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ブログしばらくお休み宣言とでもしとこうか¨¨「のえ」を巡る関西の旅のあとに

約2週間、ヒデコと別々に暮らしてました。1週間目の交替の瞬間、武生駅近くで一緒にご飯を食べたことはあったけれどね。これ、なかなか快適というか、今さらながらの我に返る貴重な時間ともなりました。

ヒデコは九月の東京での個展のため、プラスアルファーの首都圏への1週間。
私は、のえのCDブックをいよいよ書き上げるための、のえの友人、音楽仲間、世話になったプロデューサー、ライブバーなどを巡る、まさに「のえ」ツアーでした。

それぞれの1週間の違いが、二人のあいだにいささかのコミュニケーションギャップというか、意識の相違をもたらしているかのようです。

私は今年の一月の東京行きで、ますます東京の敷居が高くなった感じです。東京へと意識を集めている相方に対しては、若干聞きたくない私の感覚のようです。あのシティーには、あのシティーにしかない文化や意識が渦巻いているのかもしれません。そこでしか得られない刺激もあるに違いありません。

でも¨。
どうしても、それらが、生きている現実からかけ離れた『虚構』に見えてしまうのは、元トーキョー人だから許される表出として受けとめてもらえたらと思うばかりです。

もはや、書きまくってきた、あの番組については、今さら語るべくもありません。たった今、発達障害だった息子さんを自死で亡くされたある方とお話しました。あの番組では、発達障害のほりさげが全くなくて悔しかった、と言うと、即座に彼女は、「悔しいですよね」と打てば響くように返ってきました。

発達障害が基盤にある上での二次障害というのは、まだまだ知られてはいません。それが、いかに深刻で、いかに本人たちを追いつめているのかは、まだまだ未知の領域と言えます。

私が今、書き始めているのは、まさにそういった領域の診断へと入っていった、のえの日々です。ものすごくハードです。人々に認知されていない事柄を、しかも娘の生と死に向き合いながら「書く」という行為。

そんな折も折、私は関西へと、「うたうたい のえ」を巡るなまなましい旅を1週間、繰り広げました。

あの番組を知らない人。見たけれど、あんなのは要らないと、平然と言う人。
それでも、こちらは淡々と「取材」するという目的の中、話を進めていきます。帰宅後、ものすごいストレスと、爆発しそうな疑問符が私の中にあふれそうな事に気づきました。

あの番組で、「自死を語るタブー」や「自死」という事実だけで、その後の貴重な映像の展開すら見過ごした人々の存在を、これでもかこれでもか、と知り尽くしていくこの1年と半年の日々。それは私を少しはつよくしたかもしれません。そんな私だから、今、向き合えた、のえの友人の葛藤、のえの音楽仲間の暴言、のえを世話してくれたハコの主の感嘆、などなどがあった気もします。

ただ、これだけは言える事でした。
この人たちは、間違いなく、のえとじかにふれあい、共に唄う場を作ったり、朝まで飲んだくれて歩いたり、ともあれ、のえという人の作っていた世界に、どっぷりとリアルに触れた人々だという事です。

そういう意味では、番組で「のえルーム」をスルーした、他愛なくも「死」に無関心な人々とは全く質を異にする人々です。だからこそ、話を聞き続け、時には私の側も、本を書くことの意味を伝え、という作業が有機的につながりの質を高めてくれたようにも思います。

でもね。
あの番組のことで、あの映像は自分にはなんのゆかりも縁もない。そう語られるのは、あとあとかなり重症の苦痛を生み出しました。のえのことが大事であって、親の私たちの事なんて、知るモンカーってのは判る面もある。
でもね。
なんで野宿者を支援するような人々が、性的少数派の、のえの親には関心がないわけ。その事で、のえが人知れず悩みもした事に思いも及ばないわけー!!って叫びのような、溜め息のような思いが澱のようにたゆたっています。

