がありえたことを奇妙な、不思議な出来事のように思ったものだった。
そうだよー。
「既成事実を積み上げる」という事、それはあの番組ではとても伝わる訳なかったものね。
だって、目に見えない事実を積み上げるシーンは、すべてカットされていたものね。
二人の笑えるシーンをのぞいてはね。まっ、これも伝わる人にしか伝わらないかもね。
ただのお笑いシーンかあ?

既成事実を積み上げるのは、生活のこまごました瞬間でも、
様々な社会的なタブーや差別、不平等に異を唱える活動の中でもそう。
そんなこと、二人とも高校生の頃からやってたから、
二人になってからは、生き方とひとつだったし、
そんな30年、いや40年か50年の蓄積があって、
だからこそ、あの「のえルーム」をしちゃってた私たちがいるんだよなー。
それまでとは、全く次元も位相も違う、営みではあったけれどね。


そんな事、映像からは誰も察しはしなかったよな。
前々から私たちをとことん知ってる人は、
あんたたちの人生の点みたいだよね、と。
そういう旧友たちは私たちの人生を三次元、否、四次元まで知ってるしな。
まあ大事な深ーい点に挑戦したね、とも。


ただ、それはまず、誰にも伝わらない映像だが、
今は、それが主眼ではないからこれ以上は…ってことで。


さて、今夜の番組。


ツィッターやらネット上の反応なんてもうとりあえずいいんだ。
一人一人、そりゃあ、違って当たり前さ。
『自殺予防』に取り組んでいる当事者の若い子が、
サインのシーンだったか結婚式のシーンだったか、
良かったって言っていたのが切ないナーとしみじみ思った。悔しいナーとすんごく思った。
私たち、思わされているんだよー。
こんな世の中に思わされているんだよー。

そりゃあ、私だって、様々な不都合、権利、得たいものは得たいさ。
でも、もしもヒデコの危篤に立ち会えなくなりそうだったら、力づくでも、大声で叫んでも、友達総動員してもそこに立ち会えるようにする。もしも、その時、何の保証がなくとも、私はそうする。その覚悟で生きている。それを私は不自由とは呼ばない。それを私は『自由への壮絶な意思』と呼びたい。

ただ、これはやむにやまれない場合の例で、
ほぼ確実に私たちは乗り切るだろうと思う。
私とヒデコのキョウダイにも、むろんコドモにも宣言してある。
コドモは味方だ。そうなるべく必死で動くことだろう。
(幸か不幸か、親はみんな逝っちゃってるし。)

のえとのお別れの時だってそうだったもの。
ハナの結婚式の波乱は波乱で乗り切ったもの。

そうやって、ああやって、こうやって生きてきたもの。

あるレズビアンの若い子がね。私たちの番組を見てね。
「子どもを生んでも先に死ぬって事があるんだと知って、ほしいと思わなくなりました」って言ってきた事がある。
ヒデコは即座に返事書いたさ。「もう二度とやりとりはしたくありません」。
馬鹿にすんなよなー。
そんなヤツ、コドモ生まないほうがいいに決まってるしな。

みんな生と死に、弱さに障害に向き合って生きていっているんだぜ。
結婚することも、コドモを持つことも、
勝つことなんかじゃ、全然ないよなー。人生さ、ただ人生さ。
人生ここにありー、だけどね。

のえだって、息子だって、私だって、
ヒデコはヒデコで衰えていく体力をしのぐ精神力で乗り切っているのさ。
乳がんがいくら軽かったって言ったって。
サナエだって働きまくりー、ハナも、やえも…。

あるとき、あるトランスの、そうGIDの地元の子が言った。
「うらやましいでしょう。現代は、手術もできるし、性もかえられるし」。

冗談じゃない。ヒデコはすくなくともヒデコはそんな事、望んだ事もなかった。
日本中回ってきた仕事で回る各地のトイレで、楽しみなはずの温泉の入り口で、私は何度も何度もヒデコがオトコに間違えられる事をカバーしたり、怒りまくるのに一緒になって怒ったりもしてきたさ。コドモだってそうしたこともある。
それはそれ。それは私たちの偽らざる現実。今までの歴史。何一つ変えたいとは思わない。

