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徹底検証 映像の外側で その1 「おとぎ話」が薄めた「のえルーム」の真髄    小説『沈黙の町で』連載を終えて、と共に

徹底検証 映像の外側で その1 
         「おとぎ話」が薄めた「のえルーム」の真髄
                  小説『沈黙の町で』連載を終えて、と共に   New!  重要!


ええ、まだ、あの映像、つまり番組のことでケイコさん、懲りずに書くって訳?
そうお思いの方、読まなくともいいです。
でも、私はこれを避けていては、今の私の最も大切な仕事、のえのCDブックのための、私の原稿書きの意味を深める事もできない、こう今朝、確信したのです。

もう一つ、お断りしておきますね。

あの一年前の『ゲイレズビアン特別編』、ああ、このタイトルを書いていても、違和感満々、「特別」という言い回しに、まっしょうがないか、と思ったのが思い出されはしても、それそのものが運の月。だけど、私たちにタイトルに物申す権限など、あったでしょうか。
たとえ、のえの事、「のえルーム」の事が、どんなふうに視聴者の胸におさまるのか、おさまらないのか、私が事前から、ただならぬ不安に見舞われていたとしても。

だけどね、お断りしておく事は、こんな事じゃあないんです。
こんなタイトルで、あの「ハートをつなごう」のシリーズの中の、特別は特別だけど、ホンの一こまの番組だってだけですよーって決められちゃったみたいではありますが、これを制作したイマムラディレクターさんが、どれだけ孤軍奮闘したかは、まあ、彼の制作というお仕事の中では、ありえない程の事をしてくれたのだけは確かです。その事だけは、彼との信頼関係の中で、お断りしておかなきゃならない事なのです。

だって、もしかしたら、あの番組はなかったかもしれないからです。
異動地獄のNHKの現実。その上、世間一般に受け入れがたいテーマとなると、早々にやめてくれー、というのが、上層部の本音だったかもしれません。
その上、私の薬害。制作側も、被取材者側も窮地に立った2年前でした。

あの番組が、東日本大震災の直前の昨年2月末に、とにもかくにも番組という形になって、日本放送協会の電波に乗って、全国放送された事じたいが、中身が結構良かろうと、どこかに、ただならぬ問題を潜ませていようと、それはそれで、おおいなる「奇跡」であった事は変わりありません。

肝に銘じてくださいよー。驚きとショックと感動の渦を巻き起こした番組だなんて、とおにお忘れのLGBTの皆さん。ディレクターが強いられた孤軍奮闘の末に、彼がしょいこんだ事の大きさをつい最近まで知らずにいた、彼を側面から支えなければならなかったはずの制作側の方々も。そして、「勝手に」感動したという意味においては、LGBTの人たちとは、ある意味同じでも、「何もあなたたちは私たちと変わりはないわ!自信を持って!」
なんて、「罪深き」エールを投げた異性愛者当然社会のマジョリティの方々も。

最近、大飯原発ゲート前のあの日のタタカイを描いた、放送作家の卵の女性制作の、17分の奇跡の映像を観ました。ヒデコのその日のブログにアドレスも貼り付けてあるからね。この映像を観て、「現代のおとぎ話だ」と誰かがツィートだかなんだかしているのに触れたのです。
ちょうど、私たちは、自分たちの番組を、遠い遠い出来事のようにふりかえりながら、
「結局あれは視聴者にとって『おとぎ話』だったんだよねー!!」
って、二人して妙に納得して話していた頃の事で、この「おとぎ話」という表現の符合の一致に、「これはなかなか面白い現象だ」とほくそえんだものでした。

つまり。
今の日本で失われてしまった、ほとんど見られなくなってしまった、ぎりぎり当事者の尊厳を覚悟と輝き共に、描かれた映像は、まぶしくて美しくて、結局は「おとぎ話」なのだという事。おとぎ話ならおとぎ話ならで、その所以が解き明かされなくてはなりません。
大飯原発ゲート前の当事者とは、すなわち原発に脅威を感じている他ならぬなんでもない市民たち。私たちの番組については、わざわざ説明はしないけれど。

そんな「おとぎ話」に突然、お姫様の『悲劇』がさりげなく描かれてしまった。女王様二人は、まあ、このベロ亭ファミリーは、女王様が二人だから、歌姫だったお姫様のために、『思い出』を語り合う場所を作りましたとサー、というのが、まあ、いちばん好意的な解釈だったんでしょうね。

でも、多くの人々は、死をはらむ悲劇は回避したいから、沈黙するしかなかったんでしょうねえ。まして、「自ら」という要素は、タブーに満ちていますから。
観たいおとぎ話の一部だけを見る。見たい希望だけを見る。そんな現象。
ならば、ならば、『のえルーム』にどんな希望もなかったのかと私は問いたい。
問いたーいーよー!!!! 問いたいのでーす!!

