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11月13日のある全国的な催しに向けたフクイの集まりでの、やりきれない、実に信じがたい体験をいま。【超長文ご容赦・重要な報告でーす】

【超長文ご容赦・重要な報告でーす】
去る1月15日こそ、海外からの移住者を支援するある全国的な団体の、この夏のフクイでの催しに向け、ややこしいことになってる報告をしてしまわねば、と考えていた。
だって悩み抜いて電話した関西の、アジアの女性たちの支援をしてきた女友達は言ったのだった。「その11月の第1回目の実行委員会で何が起きたかは、皆で全国の皆で共有すべきことだもの、ちゃんと書けばいい」と。
あるいは、別のずっとその団体に関わってきたアジアの国に通いづめの女友達も書いてきた。「夏に会えるの楽しみにしてるわよー」。
おっとー、その前に、このフクイってとこのベロ亭にとっての困り感めちゃ高―い実態をたんと知っていただかなきゃねえ。
ということで11月13日まで遡ります。それから、一つ前に投稿を3カ月寝かして挙げた、その前日12日に胸痛めながらつらくドキドキしながら書いた文面も目を通してね。
えいっ、知るカー。何も悪いことなんかしていないのに、ここまで私をベロ亭を、平気のヘイザで無視するフクイってなんなんだー。これ書いて、ともかく肩の荷おろそっと。

さて、1月半ばから遡るは、ほぼ2カ月前のこと、私はその実行委員会とやらに出向きました。ひとりでね。その決心と覚悟たるや、そう、あの電通でパワハラや過労で自殺した高橋まつりさんのことやら、毎日ひどい男たちに囲まれてフルタイムで働いている東京の女友達のことを思って、このくらいのこと、私だって持ちこたえなきゃー、って悲壮な思いをかみしめかみしめ、冷静に穏やかにって祈りながら、運転していったのです。はい。
あった、あった、フクイの生協マーケットの会議室ってこんなとこにあったんだ。入りまーす、とは言わなかったけど、それなり態勢を一瞬にして整える。ああっ。
あら、どうも私が誰だかは誰もわかんないみたいで良かったあ。あっ、あの若い人、前日に聞いていたHくんかなあ。「あのう、Hくんですかあ。はじめまして」と言いながら、きわめて自然に互いにハグ。たしか神戸出身って聞いていたし、あの界隈は外国人多いから自然だなあ。あとからそうかそうか、このグループ「ハグ」だったって納得したけど、「剥ぐ」じゃあないのよね。その前だか後に、この日の告知をしてくれた、ある喫茶店でまえーに会った女性ともハグ。「よく来てくれました」だってえ、私はここに来なきゃあならないことをしてきたからなんだけどね、とは言わなかったけれど。
それからもう少し若い女性もいて、おのずと受付っぽい用紙に名前と住所を書くことになって、その瞬間、それは来ました。ぐああーん、胸痛です。心臓がぎゅっと締めつけられて、どわあんと胸が凝縮してちぢみあがっていく、やばーい、死ぬかな。こんなとこで死ぬわけにいかん、持ちこたえろー、ええい、あれあれ、やばいやばい。
「大丈夫ですかー」という声が耳元。ええい、見たら判るだろ。
それでも約一分半くらいに渡った心臓収縮は、深呼吸したかしなかったか忘れたけど、不思議とおさまる。胸をおさえながら、教訓その1、こんな実行委員会で死ねるかー。
ありゃあ、ミスター困った氏、あんなに歳くったんだ。あの隣りの人は団体中央の人??