そんなふうに生きていく時の内圧の高さも、二人で笑い飛ばす時の、
内圧も外圧も吹き飛ばす、二人でつちかった力も、何一つ変えたいと思いはしない。




私は今、最後ののえの原稿の大詰めで、まさに、のえの最期の日々に向き合おうとすらしている。その前にも、『のえルーム』で起きた、他でもない奇跡…映像にはならなかったさ、その直後に私たちを見舞った、ありえないほどひどい薬害の現実、そして、ようやくこぎつけたNHKの『ハートをつなごう』の放映とその直後から今に至る課題の数々、そんな叙述もある。

静寂を保ちたい。
正月明けに書き上げる編集者との約束をやっぱり守りたい。還暦に及んで至ったこの執筆という私の言葉の仕事を、のえの12月21日の生誕42年をはさんで、きちんとおとしたい。

バイバイ、LGBTの皆さんの勘違いの夢と幻。
バイバイ、勘違いのため息。
バイバイ、横並びのくだらない希望なんか。

私は私のやるべきことをやり抜きます。

あの私たちの『ハートをつなごう』でも、のえが亡くなって四年あまりの日々の間にも、いくらも踏みにじられた私たちの尊厳のためにも、のえ自身の名誉のためにも、私はパソコンに向かう手を休めることはできません。

バイバイ、NHKさん。
バイバイ、すかすかの上げ底の人生よ。

私は深層から真相を見極めるべく、奮闘します。
たまには、あたらしく始めたチャイコフスキーの『秋』を弾き、
まだまだアルペジオが難しいシベリウスの『もみの木』を練習し、
少しは気を紛らわしながら、心の穏やかさを保ちながら、一人、もしもたとえ一人だとしても、この荒廃した、毎年三万人の自死を放置したまま、からっぽのユメを見ている日本社会に一石を投じ、それこそ、虎の尾を踏む覚悟で、世に問います。


それまでは、皆さん、さようなら。
それまで、なんとか生きていられますように。
それまで、大雪なんかに見舞われませんように。
まあ、それもなんとかするしかないけどね。

じゃあね、皆さん、さようなら。
チャオ
アディオス
グッバイ

そして、ありがとう、サンキュー、グラシアウス!!


さすがに究極の国際支援をしてきた身には、中村さんの結婚、
『最悪の国際交流』にならない事をまあ、少しは祈ってますね。
これね、あるこの道の専門の人が言ったんだけどね。
LGBTではないけれど、異文化が凝縮してにつまって、
良い方向にいったらサイコー、
でもね。
でもね。

私はペルーでも、たくさんのペルー人女性が、
離婚した日本の男たちにすさまじい屈折と怒りを持ってるのを見てしまった。触れてしまった。
反対もまた真なり。
個人の努力をこえてそれはありますよね。
仕方ない。
中村さん、ストラテジーの人だって自分でも言ってたもの。
まあ、そこそこお試しを。
うまくいったらおなぐさみ。
わたしは「おめでとう」なんて簡単に言いません。

まあ、良かったって言う人に、良かったね、と返すのはやぶさかではないけれど。



あっ、そうそうもう一つ。
ミヒルさんって正直な人だな。60歳になって離婚するなんて。
日本人にもそのくらいの選択の余地と、気概のある人いるんかな。

そういう意味では、彼はすでにエイジングの問題を抱えているし、
ある種、マイノリティの中でいっそうマイノリティだよね。
そして、中村さんは日本から来た外国人という二重性があるマイノリティだ。

だからこそ、「当たったんだ」って言うのを、
失礼な意味ではなく、厳粛に、穏やかに受けとめたい私もいる。


だからこそ、リスクの高さは、
オランダでこそ生かされるのか。
まあまあ、これからだもの。


あれれ、「婚活」に「成功」した後は、
次はまた「就活」じゃあないの。
オランダに来る日本人旅行者にガイドするとか、
ははーん。
余計なお世話かな。
生活、すでにもう成り立っているなら。
もしも、ありえない玉の輿??