話を少し戻しますね。今日から『徹底検証』なんて名づけて始めちゃたこのシリーズ。ホンとは「映像の向こう側」としようとして、思わせぶりで想像力を巡らせられるシリーズのタイトルだけれど、これは違う、ずばり「映像の外側で」としました。
だから、映像の外側で起きたこと、起きていたのに描かれなかった事で起きた弊害。
映像を観た人々の素晴らしい反応も、出演者をずたずたにした反応も、そしてまた、制作側の事情も、それなり書かせていただく事に心を決めました。

なんと言っても、私は今、ある大切なお三方に、問題提議をさせていただいています。
それは、「自死を巡って」「自死のタブーないしは、自死を語り、また表現するタブーを巡って」けっして避けて通れない課題に、この一年半に、心と魂まるごとぶつかり砕け、体調も崩し、それでもひるまずここまで「生き延びてこられた」私たちがいたから、私がいたから、言わずにはすまない事柄なのです。
やむなく、「自死遺族」代表のような側面を持つ事も辞さない覚悟での提言です。

あの「ハートをつなごう」のシリーズで、中途半端に、「秀逸なルポルタージュのような映像」として描かれたとて、某レギュラー作家に、嫌いではなかったソニンちゃんに、まあ、桜井アナウンサーはお仕事柄そつはなかっけれど、なんで、「認めてあげなきゃー」とか、
言われなければならなかったのでしょう!! そう、この私たちが!

スタジオでの試写の時。
某レギュラー作家先生は、開口一番言ったものでした。
「今日の録画はすぐ終わるって聞いてるし、次の予定入れてありますし。」
そうかそうか、ちょいと集中して観て、ちょちょいと感想なり印象なりご意見なり言ったら、出演完了のお仕事なのねー!
スタジオで会ったソニンちゃんは、思いのほか繊細に映って、「正直者」の私は言ったものでした。ふふふ。
「なんか、ソニンさん、画面で観ていたときより、とっても繊細でいいなあ!」と。
その後の何も聞かなければよかった。
「ありがとうございます!」一タレントさんの卒ないお返事。コミュニケーションなんかじゃないわい。観た後の印象をしぼりだすように言う彼女は嫌いではなかったけどね。

でもね。
あれは、やっぱり、映像も番組の構成も「出してやっている」スタイルだった。
私たちという還暦前後のレズビアンカップルを、その歴史も、
その奮闘も、その尊厳も、とりあえず棚に上げて、
「NHKの番組に出してやっている」というスタイルで起きた不快な出来事だった。
今だから、そう思えるのだけれど。

今年、予想外の展開で、番組の冒頭とエンディングがリメイクされた時、
「やっと、隅から隅まで、あなたたちが主人公の、NHK側が『作らせていただいている』という内容に至ったよねえ。」
と言ったのは、関西在住のある友人。長い長い私たちのタタカイの歴史を、折に触れて見て、応援して、できる限りの事をしてくれてきた人。もちろん、本来の意味でのフェミニスト。
「あなたたちの長い歴史の中の、あの番組なんて一点に過ぎないものねえ。それを制作側が判っているかってところだよねえ。」

私たちの暮らしが、私たち二人の他愛なくも、愉快で、「ゆたかな」会話が、「おとぎ話」なのは事実。だから、そこをふくらませた、イマムラ作品は、嘘を描いている訳ではない。ただね、「おとぎ話」を続けられるその深層、その真相、謎だよネエ。

最近、こんな言葉に出会った。
「マイノリティとして輝いているって事は、その人自身がどれだけタタカッテ来たかって証しだよね。だって、マイノリティというのは、マジョリティに消されかねない存在なんだから、存在感丸ごと溢れて生き生きとしている事じたいが、タタカイの証し。」とか何とか。そうよ。タタカッテ来た者同士なら判るのかもしれない。
でも、余りにも表層的なタタカイしか知らない、若い世代、ないしはLGBTの多くは、そこもスルーしたねえ。