全国レベル??というのがありとして、いやあ、どうなんだろ。あっ、あんなに私たちのこと、80年代から困らせる噂ばらまいた困った氏、私のこと判らないのはよーしだ。
会議の段取りのできかけた椅子と机の一角から、台所のある広い空間に移って深呼吸、こういうときは距離が大事。遠くから、はてさてどうなるのかなってなものでー。
最初は、困った氏が団体中央からの堂々氏を紹介して、パワーポイントでこの団体の歴史とか、まあ、困った氏が持ち込んだフクイフォーラムですから、困った氏が実は中国人なんかの実習生というか研修生に実力行使して、どれほどお役にたちはったかの実写の静止画なんかも含めた「啓蒙教育」です。はいはい、知ってますよ。組合関連とか、労使の交渉とかはお手並み拝見ってくらいお強いオン方なのは、雇い主の回し者の「自称警官」との空港なんかでの丁丁発止なんか映してオルグしなくたって、それなり知っとりますって。いやあ、それでも偏りすぎてないかなあ。困った氏の活躍のみ、この団体の歴史が終わったらパワボで駄目押しなんて、ちと、やりすぎと違いますかあ。まっ、今日は多めに見とこっと。
私ゃそれでもメモ取りましたで。堂々氏のレクチャーで知らなかったこと、意表を突くことなんかはね。いやはや、誰もメモ取らなかったけど、全部知ってたり暗記できるんだ。すごい人たちですねえ。

しばし休憩。外に出て深呼吸。リラックスリラックス。ここでは死にたくはない。お茶お茶、それからお菓子―っと。ああそう、Hくん、必死だねえ。若い人こまみたいによく動くよね。いや、こまになりきってるぞ、いいのかないいのかな。大丈夫―? はこっちの事か。
それから、自己紹介から意見交換と入りましたー。困った氏、まさにこの瞬間は「困った感」をすぐにでも解消したかった感ありでした。そこの人からまずー、と自己紹介の最初に指さされたのはワタクシでございました。そのこころは…あの見たことないオナゴは誰かいな…でしょうねえ。いやあ、ワタクシ恥ずかしいのでご遠慮しました。
「あとにしてください。いちばん最初なんて恥ずかしいですから」。「そうですよねえ」とはマイクを回しているHくん。素直でいい子だねえ。ああ、良かった、ほっ。
10数人の自己紹介は、どこから来たか、と名前ばっかーで、なんでこの集まりに来たのかなんて、誰も言わないのよねー。妙な感じだけれど、まあフクイでは毎度でございだから、まあそんなもんかなって。ひとりだけ、子育て支援の現場で外国籍のママさんたちと接点があるって、さっきハグした女性が言ったくらいかな。
ここまでのホーコクは1月の半ばまでに書いたんですわ。しかしです。このあとを書こうとして力尽きた。だってここから私の自己紹介という枠づけの語りが「少し時間をいただきます」と念押しして始まり、まあ、このときはマイクを回していたHくんに「恵子さん、あとで十分話す時間はありますから、そろそろこの辺で」と促されるまで、ともあれ、ペルーのクスコでの、そして住んでるわが市内の街中での日本の外と内での、「外国人」との主に日本語を教えることを通したふれあいを淡々と穏やかに冷静に話したのです。
すでに2月11日の3回目のこの集まりを経験した私は、もはや違うところまで歩いてきていて、この1回目の記憶を克明に語れなくなったけど、ともあれ私は切り出したわけです。
「フクイではあまり知られていないでしょうけれど」全国に200人余りの支援者がいて、毎年カンパを集めてクスコに行っていたことやら、日本のわが市内で、どんなふうに日本語を伝えることを通して、日系ブラジル人と接していたか、ともかく、かいつまんで判りやすく、なーんにも知らない、心がなかなか動かないようなフクイ人でも少しは伝わるように、かなり心を決めてさらさらと語ったのです。
それから、ふっと、ホワイトボードに書いてあった、この集まりの三大原則なんかが眼にとまって、「秘密は守られる、とあるので言いますけど」ってなもんで、性的マイノリティとしての自分のことを語りかけたのでした。
その時なんですよ。Hくんが「そろそろ」なんて言ったのは…。深ーい自意識が、「えっ、このタイミングで遮られるの??」と作動。というのも、自分のことを語るのが主眼なんかである訳がないではないですか。つまりです、私は英語圏の英語教師のALTの面々のみならず、日系ブラジル人であれ、私たちと同じ性的マイノリティの友人もいたりで、いかに彼らが、そのことをフクイで隠し通すのに腐心しているかを知りぬいていたからです。