ということで。


チャオ!!



ケイコ




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| 虹色カミングアウト | 05:22 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

自分の名前をないしは、ハンドルネームを投稿するときは書くものです。

まして、異性愛者が、「レズビアン」と名前のように書くに至っては言語同断です。
このブログは、常に、深さと広さで、二人で書いています。
誹謗中傷はやめてください。

レズビアンなら、ケイコの文体の奥にある苦しみが伝わっていくと思うのです。
いや、異性愛者を敵に回そうって言うのでありません。

これまで何度もなされた、あなたの書き込みに暗い影を感じるから書いているのです。
顔の見えない事を利用してネット上で、ベロ亭にやつ当りしないでください。

文章を理解しないで、ご自分の苦しみを暴力的な表現で書くのはやめてください。
全てのレズビアンの尊厳をおかす失礼な行為です。

| ヒデコ | 2012/12/12 16:44 | URL |

レズビアン37歳、さんへ。

なにかあなたご自身の切実さのようなものが、この私の、中村さんへの愛に溢れる、私独特の表現のありようを飛び越えて、読み込んでちゃんとに読解する以前に、わーっと字面だけ見て勘違いされてしまったのが明らかなような展開ですね。

それなり、傷ついているようですので、これ以上言うのは控えたいところですが、何が普通で、何がステレオタイプというのは、よくよく考える必要がありますよね。まあ、私たち、何十年も共に生きてきてステレオタイプと余りにはずれる生き方をしてきたし、それに伴って正直に生き方とかさなる言語表現もしてきたと思います。

ただ、私は言葉を遊ぶ、ところもありますから、詩的にもお笑い調にも、いろいろなので、「余裕」のない、ユニークな生き方をこれぞと思ってしていると自負されている方からは、勘違いされるのかなって、不思議な感じがいたしました。どんな神のいたずらがこんなコメントをこの欄に出現させたのか、一考の価値はありと思います。不思議ですから。

まちがいなく、レズビアンの方ですよね。これは疑っているのではなく、こういうコメントという言語表現の生まれいずるところが、どうも腑に落ちないからなのですが。

人それぞれで当たり前、なんて、この文章のあちこちに書いていますものね。
それぞれがそれぞれの生き方を交わしあって、お互いを知って深めていく。これぞ豊かな、ステレオタイプでもなんでもない、豊かな生き方だというのはこのブログの読者は皆ご存じでしょう。

私は攻撃をした覚えもないし、むしろ言葉の誤差に注意深く、推敲を重ねたのがこの文章です。
人の尊厳に関わる事柄には、敏感でいたいと願っています。

パラドックスや含蓄のある文章を読み込める人が、40代以下にはきわめて少なくなった。日本語の危機を感じるにつけ、日本語教師としての使命をも感じるところです。

誠に残念ですね。ステレオタイプな読み方や入り込み方、というところに立ち返られてはいかがですか。
そういうお気持ちがないなら、もうこれ以上はご遠慮ください。私は誰も攻撃したくはないし、むろん、中村さんとは結構交流していますし、杞憂にこれ以上かかずらわっていても仕方ない気がします。
レズビアン37歳、さん。どうかあなたご自身の尊厳を大切に、書いたり、行動なさる事を希望します。





| ケイコ | 2012/12/12 12:20 | URL |

残念です

あなたのコメントにとても悲しい気持ちになりました。中村さんではないあなたに、どこまで中村さんのことがわかっているのでしょうか。 ステレオタイプいっぱいの見方は、あなた自身の尊厳を傷つけると思います。

ゲイであれヘテロであれ、結婚したい人もいれば、したくない人もいる。それでいいと思います。それだけだと思います。

| レズビアン37歳。 | 2012/12/12 04:30 | URL |















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