だから、いきなり、「おとぎ話」が「悲劇」と転じたとき、心も体もブロックなさった。そうでしょう!!あるいは、沈黙を守った。沈黙の中身には、良いも悪いもあったろう。ただ、余りに『意地の悪い』リアクションもあり、私たちはとことんまいってしまったりもした。「意地悪」が死語になりつつあった私は思い出したんだ。こんな言葉あったよねって。


さて、今日は、朝日新聞の連載小説を終えた、作家の奥田英朗氏が、朝日新聞に今の心境を書かれている。「現実が小説をこえてしまった」と、大波乱を呼んでいる「大津のイジメ自死事件」についても言及されている。
私は朝日をとっているけれど、氏の連載小説『沈黙の町で』は読んでいない。ただ、加害者と被害者の間で起きる事。人が一人死んでしまうという事の重さに、我々はどう立ち会うべきかを、つぶさに検証、考察、その周囲を巡りに巡って、着地点などない現実を描いていると、彼のこの一文から知れた。

遺族の側の、周囲との温度差。また、加害者側の周囲とのあつれき。
ああ、まさに、現在の大津の皇子ケ丘中学をまざまざと重ねられる内容だ。

私はこの一年半、まさにこの絶対的な温度差にさらされてきたと思う。
そして、その温度差にわずかでも触れた人のほとんどが遠ざかっていったのだと思う。
番組では、むしろ、その温度差をあらかじめ、丁寧にほりおこす作業はなされてはいない。
言い換えれば、私の、ヒデコの悲嘆の深さをほとんど見せてはいない。

その代わりと言っていいかは判らないけれど、私が「のえの自死の事実も含めてのりこえようとして、吐露した大切な言葉、『のえルーム』でのわずかながらも、重要なひととき」は、イマムラさんの言葉におもきを置く編集作業で、見事にピックアップされている。
そして、私もヒデコも、
「なにもかも乗り越えて、勇敢に進む女王様お二人」に映るという現象が頻発してしまったようなのである。

「自死」で遺された家族、恋人、友人、が味わう悲嘆の類、後悔の念、罪悪感などなどは、尋常なレベルのものではけっしてない。自身がどうして生きながらえているのか、根底から問われるような、すなわち、自身の生すら脅かす類の、亀裂であり、葛藤であり、低迷であり、叫びであるのだ。
後悔や罪悪感の類は、私は着る必要のない着物のように余り身におおった事はないほうだと思う。確かにそうと思う。
だが、悲嘆の類は、けっして薄まることもなければ、減ることもない。そんな事は、のえが亡くなったその日に、すでに私は思い知った。この悲しみと共に、私は一生、生きていくのだろうな、と。
それでも、どんなふうに悲嘆の落ち着く場所を探し、悲嘆の上にすっくと立つ立ち方を探すという事は、この上なく重要な課題として、今も、これからも、常に向き合っていくのだろう。

一年間の「のえルーム」の営みのあいだ、悲嘆を交し合う時期と、リピーターが増えていって、穏やかに語り合う時期とが微妙に移ろっていったのは、もう一つの事実だ。イマムラさんがカメラを持たずに参加したのも、カメラを回し始めたのも、後者の時期だったのは、言うまでもない。最初の頃は、来た人と私たちと、それぞれよく泣いたりもしたよね。
まあ、もともと穏やかで静謐な場所だったのは確かだけれどね。

それから、最初に「のえルーム」を開いた日。ブンさんとアベさんという、それぞれ仏教とキリスト教に帰依している方二人が訪れた。うれしかったし、ありがたかったけれど、こういう人たちでなければ、「のえルーム」は敷居が高いのかな、と若干心配が募った。
それは、杞憂で、次の日から、いろんな人が来たのは来たけれどね。

その最初の日、ブンさんは住職であるお父さんに、
「親しかったミュージシャンの娘さんの親御さんの自死遺族をケアしに行く」と説得したようだ。ところが、帰るとき、彼は言ったものだった。
「ケアするって言って来た私が、反対にケアされてしまいましたねえ」。

「のえルーム」の後半に通い出したあるミュージシャンの男性。事実誤認というよりも、私たちからの新たな、のえ情報が伝わった事で、随分楽になられた様子でした。
「後悔ばかりだった気持ちが、ポジティブな宿題に変わりました」
と言い残された事が思い出されます。