ところがだよー。まるで自分のことを吹聴したかのようなタイミングで、痛―い遮られかた…。Hくんのマイク持ちとしての困り具合も判ったので、やむなく切り上げました。かれこれ私が話したのは12分くらいだと思いますけどね。Hくんの、「あとで十分に語り合う時間はありますから」を一旦信じるしかなかったもんね。しかし、自分の核心的なマイノリティ性のみ語ったまま、中断させられる苦痛って奥深くで疼くんだよね。疼きましたぜ。どうして疼くのか、とあとで考えて、そうだ、外国人のこのマイノリティ性こそ語りたかったんだわ、とついに思いだしたくらいに、場に寄り添う気持ちのほうがまだ働いていたときでした。はい。それに、この日はF市の国際交流協会の人なんかもいたので、ますます通じるわけないかあ、というロボットさん眼前感覚を払いのけて話さなきゃならなかった。県の国際交流会館の外国人支援のベンゴシっていう人も堅そうだし、まいったな、と思いつつも、来た以上はめげなかったしね。それにしても、私の話すことにビビッドに興味をもって反応する人がひとりもいないってのは、正直きつかった。でも、まああとがあるんだし。

後半の話し合い?って、私には話し合いには思えなかったけど、フクイ流儀はいたしかたないなあ、と、連絡先を医者の女性にとりつけたり、ともかく六月の催しの当日二日間のプログラムをどしどし決めていく困った氏の話をある程度は棚にあげて聞いたり、メモしたりはしましたぜ。はい、まっさらなこころで対応しなきゃあねえ。という覚悟維持。
どういうタイミングだったかは忘れましたが、また途中から私は話すときが来たと心を決めて、語り始めようとあいなりました。
その時です。怒鳴られたのは…。
「手短かにさっさと済ませて。」
「はっ」「4時までだから」
時計は3時40分を指している。念を押すようにそのことを言い、
「4時半までではないんですか」と毅然としながらも穏やかに言う。
「早く帰る人がいるんで、さっさと話して」。
語気のつよさに蹴倒されないよう気力を維持。
「いえ、4時半までと聞いてます」。
誰か一人、帰らなくてはならない人がいる、ということを説明される。こちらは片道一時間、車を運転して最大限、このために時間を使おうとして来ているのに、どういう態度だ。
それに、そもそも始まりだって遅くなったではないか。1時半からというから15分には着いていたけど、始まったのはこの市内在住の近場の人の遅れで、なんと2時近く…。
困った氏のうしろのホワイトボードには、三つの約束事が書かれている。
秘密を守ることに加えて、人の話は最後まできちんと聞く、そして、互いの意見を尊重し合って語り合う。これを率先?して、たたきわり、破りぬいているのが、この集まりのすべてを取り仕切っている困った氏であるのが、なんと、もはやだねー、とはあとからつくづく思ったもの。それにしても、だからこそ困った氏なんだけどね。
こうやって書いているからって、傷つかなかったなんて思わないでくだされ。この頭ごなしの、手短かに!!さっさと!!というのは、実に堪える。なにはともあれ、天涯孤独、孤立無援のその集まりで、なんとか私と英子の外国人支援の蓄積を伝えたいと、そして、そのことをもって、六月の全国的な催しに連なっていきたいと、少なくともこの時点では真摯に真剣にこころから思っていたからね。きつかった。胸に食い込んだね。ぐさっ。
それでも、持ちこたえて話す。しかし、「手短かに、さっさと」脅迫を受けたあととあっては、中身を整えるのはそれなりできても、心の余裕はどこかでそがれつつあるのは間違いない。
お前なんかいないことになっているのに、うるせえなあ、さっさと要らんこと終わらせよ、というのが、事実上、発せられているメッセージというより恫喝なんだから。
そんなときも、他のフクイのメンバーは誰一人として、「聞きたいですよ、ちゃんとに」とかの意志表示はなし。これはきつい。パワーハラスメントってこういう見て見ぬふりの人たちの暗黙の加担をもって完成するのだわ、という体験。