あんたたちは、のえを苦しめただけでしょう!!って言われている気すらする。
本当は、みーんな、のえの苦しみに追いつかなかっただけだというのに¨ね。

それでもなんでも、私はこの苦しみのトンネルを抜け出て、「うたうたい のえ」の人生の底の底に眠る真実の扉をほんの少しでも開きたいと今も願っています。

そのためには¨。
そのためには¨。
ねえ。

しばらく、番組がらみのごたごたを起こしかねない催しや人間関係からは、バイバイしておきたいな、と昨夜、思い至りました。

現実に生きていた、のえと関わった8人の人々に、濃く、深く出会い、語りなおしたこの1週間。
この語り合いがここまで遅れてしまった事はある程度やむなかったと自分では胸に落としているつもりだし、番組に鍛えられここまでこれたっていう実感もいやおうなくあります。

ただ、生きた、のえの唄のすごさ、表現力のつきぬけかたを、芯から知る人々と出会いなおす事がここまで遅れた事は、経た時間の上で語りなおせるおもみをも感じながらも、なかなか複雑な思いも私にもたらします。

だから、シャットダウン。
番組がらみは、シャットダウン。

私は、のえのCDブックの並々ならぬ着地点を探して、これからはこの暑さの只中で奮闘するだけだ、と思い及んだ次第です。それには、なにものにもふりまわされる訳にはいかないのです。なにものにも、とらわれていてはならないのです。

人々の心の奥に眠る、「生と死」への眼差しと、できるものなら通常はそれを回避していたい、という、そんなバランスへのある種、心をしぼったチャレンジともなるからです。

精神医療の中での、ハッタツ障害とその二次障害への視点の遅れ。
そんなものにも、真正面から取り組みます。これは、きちんと了解もとっています。

一字一句が世に、人一人の心に、生きがたさを抱える弱さに、本当に迎えられるものとなるのか、そこのところが今、はたと問われていると、のえの生きた友人たち、音楽仲間たちの、いまだに揺れる心に触れて、ますます思いは募るのです。

いやはや、皆さん、ご勝手ですよね。
話している途中で、
「そんなんだったら、早く書いてくれたら、いくらでも真意が判ったのに¨」
と、二人ほどにつよく言われました。
「私ももっと早く書きたかったけどね、あなたと話さないことには¨」
「それにね。自死遺族の親御さんたちは、そんなふうにはけっして言わないよ。
「ケイコさん、ご自分のペースを大事にしてね。CDブックを待つ気持ちに変わりはないけれど、ケイコさんのペースでやればいいんだから」って言われるけどねえ」


あの番組で、多くの人は、「のえルーム」を親の気休め程度にしか見なかった。

この原稿書きもまた、多くの人は、親の気休め程度にしか思っていない。


「気休め」でできる程度の事ならとっくに仕上がっていますよ。
「気休め」に映る映像に、どれだけ説明を加えた事が、私をたくましく、また反面教師的に学ばせたことか。

最近、私のブログを、休日の「ちょっと充実した楽しみな考える時間」的にまとめて読んでくださっている方々が何人もいらっしゃる事を知りつつあります。

案外、書くと思いますよ。
我がガーデンの花模様。
我が暮らしの他愛ないうつろい。

まあ、休日にためて読むほどの事は、ぜーんぶ、原稿に集約する事にします。
それだけのお断り。

ブログのケイコ節とも、なんともはやの頁は、そんな訳で、のえのCDブックが書きあがるまで、ちょいとシャットダウンいたします。

変わりますよ。

そんな大きくて深い予感に包まれながら、一人一人が私の着地点を見定めてくれる、その事の重要性をかみしめながら、リアルなトモダチたちのさまよいや、揺れや、タワゴトや、葛藤や、自死へのいずれ変わらぬ、ばかばかしいタブーもなにもかも、越えて、私はやります。

そして、変えます。
そして、変わります。

ケイコ
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