そんな折、ネックだったのは、ハッタツミニレクチャーでした。
後悔の念と、ハッタツ知識不足は、大概セットでしたからね。
発達障害とか、自閉症ほど、巷に最近はこれほど取り沙汰されながらも、
いまだに適切な理解を得られていない特性ないし障害はありません。

私は「ハッタツの使徒」ともなった訳です。
そして、「自ら」の要素をもった娘の死に、思い悩む友人、音楽仲間、
そして、ファンたちへの「語り部」ともなりました。

確かに、「のえルーム」作りの最初の思いには、
「のえの事をもっと知りたい」という切なる私の願いはありました。
でも、私だけがなぜ、のえの事を知らないなんて事がありえましょうか。
そして、親だから、「のえルーム」ができるなんて、
そんな「幻想」や「妄想」に誰が浸っているのでしょうか。

何人かのリピーターは、
「お二人が『のえルーム』をしているのは、親だからではない。
親だからなんて気持ちでできる事ではない。
親というところを越えなければできない事なんだ。」
という事実に直面し、ご自分の親子観も含めて問われた様子でした。


たった、59分の映像で、私たちのパートナーシップも描き、
『のえルーム』も掘り下げるなんて、できる訳がなかったのです。
せめて、89分の映像なら、描けたのでしょうか。

それには、私たちが連綿と続けてきた、
Lカミングアウトに至る以前の、様々なタタカイの歴史を抜きにして、
描ける訳がありゃしませんよ、という大きな時間の流れがあります。

私は番組後、そう去年の春の時点で、
この福井県で私たちがタタカイ始めた最初の一歩とも言うべき、
ある証しのような1983年に綴った文字列が並ぶ冊子を制作者に渡しました。
頭脳明晰な彼は、その意味は何とか判るようですが、おそらく、マイノリティとしてのタタカイのおもみや、それが娘をあのような形で亡くしてすら『のえルーム』を作る原動力になるほどの力をつちかった最初の一歩だとは、とても理解できない、と最近になって正直に返答してきました。

たった今、誰の目にも見えるのは、脱原発のタタカイです。
誰の目にも、と言っても、見ない人は見ないのでしょうが。

そして、様々な現場で、様々なマイノリティ性、弱者性、不当性を背負わされて、様々な人々がタタカッテきた歴史をやみくもに、みだらに、やたらと、封じ込んできてしまったのも、残念ながら、この日本の、この福井の、この私たちの住む市の、偽らざる真実としか言いようがありません。

私たちは、女たちが生き生きと生きるための様々な活動に、のんだり食べたりも忘れて専念していた事も数知れません。
また、一口にキャラバンと言っても、『ベロ亭やきもの&詩&(絵)キャラバン』の歴史を線として、面として知るのは、私たち二人のみ。さらに言えば、数年の暮らしとキャラバンを共にしたカゲちゃんの三人のみ、という恐るべき事実。

私たちは、パワーをつける事が最優先のフェミニストたちからも、子どもを持つことに嫌悪を持つレズビアンたちからも、遠ざけられ、仲間とみなされず、それを私たち自らが、それならそれーと良しとする長い時代を、「辺境の地」福井で生き延びてきました。

そこに、何も知らず、何も先入観を持たず、ただただ、30年以上のパートナーシップを生きたLカップルがいる、という特種??ねらいで、2008年夏、イマムラディレクターは現れたのでした。

東京から通う新幹線代も、当座は気遣う必要もなく、取材は多大な時間と労力とコミュニケーションのあげく、じわじわと、そして、急激に進んでいきました。

ただ、彼が、私たちを無意識のうちに一つの家族の型に押し込めようとしたとき、私たちにとって、あってはならない事が起きたようにも思います。
なぜなら、ある時点から、いいえ、ベロ亭の始まり当初から、私たちとのつながりは、単に「かつての子ども」たちよりも友人であつたり、仲間であつたりもしたからです。

その広がりの中にこそ、タタカイがあった。それは対社会的なものに限らず、自己の尊厳をけっして失わずにいられる二人の関係性が、様々な葛藤すらこえてあった事、一人一人が自己の内面の声に正直でしかいられなかった事、なども含めてあるのは、言うまでもありません。

この辺りについては、そんなに書かないでいようと思っていました。
なぜなら、現在書いている本の、ある意味、一番の基調低音になるような、そんな事柄でもあるからです。

でも、書きました。
心ある視聴者だった?人々に、魂かけて制作に臨んだはずの?取材側に、そして、全身全霊をかけて、この4年余り、のえの死の事実も含めて、なにも敢えて避けようとはしなかった私たち二人の、また、私たちの「かつての子どもたち」の、「のえルーム」に集って、カメラの前で顔を隠す事もなかった、きせずして「偉大な」営みに加わっていた人たちの、全ての尊厳を胸に、今、私は、2月のある時点から書き進められずにいる、のえの原稿を前に、このブログの、この日の、この表現と、この意思表示を書かずにはいられませんでした。


徹底検証のシリーズは、おそらく続けていく事と思います。

どこまでこだわる訳―??

