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うたうたい のえ追悼 メモリアルフラワー西洋芙蓉が次々と花ひらく

のえ

どんな言葉よりも、
どんな音楽よりも、
どんな人よりも、
静寂だけがいちばん良いときがある。

そんな二週間ほどが過ぎた。

今年の静けさはしみた。
東京帰りの充実感のあとだから、おそらくもった。

「三年もたっても悲しみは癒えず」なんて非常識な言葉も聞こえてこないし、
「のえさんとお二人の大切な日に」なんて、ありえないカードの言葉を添えた、
しろーい大きな花束なんてものもなくて、
ひたすら、
のえのために植えた西洋芙蓉が真っ赤に咲きつづける様をめでた。

芯から思いをはせられない、つきあいだけの人からの言葉は要らない。
要らないだけではなく大きな傷をのこす。
しぶとい私は、そこから深く学ぶ事は忘れないけれど。

もう、どんな時も水引のついた袋は受け取らない。
のえの事とのえルームの映像化から生まれた、
「辺境の森」構想へのカンパなら喜んで生かしていくけれど。

一年目も、三年目の去年も、
そんな袋と共に、「ご放念」を申し出られた。
ありえないよ。
なんで、こんな時にそんな事をするんだよ。

静けさの中で、これまでの「命日」への怒りがふつふつと甦る。




どんなふうに遺されても命日反応というのはあるのだろう。
だけど、とりわけ自死で遺された身内の命日反応はきついのではないか。

今年は静けさの中だから、余計きちんと感じる事ができたかのようで、
そのぶん、かなりきつかった。
足元がぐらつく。
果てしないがけっぷちに立っている気がする。
気がする¨とつけくわえるのは、今の私が「書く」という作業をしながら、
読み手を気遣っているからだ。

そんな気がするとか、そんなふうだとか、
メタファーでもなく、なんでもなく、
本当に「がけっぷちに立ってる」。

そして、思う。
こんな時に、自死遺族は死ぬのかもな。
死にたいとか、消えたいとか思う事もなくても、死ぬのかもな、と。

ひしひしと、会いたい思いが募った。
のえの姿が浮かんだ。
人間の形をした空気を抱きしめていた。

命日の二日前まで淡々と順調に書いていた、原稿の仕上げはストップした。

サナエは忘れてはいなくて、命日に「のえちゃんの原稿読む」と電話してきた。
翌日、二時間半で二章分を読んだサナエと話した。

「のえちゃんとひとときつきあう、友達でもなくて、
キョウダイとして生きたというおもみを思った」と言った。
「なにに気づいてあげられなかったんだろう」とも言った。

それから、「これは『わたしたちの物語』で¨」とつづけた。
子どもたちがたくさんいて大変だったけれど、
その大変な、さなかこそ幸せだった、と書かれていてうれしかった、とつづけた。
楽しかった事も色々思い出したとも言った。

『わたしたちの物語』に私は立ち止まっていた。

この日本という外界に、『わたしたちの物語』を、
のえの物語として送り出す意味とおもみがずっしりとやってきた。

サナエがそう自然と語った事そのものは、心にしみてうれしかった。

剛くんが手伝いに来てくれた日は、
半日、ピアノに向かった。
ピアノからいつの間にか、ユーチューブに移って、
中島みゆきの『ファイト』の、まるでのえの晩年みたいなうたいっぷりのに出逢って、
ひととき聞きまくって、泣きながら思いはところを得た。
『ファイト』の後は、『永久欠番』だった。

確かにルールに順序はあるけど、
ルールには例外もある♪♪

だったっけ??

20年ぶりくらいに聞く、どこかのステージの『ファイト』は圧巻で、
本当に不思議に、のえの晩年のうたいっぷりを彷彿とした。
こんなことを言うと、のえに怒られそうだけれどね。

東京の疲れも残っていて、
たまに、何時間も何時間も眠ったりもした。
ありえないほど。
何も考えたくなかった。
何も感じたくなかった。
やすみたかった。

朝、起きると、あのメモリアルフラワー西洋芙蓉が、
必ず咲いていて、私はその鮮やかだけれど、
なんだか少し恥ずかしそうな赤に向き合って、やわらいだ。

野原の中でがんばってるね。人知れず、咲くね。
三十も花芽がついていたね。
今は、もう半分くらいが咲いたところかな。

命日反応、
そろそろ終わりかな。

また、いつやってくるかもしれない。

三年たっても四年たっても、悲しみは癒されず、
なんて、人に言われるのも冗談よしてって感じだけれど、
「私は母の自死をのりこえるのに20年かかりました」って、
きっと「やさしさ」と思って書いたんだろうけれど、
まるで先輩みたいに言われるのも、なんだかとても違うと思った。

その瞬間まで、どう生きていたか、がすべてに反映する。

一人一人が違う悲しみと向き合っている。
あるいは、違う葛藤に背を向けてもいたりする。

私は「こえたい」なんて思わない。
悲しみはずうっと、私の人生を彩りつづけるだろう。

赤く、
赤く、
深く、
静かに、
時には怒りと共に、
時には笑いだけが救いのように。

そして、私は今日も庭に植える花をさがす。
さびしさと悲しさを彩る花を咲かせるために。

きっと、それは大きく花ひらくだろうから。



そして、私は今日も花を植える。



2012年10月19日 午後6時

      写真はずうっと以前にアップしてましたが。
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| のえと共に | 14:19 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

これは左が空、ですか。写真が横になっているような・・・。花がいくつもついて、とってもきれいです。のえちゃんの丸い笑顔を思い出します。

| けろたん | 2012/10/12 22:23 | URL |















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