のえのCDブック¨といっても、
のえの楽曲4曲のCDとのえのブログの日記、
そして、私の、のえを巡るノンフィンクションで構成するという、
たいそうな本になりそう。
その本に、むしろ、のえさんの音楽が聴けるCDもついています、
という感じのものかも¨。
その上、ある先生が文章を寄せてくださることになっています。
その最終章で、紆余曲折をかさねています。
ばらしちゃうね。
『「自死を語る」タブーを突き抜けて、模索した悼むかたち』
という題になる予定の章。
おっ、読んでいる人の体が固まった?はたと、身構えた??
よし、よし、それでよし。
これ読むと、その固まった体も、身構えたハートも溶けていくからさ。
といいつつ、そのプロセスで、
自分がかつて書いたブログや、のえのブログの掲示板、ヒデコの新管理人の日記、
などなど、いやいや、のえのことで手紙下さった方々の文面とか、
もう、これ以上ないってほど最終点検というところでとどまっています。
で、今は、このブログの「のえと共に」と「自閉圏のつらさと豊かさと」はもちろん、
「自死のタブーを見抜く」「『自死を語る』タブーを考える」
¨それにしても、このふたつのカテゴリー統合しなきゃー¨
を見返し、読み返しして、それからプリントアウトしている途中でめげてやめました。
7月にこのブログへの、私の断筆宣言みたいなのをしてから、
そのとおり、結構書いてきていないから、
このブログらしさが、少なからずうすまっているのが気になりだしたのでした。
だから、ねたバレでも少し書いています。
のえの本の原稿書きに、エネルギーを集約する、という自分で決めた方向性、
それは変わんないけど、たまにはこのブログで遊びたーい!
なんて言っている場合ではなくて、
ヒデコは今日も福井市での個展でお仕事中です。
あさって、日曜日まで西武の隣りのアップルビル二階でやってますからね。
本当は、ここに書いたらいいような、
人生のトピックとなるような、幾つかのイベント出演、ライブトーク、
東京でつづいていたんです。
原稿もあらかた、編集者に見せて、明確なゴーサインが出て¨。
そのひとつひとつ、書きたいとどこかで思っています。
ケイコの『トーキョーストーリー1」とか2とかって感じで、
トーキョーでの日々がふとよみがえることもあります。
ところがです。
あの残暑??の九月から一気に、11月に入った昨日今日と、
まるで冬になってしまったみたいで¨。
やってらんないですよー。
ところが、の飛躍がわかりませんよね。
自分の心や魂や体に起きたことをなぞりながら、
人々とのやりとり、その意味、その真相と深層をもさぐる試みは、
奥が深くて、時々めまいがします。
誰も今まで開けたことがない扉かも。
そーだよー!!
誰も開けたことがないー!
そんな原稿書きの紆余曲折の只中に、
ある出演依頼もどきがやってきます。
昨日は、ある講演のオファーもありました。
取捨選択します。
そんな日々。
やっぱり、のえの原稿が呼んでいるから戻ります。
マイガーデンは、ここのところの嵐みたいな雨風で、
落ち葉で乱れて、収穫がすっかり遅れたバジルが少し黄色くなってきていて¨。
今日は低気圧かな。
よく寝たはずなのに、眠い。
でも、私は、のえの原稿に吸いつけられていきます。
それが今の日常です。
待っていてください。
ケイコ
スポンサーサイト
けろたんさん。いつもコメントありがとう。
「かなり踏み込んだやり方」「できるようしかけを入念」とは、さぞやプレッシャーがあろうと思います。
北の地は、いっそう秋が短かいでしょう!
少しでも、アシュラの等身大の像が結べるよすがやヒントがあれば¨¨。でも、等身大って、なんなのか、なんですが¨。
ごう君。のえの日記に入っていってくれてるんだね。
見えてくる「遠い遠い道」を、遠いとあきらめないでくれれば嬉しいです。その時の「力強い笑顔」を予感しているなら、まずそれはないかー?
ある、のえをよく知る人の、「のえルームに来る人のノート」の、ある日の書き込みに、「のえさんほど一人が、孤独が大切だと知っていた人はいなかったと思います。その点で彼女は誰よりもつよかった¨と思います。彼女の孤独をもっと理解できればよかったと思います」というのがあります。
これがすべてそのとおりではないかもしれないとしても、のえへの見方をこう一旦おくとき、見える事の大きさにはっとするものがあります。
| ケイコ | 2012/11/05 17:21 | URL |