PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

晩秋の陽射しが揺らぐ、無神経な物言いを切る

晩秋の陽射しが揺らぐ、無神経な物言いを切る

日曜日、大津から知人がある民間療法の伝授がてら遊びに来てくれた。彼女は、ベロ亭の庭に降り立つやいなや、「あのアオイの花…」と言い、それがあののえのメモリアルフラワー西洋芙蓉の事をさしている、とすぐ判り、庭のはずれのその一角にお連れした。
もう花も終わってもいい頃なのに、のえは彼女を待っていたみたいに咲いていた。あと二つくらいのツボミもあった。

一緒にサラダとパン中心の食事を、外はもう寒かったので部屋の中でとった。たったひとまわりほどの年齢の違いというだけで、しかもその人が女の人というだけで、こんなにも楽にやさしく、自然と話せる事が嬉しかった。

最近は思い切って食卓の前に掛けたのえのステージでの写真から、彼女とは、あちこちにかけてあるのえを描いたスケッチの話にもなり、結局、ごく自然に、彼女はのえのところに行って、お参りしてくれる事になった。
のえは彼女と面識はない。だけど、彼女は心からのえにそうしたかったのだと、その様子からはうかがえて、ありがたかったし、どうしてこういう事がきわめて少ないのかと、いぶかしい気持ちが一方でつのった。


彼女の持ちこんだ民間療法は、私の以前からのお気に入りで、英子にしてあげられる割に楽な方法である事も手伝って、私は一生懸命彼女の教えの元、マスターに向けて集中した。
英子が癒されるのと、彼女の手元の動き、私のレッスンをかねた、少しおぼつかない動きが重なるような、ちょっと嬉しい、不思議な時間だった。

私も少ししてもらい、いつも何かが足りないように判る頭のツボ「百会」の辺りがおもったるくなり、いつも筋肉痛の最後の名残みたいにかたまる左ウェスト裏がやっぱりかったるくなり、しかし翌日にはすっかり抜けていたから、あれは好転反応だったのだろう。

さて、彼女はきわめて自然に、帰り際、「もう一度のえさんのお参りをさせていただいてもいいかしら」と言った。「もちろん」と私。とても心に沁みた。

それから、ふっとピアノを見て、「毎日弾いてらっしゃるの?」と聞かれ、穏やかな気持ちのままに押し出されるように、人様の前ではじめて、あの「みずうみ」の唄を、ピアノと共に唄う事となった。ピアノは弾きこんでいるからまずまず。でも、唄のほうは、キーが合わないから、声が出きらない。転調しないとだめなんだけれど、彼女はしんと聞きいってくれた。

丁寧に丁寧に、音と声の響きをたぐり寄せる事で、私も深いところで何かが動き、静かな気持ちがひたひたと満ちるような気がした。

翌日、息子のカラが来て、前日の経験もあったためか、きわめて自然に、こちらは身内だから、やや声のほうも、うち出して、同じ曲を唄った。ますます、転調の必要を感じた。ピアノのほうは、かなり表現できるようになってきたと感じた。

先週から、実は、「自死の偏見とタブー」に関わる講演とシンポジウムの記録を熟読していて、夜更けてから、少しそんな話もするうち、カラがつらそうに顔をしかめた。
そこで、少しずつカラの気持ちの内に入っていくと、
「自死した人間について語らない、その事そのものが自死」とカラが言った。
つまり、カラはそういう現実にかなり遭遇している、その事が私の身に迫って来た。
表情が険しくなってきて、これはまずいな、と思ったら、いよいよカラは話し始めた。

それは、私の執筆内容にも深く関わってくる、ある人間の、ゆゆしき物言いで、カラがそれを聞いた時「血の気が引いた」のと同様、私は私の進行中の本の内容全体が、一瞬にしてぐらりと地震に襲われたかのような、あたかも地軸が揺らぐような、破壊的な力を感じさせられる事となった。許しがたい、ありえない物言いだった。

