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みずうみの唄からソルヴェーグ、そしてピアノを20年ぶりに開いて

そもそも、あれは水曜日のこと。
陶芸祭から二日目に、スペースおいちで裸婦デッサン会があるというので、
ヒデコがいそいそと出かけてしまって、
行きつけの医院と、最近ではごくたまにしか行かない特上格安回転寿司へと、
ハイエースを一人で運転して出かけて、
そのついでに近くのショッピングセンターで片一方ばかりの靴下を買おうかなと、
のぞいてみたり、あらら、庭用の緑色の椅子が安くてあるじゃんなどと、
ふらふらしているうちに、場内を流れる耳について離れないピアノの琴線に触れる音色に、
完全に途中からやれられていたらしい。
それにしても、随分といい曲ばかり流していたものだったなあ。

しくしく、ちくちく、ひりひり、せつせつとこころと魂がきしみだして、
ショッピングセンターを離れてからは、
最近はいつも不意をつかれるように、
私の耳にやってくる、あの、のえのアカペラの音源で聴いた、
「みずうみの唄」のリフレインが止まらなくなっていた。
うんうん、そうかそうか…。

会いたいのはあなたでなく、
そばかす気にしていた日のわたし♪

少年は鳥になれずに大人になった♪

この何十回目かの現象に、さすがに帰宅してから、私はパソコンに向かって、
本格的に「みずうみの唄」について検索を始めた。
のえの説明では「ロシア民謡」と言っていたような気がするけれど…。

出ていない。湖はバイカル湖でロシアの民謡はあるみたいだけれど、
それは特に関係なさそうだ。
そうだ、歌詞で検索してみようっと。

少年は鳥になれずに大人になった♪
ですぐに検索する。出てきた、出てきた。
うむ、やっぱりこれは、のえの大好きだった「みんなのうた」が出典だ。
ただし、もともとの曲はグリーグの組曲ペールギュントの第二組曲の最後の曲、
「ソルヴェーグの唄」から来ているらしい。
それを一部編曲して、日本語の歌詞を創作して、
できたのが、あたかもロシア民謡かなにかのような「みずうみ」の唄。

この日本語の歌詞もめちゃくちゃ切なく、悲しく、
そして、人生の真実を突いていてニクイのだけれど、
ソルヴェーグはソルヴェーグで、
これがなかなか究めつけの愛の唄なんだな。

ペールギュントはどうにもしょうもない男だったらしい。
そんなことは、「待つ女」ソルヴェーグには、さして問題ではないようだ。
待つことそのものよりも、その事そのものの壮絶さ、
その孤独のきわみのほうが、唄い込まれている、
数々の名唱を、ユーチューブのほうで聴くことになってしまった。

いちばん良かったのは、マリータ・ソルベルグという、
作曲家グリーグの国ノルウェーの歌い手だった。
野外の会場に彼女が薄水色のドレスに身をまとって出てくるところから、
なんだか荘厳な雰囲気で、オーケストラも堂に入っていて、
一音一音が、年配の指揮者の入念な指示のもと、
選び抜かれた響きで始まっていく。

歌いだすや、世界は変わる。
引き裂かれたこころの叫びが貫くように届いてくる。
歌うために生まれてきたとしか言いようがない堂々とした胸と肩、
そして唇と口の動き、息のありよう。
原曲の歌詞は判らないけれど、みるみるうちに、
私は彼女の繰り広げる世界に引き込まれてしまう。

途中の間奏というか、間に入る節回しのところが、
みずうみとは違って、アリア中のアリアのように、
本テーマの狂ったような切ない胸のうちを抑えた旋律で奏でるのとは別に、
美しすぎるほどに昇華された愛と夢の世界の花が、ひととき自在に開いていく。

http://www.youtube.com/watch?v=XTPoEx7UZOI&feature=related




ところで、『みずうみ』のほうは、と言えば……。

♪♪  会いたいのは、あなたでなく、
        そばかす気にしてた日のわたし   ♪♪

だもんなあ。

これは随分と印象が違うんだよなあ。
随分と。

でも、考えてみれば、
実はそんなに違わない気もするのが不思議なのだけれど。

そんなふうに、、何人もの歌い手さんのユーチューブを聞きこんだ。
アカペラのは、遠くの海風のようなうなりが入っていたり、
フルートのそんなにうまくないのもあったし、
それでも、何人もの歌い手さんのがなかなか良かったなあ。