ともあれ、わが市内の日本語教室で、二交代の労働に疲れ果てているぼろぼろの日系ブラジル人たちに教える苦労を話す。深夜勤務を強いているその大工場の名前を叫んで、罵倒するとすっきりして、穏やかに授業ができるんですよね、みたいな話に、遅れて来て、隣に座った、F市の北部の地域から来た国際交流員の、やはり日系ブラジル人の女性が深―く頷くのが嬉しい、お初のポジティブ反応。この日本語のセンセー、苛酷な労働の続く日々をぬってブラジル人に日本語を教える工夫がどんなもんか判ってるんだ、っていう頷き。むろん、彼女が遅れて入ってきたときには、ボアタルジって、まあコンニチハ相当のポルトガル語であいさつを交わして、名刺も渡したのですうっと私の話が入ったのね。しかし、他の日本人の反応の乏しさったら。
このときだったか、私が話しているときに、行政の国際交流協会の人が平気のヘイザで話を中断させて、かなりの長話を困った氏とする。すべて困った氏が取り仕切っている以上、こういう展開になるのであるのであるのである。
私、上を向いて宙を見たなあ。切なかったけど、非暴力直接沈黙行動。私、やっと話し出したのに、またも遮られたーって、暗黙の意思の開示。こういう一人芝居ってけっこうつらい。蝕まれる。
それからもう少しあとになって、
「彼らブラジル人は日本社会に溶け込むのに必死で、なかなかこういう催しにやってくるまでにはならないかなあ。ともかく必死だから…」。
と静かな声でふりしぼる私。すると困った氏、ここぞとばかりにありえない展開。
「ブラジル人コミュニティにどかどか入り込んで、今すぐどうかしようなんて思わん。」
そんなこと言っていないでしょ。彼らがいかに必死に溶け込もうとしているか、それだけ言っているんでしょ。まるで、私がずかずか入り込んでやろうとしているとでも言いたげ。というより、あとで聞いたら、英子ちゃんは、この団体の各地の催しに今までも何度か出て、たまたま困った氏と同席するたびに、その偶然の遭遇で英子が発言するたび、「早く」「さっさと」と言ったというのだから驚きだ。なにか私たち二人のことを、この人は害虫か毒物かなにかと勘違いしているとしか思えない対応。対応とは言えない暴挙。
そこにある外国人のため息とか、声なき声とか、そういったものを語ろうとしている私の声だって、そのときは彼は聞こうともせず、なにか強迫観念で暴言を吐くのみ。ありえない。
ともあれ、プログラムや連絡先やらの確認も進んでいく。やりきれない。ほとんど誰も口をきかない。黙ったちゃんばっかー。フクイ人ってムーブメントってこういうふうに作るって思いこんでいるのかなあ。メンツも、国際交流協会とか会館の相談担当の弁護士以外は、反原発の運動のメンツとまったく同じ顔ぶれで成り立っている不思議、奇妙、おかしくない???
だいいち、外国人支援に直接、行政のオスミツキなんかなしで、関わってきたのが困った氏と私のみ、というのに、やたら私を無視するってどうかしている。パワーハラスメント以外のなにものでもない、とじわじわと思ったのはその晩、一切眠れないなかで。

はっ、突如思い出しましたわ。この後半、6月の催しのサブタイトルを決めるのに多少、四苦八苦。私も四つくらいの案がホワイトボードに出ているのにしたがって、決まったメンツがあれこれ言うのに加わって、口をつくのは弁護士とか交流協会関係者だけだったけど、どうも「外国人」がご法度用語で、ありゃりゃって感じで、とはいえ、このときだけは、困った氏、私の言う「とにかくこのタイトルは仮題ということにしたら。すぐには決めないほうがいいですよ」には割に素直。どうやら「仮題」がお気に召したようでした。はい。
それにしても、そのあたりで耳にした、若い「ハグ」の連中がこの1回目の集まりのチラシだかなんだか作って、「外国人」と使って「中央」に責められたらしい、という話には、やばーって思わされました。そうでしょ。これが放送禁止用語ならぬこの団体禁止用語になっているなら、その論理性、背景明らかにしなくっちゃだめですもん。それ、不透明だった。で、この点については、日本語教師的には外人よりは外国人が良しって頭があるから、今度ちゃんとに訊いてみなきゃ、なんてその後、三日間は思ってました。
(タイトルも外国人がどうご法度かも、実に2月11日に波乱持ちこし。そういうことなのです。)
あと、最初の基調講演をどうするみたいな話のとき、私がシンポジウムとかは?と尋ねると、それもまあ、まだまだ案の段階だったからか、とりあえずは聞く耳あり。
それでも、やっぱり話すのは、話した者勝ちって雰囲気満々で、やりきれない。
とうとうまたもシーンと静まる場に向けて、私はごくごく自然と口にしたのでありました。