3月のハートをつなごうセレクション、となった番組の最後に、私が「どういう死に方をしたかだけで、その人の人生を語るべくもないなんて、自殺予防どころではないよ」と言ったシーンが取り上げられているけれど、その物言いは、まさに、のえの人生をなきものに貶めるかのような、きわめて恐ろしく無神経で、無自覚な分いっそう脅威にも満ちていた。

あらためて、のえの最後の3年余りの生きづらさがアップになり、一つ一つ描いてきたシーンの意味が、陰影を帯びて浮き彫りになる気がした。夜は余り眠れなかった。

翌日、そう昨日は、おとといから来ているゴウ君と共に、カラはペンキ塗りの作業をした。私はおとといに続いて、冬に備えて、植木鉢の移動、大きすぎる鉢のものの植えかえなどに忙しく動き回り、随分と沢山の植物を暖かい室内や、そこそこ雪や冷風を防げる玄関の風除室もどきの空間に置く事ができた。
ゴウ君がいてくれて、ふっと和む時間もありがたい。

彼が帰った後、ふっと、つけられていたテレビの音声が耳に入った。「爆笑問題」がイジメについて論議している番組だった。
「いじめられて、その仕返しとして、自殺してしまったら、そうしたらイジメている連中と同じくらい、卑怯な事をした事になってしまうわけで…」。
前後の展開はあったかもしれないが、ここだけ聞いただけで十分。卑怯って…。
自死に寄り添って生きている人間なら、しかもきちんとその事を受け入れて生きている人間なら、聞き捨てならない物言いだった。もちろん、その場の参加者の一人が、「それは追いつめられてした事でしょう」とつよく返してはいたけれど。

二日間の庭仕事、息子の久々の来訪、ゴウ君の存在などなど、私としてはそんなに大きく気遣っていた訳ではないけれど、それでもすっかりアンテナは下ろしていた訳ではない。そこにこの物言いの衝撃が私を一気にNHKへと提議しつづけている自死遺族としての課題に意識を向きさせる事となった。

むろん、執筆に向き合って、「のえルーム」のほとんどの録音に耳傾け、そこで何が一体本当に営まれていたのか、人の生死との向き合い方のみならず、哲学的宗教的社会的心理的課題としても、掘り下げつつあった。

だから、この自然と耳にしたNHKの番組での物言いは、私を一挙に私たちの提議など、吹けば飛ぶような問題提議に過ぎない、と思わせてしまうほどの怒りに火をつけたのだった。

ところで、私は月曜日、ほんのわずかな西洋薬と、それなりの漢方薬のエキス剤をもらいに、地元のメンタルクリニックに出向いた。私たちのあの番組を見た後、おいおい泣いて、「私なんか、苦労も何もしらず、ぬくぬくと生きてきただけで…」と、まあドクターの「権威」失墜の女医さんだった。その時は「泣いてくれて」そこそこ「満足」だったけれど、そのうちある日の診察で、「私は発達障害の事、判りませんから」とサジを投げられてから、私の側からもコミュニケーションを諦めるしかなかった。

でも、私は月曜日のその時間、明るい秋の陽射しが差し込む診察室で、わずかな薬をもらうために、明るくニコニコしている自分に耐えたくなかった。少しは私の浮き沈みも知らせるべきだと思った。
頼りにならない医者でも、まあ少しは聞きたまえ! ってなものだった。
「まあ、娘の命日辺りはつらかったですね。」
私は切り出した。先日、自死遺族のPTSDについて書いた、ある精神科医の本を読んだ事も後押ししていたかもしれない。彼女は言った。
「まあ、その日一日くらいは仕方ないわね」。
耳を疑いながら静かにたたみかけた。
「二、三週間くらいは揺らぎは続きましたね」
淡々と冷静にしつつ、深い失念が、医師が繰り返しているだろう失言と共にうずいた。

