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作品と生きかたが「真価」を問われる只中から戻り¨¨トークに原稿に、個展と

作品と生きかたが「真価」を問われる只中から戻り¨¨トークに原稿に、個展と

ヒデコチャンはまだ、東京にいる。まだまだ、最後のせめぎわにいる。

昨夜、北陸線の最寄り駅に降り立って、重いキャリーバックをひきずりながら、一人、数分の道のりを、車を停めているところまで歩いた。今までだったら、一人、この駅に降り立った瞬間から「孤独」がふりかかるように、襲いかかった。けっして、私の真価が判らない人々の中に戻ってきた、その事をひたすらかみしめる。誰ともつながってなんかいない。それをのみこむ。

だからといって、この土地以外のどこかに、そんなふうに「真価」が判る人がいるなんて思っちゃいなかったりもした。今もおそらくそれは変わらない。

でも、もういい。

今回、私たちは、一人一人、それぞれが、自分の表現の領域で、「真価」を問われるような行為に、この期に及んで臨んでいた。場所は、首都トーキョーのとあるギャラリーであったり、とある出版社の一室だったり。

私の「勝負」は、長い長い書くという行為のはての、たった数時間の編集者とのやり取りであったりもした。「勝負」なんて言ったら、大げさなのは承知のことだ。やりとりした。
それだけ。
「ここまでお書きになれる人がどうして¨¨」と彼女がふともらした瞬間があった。

新宿二丁目のトーク。私たちの真価は、深く大きい生きづらさを抱えた人々に、少しは受け取られたり、かなり伝わったり、わずかにフェイントしながらも、それでもなんでも、やっぱり伝わったのだとは思う。

その前の、東京国際ゲイ&レズビアン映画祭でのほんの数分のトークにしても。
これについては、その後に観た『夕立の道』という70代のLカップルの映画と共に、項をあらためて記したい。

ヒデコのギャラリーでの展開は、私の書くべきことではないだろう。彼女が彼女の言葉でふりかえったり、それを待つべき類のことだと思う。

ただ、ともかく、私たちは二人とも、それぞれ、別個に、「真価」をきちんと見きわめられずに、こんなにも長い時間を過ごしてきてしまったのだということだけは、今回の東京滞在の怒涛のような日々がもたらした紛れもない実感だった。

昨夜、北陸線の最寄り駅に降り立って、私は「ひとり」歩きながら、心のかるさと爽快さとが、けっして自分を「孤独」に追いやらない実感を、不思議とはじめてかみしめた。

ベロ亭に車で入りかけただけで、庭の植物たちが、どんなにか丁寧に水やりされ、大切にされていたかが判るほど、秋の夜、ますます大きく育っていて、私は心から安堵した。

二階には、のえがいて、本当の静けさがここにはあった。

大阪まで足を伸ばしたけれど、予約してあったクリニックで漢方の生薬を処方してもらって、その漢方薬局での待ち時間にある方に会った以外は、もう大阪での人との出会いはきっぱりやめて、ジパングクラブで三割引きだしと、少し遅くなったので、さっさと特急に乗ることに決めて帰宅した。

なんだか、久々に無駄にパソコンの検索をさまよったり、と言っても、けっして無駄なことをしていた訳ではないけれど、いつも目的の只中でトーキョーで動いていた私は、昨夜はなんだか妙にあれこれしながら、結局3時に寝たけれど、どこかが冴えてなかなか寝付けなかった。

何かがすとんと落ちつつある。
それは、果てしないチャレンジの末だ。怒涛のような人と人との語りの末だ。

今日は午後、ひたすら庭の手入れをした。いつでも座ってなごめるようにと。
落ちた枯葉もはき、植木鉢の配置も変え、少し植え替えもした。水やりはもちろん。
さっぱりとしながらも、野性の残る私の庭が落ち着いた加減のところで、作業をやめた。
時々、まだ秋の陽射しと言っても、まだ強い陽射しを感じていると、のえの命日が近づいてきたんだな、とふと思った。

のえの部屋に行って、お線香をあげた。あんまりこういった事はしないんだけどな。今日は自然とそうしていた。お留守番、ありがとうね。

私はさめた意識が、たたかいの果てに見出した静けさのような、そんな中でひっそりと息づいているのに耳を澄ましている。ことさらというのでもなく、ただ、そのままに。

どれだけ遠回りをしてきたか、など、今は問うまい。
きっと必要な月日であり、孤独であり、激しい問いかけだったのだろう。

夕方、しまりそうな近くの温泉に、急いで駆け込みセーフで入って、熱いお湯につかった。
温泉を出て、駐車場に立つと、月が輝いていて、やっぱりトーキョーでは月も星も見なかったことに気づいた。

そこは、5月のイベントとツアーで、参加者が泊まったところだった。過ぎた日々。やってくる日々。駆け抜けた時間。

私は問われつつ、問うてもいる。深く問われつつ、深く問うてもいる。

私たちが歩きすぎてしまった時間の果てに。
余りにも歩きすぎてしまった時間のあとに。

今、ここにいる。
ここで生きている。

2012年9月27日夜9時半

ケイコ

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| ベロ亭から | 21:41 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

胸の中がじわじわと熱くなる。
さまざまな思いでと共に、あらゆる時間の中で。
この体から離れた事はない。
自己存在があるようで、ないような夢遊病者のような誰か。
孤独はこの胸の中に。
居場所はこの胸の中に。
あるような無いような。

自然を見つめていると、何処か遠い国に居るような気持ちになる。
大野の町を見下ろすと、懐かしい気持ちになる。
家の前に立つと、何十年かぶりに思える。
家族の顔を見ると、頬が焼けそうになる。
ケイコさんのブログを読むと、胸が焼けそうになる(良い意味で)。

夜は優しいですね。
みんなそれぞれの生活の中で二人との出会いを思い出すのかな。
千に一人、万に一人。
それぞれの胸の中に。

ごう

| ごう | 2012/09/28 17:30 | URL |















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