なかには、1927年に吹き込まれたというあるクラシックな顔立ちの、
歌い手さんのもあって、シューシューとレコードの針がすれる音も、
なんだか懐かしいような、そして折り目正しいストイックな歌い方が、
この曲の本当の時代により近づいたようなそんな印象も与える。

別のにはロック調のもあったな。すぐに聴くのはやめたけれど。
日本語のかなり独自な訳になったのもあったな。
英語の訳詞が出て、なるほどなとも思ったっけな。
ピアノとの組み合わせがすっきり聞かせていいのもあったけな。
こちらは、バーバラ・ボニーと、ピアノがアントニオ・パパーノという弾き手。

http://www.youtube.com/watch?v=l1nXoZQh71k&feature=related

もう、私は一人で、その晩はヒデコが帰るまで、ソルヴェーグづけで、
否、ヒデコが帰ってからも、これがいい、あれがいいと、
あれこれ聴かせて、もうありったけのソルヴェーグだらけとなった次第です。
一つ、二度と聴けなかったのがある。
例の古い1927年のよりもっと古いだろう、
レコード盤のきしむ音、針のぶつぶつ言う音も大きくきこえるのに、
その歌声も妙にしみた古き良き時代のある歌い手さんの声。
何度ももう一度、ヒデコと聴きたいとさがしたけれど、
とおとお見つからなかった。

ついに深夜、
ヒデコに唄の伴奏用の楽譜をダウンロードしてもらって印刷。
周囲に物が置かれて雑然としているピアノのフタをやっとの事で開いて、
とおとおピアノを弾き始めてしまっていた。
どうしても、「みずうみ」のほうを弾いてみたかったのだ。

ちなみに、「みずうみ」のほうはNHKの著作権があるから、
ユーチューブでは聴けなかったけれど、楽譜は印刷できた。

ろくに周囲が片付いていないから、妙な姿勢でピアノに向かって、
指もよく動かないし、なんだか中途半端に終わった夜。

そして、おとといの夜、よりによって昼間にすればいいのに、
夜になると急にこれを聴いたり弾いたりしたくなる巡りで…。
そして、その夜は、とうとうピアノの周りを全部一応片付けて、
ピアノを弾ける姿勢だけは確保して、弾き始めた。
弾ける。弾けるじゃないか。別にそんなに難しくはないなあ。

それにしても、このピアノ。
20年余り、使わず、触れず、あけずで来たから、
沈んだ鍵盤、弾くと戻らない鍵盤もある。音のしない鍵盤もひとつ。
やばいな。修理かな。調律以前の問題かもしれないな。

今日は、昨日のミーティングで聞いて、
調律できる人の弟さんを訪ねて行き、お兄さんから電話をもらい、
一応こういった場合どんなふうに修理の可能性があるのかないのか、訊く事とあいなった。
ついでに、セカンドオピニオンをと、市内の調律師にも電話で訊いてみた。

どこがひびが入っていたり、壊れていたら致命的かとか、
うちのはカワイだけれど、カワイの特徴を調べてみたり…。
はっきりとしたのは、型番と製造番号で、1961年製造のものと判った事。

ぺタルは二つ、すべて木製だから、プラスチックが入っているよりは柔軟なこと。
でも、古いのは古いから、本当に使いものになるかは、
明日の11時に来てもらって見積もりを出してもらってから判る。

ああ、このピアノは製造されてから私よりたった10年も違わず、
かれこれ50年を生きてきたピアノだったのか。
そもそも、1976年にこの市内に住み始めて、
やむにやまれずこのピアノを中古で購入した時には、
決意の大出費だったけれど、好きだったなあ。
このピアノの音の響き。
私はなんだかヤマハよりカワイが性に合っているのかもしれない。
飾らない、素直で自然な音が好きなのかもしれない。

のえが、二度と触らないと思っていたピアノに、私を触らせてくれた。
のえの唄が、
♪ 誰にもただ一度だけの夏があると…それは恋と判らないで恋した夏…♪
と止まらないリフレインを、頭の隅から心のはしばしまで繰り返して、
とうとう、私にピアノのフタを開かせてしまった。

それは、一体何をひらいたのだろうか。
二度と、開くことになるなんて思ってもいなかったのに。
数年前には、売り払おうとして二束三文にしかならないと判って、
廃棄するのをあきらめていただけなのに…。