その日は息子が来ていて、夜、ふとした折にその件を思い出した。
「ひどいねえ」と英子と言いながら、その医師を巡った私の深いあきらめと、英子の側の微妙な意識のずれから、少し口論にもなった。息子はふっと席を立った。
まあ、命日反応なんて、心の領域の問題としては常識だから、後で三人であきれた話として、深めはしたけれど。

よほどの医師でなければ、私は少なくとも福井県内では、発達障害に関してもだが、自死に関してはもちろん、私のほうが当事者としての体感のみならず、認識、経験、知識、智恵、を身に付けているから、話にならないのは判っている。でも、生きづらさを抱えて、何らかの制度を利用しようとする時、そういうふがいない医師たちの書類が必要となる現実にも向きあわさせられる。だから、書類など要らないと言い切りたいところなのだが。

英子は、フェイスブックで「私が息子の前で、のえがカバーで唄っていた曲をピアノで唄った」事を書いた。37人が「いいね」と反応したが、誰ひとりとしてコメントしない、という、さもありなんという現象が起きた。

さて、英子は次の一歩として、「ある精神科医が命日反応について無知で、「一日くらいは仕方ないわね」と言った」事実を記した。私という具体性は捨象して。
すると、今度は、次々とコメント欄に記述がなされた。
やれ、精神科医はろくに話も聞いてくれない、薬ばかり頼っている、コミュニケーションを取るのが大事だがなかなか難しい、あれこれ、あれこれ…。

「命日」という厳粛な事実に向き合う記述は一つもなかった。

私はすでにこういう反応には、何度か遭遇して、これを禿げたか現象と呼ぼうか、ハイエナ現象と呼ぼうか、考察中である。
人様のさり気ない、しかしながら揺るぎない尊厳にも満ちた痛みの記述に、どうしてこうも日本人という人種は、無自覚に群れ、死肉を食いちぎり、自分の不満をぶつけ、我先にと講釈を述べ、という現象に移行するのか、これからのライフワークにする、多少なりともの価値はありか、と見ている。

この現象の命名は、禿げたかとハイエナの生態をよく知ってから、使い分けるか、どちらかに決めるかにしようと考えている。

実はこの後、食事時に英子が検索。どうもハイエナ現象という命名がいいような見聞を得た。ハイエナさん、それがなかな賢くて、早く走れない分、団体行動にたけているとか、妙な声を出したりとか、おまけに性の未分化まであるらしく、ここいらになると、あらあらだけれど、禿たかは、コンドルも含む鳥類の事らしく…。


さて、私はとうとういたたまれなくなって、昨夜遅く、ある人に電話を入れた。今、私は本当に自死に向き合って、真摯に相談にのってくれる人を失ってしまった。というより、私の相談に乗れるような人はいない、という事態に立ち往生している。

自死遺族の分かち合いの会も、一歩入ると、日本の家族の限界、日本の人間関係の限界をも抱え込んでいて、誤解を恐れずに言うならば、時に「トムライ合戦」の様相を呈していることもなきにしもあらずだ。

揺るぎなく、思いたい。
デリカシーをここぞという時に、失いたくはない。

その人への電話が、どこまで意味があったかは問わず、私は語りかけた。
かなり火はついていたけれどね。

それから、今日の午前中、眠りを中断して、
私はNHKのふれあいセンターに、
前日の異議を申し入れるべく、電話を入れた。淡々と語った。
私は自死遺族ではあっても、一視聴者に過ぎなかった。
空しかった。

でも、やるべき事はした。
これからも、やるべき事はしていこう。
時に淡々と、時に歯ぎしりする思いを持て余したとしても。

せめて、とりかえしがつかないほど、
致命的に空しくなったりはしない、
そんな
かたちを探しながら。

ケイコ
スポンサーサイト

| 自死を語るタブーを考える | 20:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://puentenokai.blog26.fc2.com/tb.php/1047-07f4eb70

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。