「ここに「ともに」がなければ、外国人と「ともに」だって作れないでしょう。そうじゃないんですか。ここに「ともに」がなければ…。」
つとに自然と穏やかに語る。
見たぞー。見ちゃいました。約三名、小さく小さく身を縮めていく人が約三名。いずれのお三かたも内気で無口で、そしてこの場で身の置き所がないと感じているのは間違いない人たち。だけど、私の言うことに同意したり、「ともに」を探しましょうよ、なんてシャレたことは言えない人たち。身がみるみるうちに縮まっていくのです。
ひとりは前日、「私がんばって話しますから、よろしく」って私が伝えた、少なくとも信頼はしている友人。あとひとりは、どうして来ていたのか知らないけど、ある無口なお坊さん。それからHくんなのです。彼は私が言っている意味は判ったのよね。判るはずです。「後で十分時間はあるので、一旦切り上げて…」とマイク回したんだもの。それに素直で純粋な若者だしね。まあ、ちょいと弱い以上にかなり弱いけどさ。
それから提案させていただきましたのよ。というのも、ペルーのクスコ市の日本語学習グループの活動に生かす資金作りに制作した、英子撮影の絵葉書がごまんと残部あり、なので、これをこの催しに向けて、どんな形でもいいから生かしてほしいってね。早めに切りだして、反応ないからもう一回、この団体と関係の深いある別の団体からの助成も受けていたクスコの活動だから、この絵葉書をこういう形で生かすのは嬉しいんですと繰り返す。それでも、誰もうんともすんとも言わないのよね。その団体から、はるばるこの日のために遠路おいであそばした堂々氏が面倒そうに、「助成を受けたっていうそのユニオンはペルー人が労働問題、解決するたびに、ペルーのストリートチルドレンの活動のためにその一部を置いていって」なぞとさあっと説明。いかにもフクイのもんには判らねえだろってな感じ満々。
「はい、その一部を生かさせていただいたクスコの活動でした」と私、一応ね。
しかし、どうして誰もかも、この「提案」にも、なーんも言わねえんだ。またも…。またも。(そこで、3回目の先日、2月11日には準備して持っていきましたけどね。うんともすんとも言わないのは少なくとも拒否ではないですよね、って)

結局、この1回目の集まり、4時半まででしたね。前夜、英子ちゃんは次回から知らせて、とじきじき困った氏に毅然と電話したから、私の名前とアドレスは塗りつぶして、英子ちゃんの連絡先を新たに書き加えるという動作を、受付の紙でしなおす。しなおしました。
もうだめだー。こんなところで自分を保っていられない。ことごとく否定され、ことごとく遮られ、ことごとく沈黙をもってパワーハラスメントを見て見ぬふりをされて受けるようなところで、自分を使い捨てるような真似はできませぬ。
しかしだよー。集まっている人、みんな本当に人間なのかな。人間が集まって考えたり、互いを知りあったりしながら、この全国的な集まりで何が必要なのか、どんなこの地域の需要があるのか、とか知りあわなかったら、意味ないじゃん。ないじゃんたらないじゃん。
この夜以降、私がはたと「あれは紛れもなく衆目の無関心のなかで敢行されたパワーハラスメント」と眠れぬなか、はたと確信的に自覚した以降の日々の、めくるめく移ろいについては、ここではあえて触れませぬ。
Hくん、大変だったね。弱くて純粋で真面目なHくんは、全身全霊でこの催しをやろうなんて言っていたから、倒れちゃったんだね、少なくともそのあとの2回目の集まりは私たちには知らされず、3回目の2月11日には参加していなかった「ハグ」の面々。そしてHくん。無理しなくていいよ。必然性がないんだったら、困った氏にますます困らされる筋合いなんかないんだからさ、というのがたった今のHくんに寄せる正直な思い。
しかしねえ、2回目の12月の会、私たちに知らされず、知らせなかったこともシラバクレテ、まったくもう、だけどさ。
まあ、このあとの展開も、読んだら目をむくような展開だけれど、これは既成事実をもってして、この全国的な団体と困った氏の連携のもとに私たちの締め出しがあったんだとしたら…。いやはや、どう考えたらいいのやら…。
ははーん、もうやってらんないけど、私はやることにしたんですけどね。
や・る・こ・と・に。

 2017年2月19日  Matta虹主宰・米谷恵子(文責)
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