ええ、「自死」や「自死を語るタブー」が溶解し、薄まり、
一億をこえる日本人全てが、
自死で遺されたマジョリティである、という意識が広がっていくまで。

今はそう答えたい、そんな私がいます。

揺れる大津市の中学校の事件の波紋が届く新聞の紙面が、
また、最近、久々にネット上で交信してきたある物書きの友人のこんな一言も、
そういった私の意志を、よりいっそう方向づけています。

「私たちは、かけがえのないものを、
どれだけ失ってきたか、はかりしれないよねー」
彼女は、彷徨える中学生?たちの、ホームレス襲撃事件も取材している人です。

かつては、遠ざかった知人の意識が、
こんなふうな悲惨と残酷の点のような集積の末に交わっていく不思議。

とりあえず、いわゆる「自死遺族」はマイノリティかもしれない。
ただし、限りなく増えていくマイノリティは、物言わぬマジョリティになる。
そして、意識的に物事を見つめるのなら、
それはもはや、マイノリティ、ないしは一部の弱者の問題なんかではない。

これ以上は、もったいないので、今日のところはここいらで。
私もそろそろ、物書きとして、どこまでブログで書くべきかをわきまえる時期に入りつつあるのかもしれません。


結びとして、奥田英朗氏の朝日新聞紙上の
『「少年の死」結果への思いを・裁くつもりも、結論もない』より。

「初めての新聞連載は、わたしに貴重な経験をもたらしてくれた。まず痛感したのは、今回の読者は、わたしの読者ではなく、朝日新聞の読者であるということだった。ゆえに甘えは許されず、初心に還らざるを得なかった。そして、これだけ多くの読者を相手にしたのも初めてで、マジョリティの力にたじろぐこともままあった。『わかる人だけにわかればいい』という態度は、表現者として失格なのだと、あらためて思い知った次第である。」

これをこのまま、NHKの制作陣に返したい。
そして、私がこれから、やっと実際に書き上げるしかない、娘ののえのCDブックの原稿への姿勢としても、肝に銘じたいと思う。

氏は文中でこんなふうにも記す。
「人が一人死ぬということは、かくも大変な出来事なのであり、それは少し想像すればわかることである。しかし、その『少しの想像』をする人はあまりいない。」



2012年7月16日午後3時 
東京での脱原発イベントから遠く離れたベロ亭にて

            ケイコ
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| 自死を語るタブーを考える | 14:42 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

歴史に埋もれることがなきよう、 という課題の多さに時々溜め息が出ます。
ともかく、のえの原稿と思いつつ、これが一番のハードルで前になかなか進めないのがつらいところです。
でも、これは、のえが『甘えは許されず』に書く、私の第一歩を作ってくれたのだと思っています。

キャラバンのこと、ベロ亭の歴史、いえいえ、それを遡る、ヒデコちゃんの高校時代からの事、私のそれもそう。こんな書き方知ってる人しか判んないけどさー。

それに、とうとう蓋が開いたペルーでの活動も、私にしか見えなかった事を書き残さなくちゃならないんだな、と強制送還された一家のセニョーラと話した事で、つよく自覚しました。

そして、きっと私はまた、のえのところに、ゆっくりと戻ってくる気がします。生きていればだけれど。

生きていれば、書きつづける。タタカイつづける。
まあ、年が年だから、精神的には妙に落ち着いても、やれる事は限りがあったり。

ケロタンが、言葉を磨いたら、どうなんだろう。私もやりますよ。やってますよ。
交わる言葉、交わる歴史の顕在化を、ねがい、祈り、今ここに生きています。

| ケイコ | 2012/07/17 21:21 | URL |

読ませてもらいました。私は私で、この20余年を再再度振り返っているところです。私にとっても確かに刻んだタタカイの年月がただ歴史に埋もれることがなきよう、文筆を磨く覚悟であります。続報をきながに待ちます。

| けろたん | 2012/07/16 22:36 | URL |















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