でもね。のえは言っていたんだ。
「うちがね、広い部屋に住んだらね。ピアノ、使わせてもらうから、
捨てたりしないでよね。ちゃんとにとっておいてよね…」
そう言う、のえの顔は少し恥ずかしそうで、
そんな事、いつ実現できるか判らないのに言っているような、
そんな顔だったとヒデコが、今晩の夕食の時に話してくれた。

突然、涙が溢れた。
「うん、のえ、大きい部屋だ。きっと第二次「のえルーム」大きな部屋だ…」。
私は、脈略もなくふとそう思いながら、溢れる涙に任せていた。

聴きたかったなあ。
41歳ののえの唄。
でも、いいんだ。
こんなにも沢山の貴重な音源を遺してくれた、のえなんだから…。

昨日、5日の反省会のために、福井市から二時間も車で迷ってきた南さんは、
のえの「みずうみ」を聴いて、一瞬、息を呑んだかのようにして、
おもむろに、テープの劣化を防がなければならない事を示唆してくれたものだった。

そうだよね。
私が気に入って、このテープばかり聴いていたら、
皆が聴くときに、良い音ではなくなっていたらまずいよね。
まずは、エンドレステープにでも録音しなおすことかな。
いやいや、わざわざエンドレステープなんかにするまでもないかー。

それから、きっと、面白い事を考えるさ。
のえの「みずうみ」。
私の詩。ピアノも弾いてもいい。
そして、誰かの笛の音とか、土笛や太鼓や…。

そして、そこには、これから書き上げる、
のえへの最後の私のことばもまた、私の声で放たれなくてはならないだろう。

のえ。
またまた、ケイコちゃんはソルヴェーグで寄り道だよ。
でも、これは貴重な寄り道だった。
歌心というもの、音楽というもの、
それを私にとことん思い出させてくれたもの…。

何度も何度も、歌いこむうちに、私もまた少しは、
この唄をちゃんとに唄えるようになったみたいだ。
おまけに今日は、大昔やった二台のピアノのためのコンチェルトだの、
まあ、おなじみのソナタだの、
やっているうちに指がどんどん動き始める事に、自分でも驚いていた。

そうだったな。1986年に1週間でワープロのブラインドタッチを覚えたのは、
こんなふうに、楽譜だけ見て、鍵盤をほとんど見ないで、
弾いていたピアノの経験も反映していたんだな…と。

恥ずかしながらだけれど、私は少し弾いてみようと素直に思えている。
あんなに、二度と弾かないと決め込んでいたピアノなのに、
のえと共にいるために、弾こうと思えている自分に驚いている。

そして、それがけっして、のえのためだけではなく、
自分の今を良い意味で自由にしてくれるような、
楽にしてくれるような、そんな兆しに、静かに驚いてもいる。




♪  みずうみのほとりに立てば、水がつぶやく
   今はもう、少女のころの君はいないと  ♪♪

♪  会いたいのは、あなたでなく、
   そばかす、気にしてた日のわたし ♪♪




それにしても、この唄、不思議に聴こえませんか。
少年が誰で、少女が誰かが本当は判らないような…。
自分の中にいる少女と少年に、話しかけているような感覚すらする、
不思議な余韻がありませんか。
あの「ともだちの唄」の絶唱と、孤独感の極致が、
そこにはあるような気がしませんか。
そんなふうに思うのは、私だけですか。


会いたいのは、あなたでなく…♪♪

そう、会いたいのは、あなたなんかではないのです。
私も、あなたも、のえも、君も、
会いたいのは、私、私自身なのだと、
切なくも、悲しくも、取り戻せない時間を思う深淵が、
私の中でリフレインするのです。

のえと共に…。

のえを呼びながら。

のえを求めながら。

のえをさがしながら。


ケイコ
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| のえと共に | 01:39 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

なんか、自分が、子供がいたらと考えてみた。

そいつは、僕のことをなんてよぶだろう。

そいつを抱き上げたとき、どんなにか重いだろう。

例えどんなに変わったことをしていても、どこかで分かっているだろうう。

どこか体に染み付いている記憶のようなもの、もう何度も感じてきたような懐かしい記憶。

そいつと、そいつと僕に、いつか会えるのかしら。

そこんとこは、努力しだい…かぁ。

| ごう | 2012/06/03 06:59 | URL |















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