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東京の展覧会が近づいて

ツイッターとかFacebookをやっていると、他人の意見を聞く機会が多すぎる。
今は、自分の声を静かに聞く大切な時だ。

少しネット社会から距離を置いてみている。
個展に向けて、自分がどんな風に「命」と語り合っているか再確認しなければならない。
結構緊張して、耳とか、目から膿が出始めた。

そもそも、命とは、生とは、死とは。

私は、40歳になるまで、オカシイぐらい真剣に60歳になったら死のうと思っていた。
60をすぎたら。人に迷惑をかけるだろうから、高いところから飛び降りるイメージをずーと持っていた。
自分の母親の若年性アルツハイマーの姿がよほどきつかったのだろう。
だが、40をすぎると、60歳にも70歳にもひょっとしたら75歳までにも
生きていけそうだし、生きていなければならない、と思うようになった。

つまり、40年間生きてその倍は生きると決意したのだった。
もちろん、母も父も、30代に亡くしていた。
そのあと、娘の自死で、遺される事が痛みとなる生を生かされる事になり、
死は身近なものとなった。

そして、父の場合や母の場合の死は、私に付き合ってくれた、30数年間の記憶の中では理解できるはずもない。親はすでに、ずっと永く生きていた大人である事を知り、ある意味、その死は、他人事に思えた。私は母の37歳のときの子どもだ。
私にどうにかなる生でも死でもなかったからだ。

だが、娘の事になると、のえの親になったのは、のえの5歳からだが、沢山の記憶の中に
その様子や、状況が理解できる、人間の存在で、私はどう関わるべきだったのか考える。
自死という事実に向き合うだけではない。娘の生に向き合うことが、娘に、課題としてのこされる。

東日本大震災で、家族の中で、地域の中で、親戚の中で、学校の中で、生と死が極めてきわどく別れ、人々は、死を他人事にしなくなり、自己の内部に生きている記憶と共に「遺される」という生かされ方をしている。

それは、今、製作中のインスタレーションの沢山の登場人物として、楽しく、生き生きと、だが死者として、孤絶した姿になる。つくっていて、悲しいのだか楽しいのだか。

それが、9月15日から始まる、東京の個展の、2階の展示室の課題です。
もちろん、1階にも、食器やすぐ使えるものを展示するけどね。
http://blog.berotei.com/?day=20120723

もうすぐ展覧会のDMできます。ほしい方、連絡下さい。
プレッシャーのない仕事として、粘土と遊びまーす。

ヒデコ


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