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点滴後、するするとカミングアウトしていた…後日譚…ティシュの黒い箱を介して「それでは、ご友人ですか、ゴキョウダイですか…。」


点滴後、するするとカミングアウトしていた
…後日譚…ティシュの黒い箱を介して
「それでは、ご友人ですか、ゴキョウダイですか…。」

診察カードが渡され、必要に迫られて訊いてくる看護師さんの訊きかたは、よくある内容にもかかわらず、けっして…それが常識だから訊くんだー…的な押しつけがましさはなかった。態度の悪い医師を補ってあまりある姿勢で、きめこまかに対処してくれた彼女の良心や人間としてのふところの深さ、本来の意味でのプロとしての使命感は、すでに私に十分に伝わっていた。
私はそれ以外になく、するすると彼女にこたえた。
「パートナーです。」
言い終わるか終らないうちから、それを丸ごと受け入れるような気配と頷きが伝わる。私は続ける。
「これは個人的なことですが、信頼できるかただと判るので申し上げました。」
いっそう深い頷きが返ってくる。

通常の診療だとしたら、事務の人が訊くであろうことを、夜間の緊急時だから、看護師に訊かれる、あるいは「疑われる」という経験はすでにしていた。
息子の足先をほんの少し、間違えて車でひいてしまった、そんなことがあった。
私はきわめて体調が悪いときで…実はある重篤な薬害の始まりで、そうとは知らなかったが…、するすると切れるはずのハンドルを、ベロ亭前の駐車で切ることができず、隣家の車庫の扉にずるずるとぶつけるという、普段ならありえないことをしてしまったときのことである。
通りかかった隣人…「嫁」の立場の女性だが…が、猛烈な勢いで、たたみかける。
「なにをしているんですか。」
「いま、車を立て直しているんです…。」
「なにを言っているんですか、ぶつけたら、すぐ頭を下げて謝るのが常識でしょう!」
すさまじい剣幕である。いつかこうしたいと思っていて、今こそ時機を得たという怨念がこもる。ハンドルをどう切るか、判断しているときに頭ごなしはたまらない。
「すいません。今立て直しますから…。」
しばらく凄まじい剣幕を、あたかも、やりどころのないうっぷんを晴らすようにぶつけると、彼女は間もなく立ち去る。
私の途惑いは弱った心身にはきわめつけだった。車から降りて、なにやら誘導してくれている息子のほうにハンドルをふらふらと切る。
わずかだが、軽のジープのタイヤは息子の足先に乗り上げた。
隣家の人に怒鳴られても、ことさらに沈黙を押しとおした息子もさすがに「まずい」という表情。むろん私を責めるわけもない。
遅れて帰宅した英子が、すぐに救急病院に連れていく。
2010年の越前陶芸祭のおそらく3日連続の2日目の夕刻のことである。

英子と息子は、市内のある病院に駆けつけた。
ここでは医師の態度よりも、驚くべきことにある年配の看護師の女性の言動に、二人はやんごとない憤懣を感じたという。実際、戻ってくるや、二人してカンカンだった。
神戸で生活保護を受けている息子が、なんで「実家の」親と一緒に救急に来たのか、ということを何度も、執拗なほど何度も、不審がられたというのである。
「生活保護を受けているなら、親と一緒の訳がないやろ。訳がわからんわ。」
人はどんな福祉を受けていようと、誰といても、誰と笑っても、誰に助けられても、むろん構わないのは自明である。(それとも、生活保護を受けている者は、絶対絶命に孤独で誰の助けも求められないものだ、とでもいうのか。)
しかも、それが通用しないという、価値観とも言えない固定観念を、たった一人で医師の指示を受け、保険の手続などもできるところまで対処したろう看護師に、断定的に押しつけられるという無礼。
それは、紛れもない「生活保護受給者」への侮辱でもあった。
息子はこういうときもきわめて冷静である。言っても甲斐がない相手には、手続き上で言わなければならない以上のことはけっして言わない。英子も相手を見極めて対処する。
しかし、帰宅後、息子がひしひしともらした言葉を私はけっして忘れない。
「神戸ではありえへんわ。神戸であんなこと言ったら、言った側が大変なことになるわ。この市内で福祉を受けている人たちは、さぞやひどい目に遭ってるんやろうなあ。
恐ろしい県やわ。俺、絶対住めないわ」。
後日、事務窓口のほうでは、支障なく支払いを済ませる。そんな一件だった。

閑話休題。

あまりに当たり前に告げた私たち二人の関係のカミングアウトのあと、処置室を出るとき、他の人に当たっていたその看護師に、私は邪魔にならないように、丁重に礼を言った。言いたかった。
「本当にこんな時間にお世話様です。いろいろお手数をおかけしました。」
「山菜の季節ですから、気をつけてくださいねえ。」
医師の開口一番を払拭するような、優しさのある「結び」のやりとりであった。

翌日、英子はその病院の会計窓口に、正式な支払いに行こうとしていた。世話になった前夜の看護師から連絡が入った。
「昨夜、お二人が落とされたらしいティッシュペーパーが駐車場で見つかりました。」
間違いないと英子が対応。会計時に渡されることになった。
はたして会計窓口の英子。
「お支払はお二人ご一緒でよろしいでしょうか。そうそう、落し物をお預かりしてますよ」
と、なんということなく窓口の人が言ったという。
私は思う。あの看護師さんは、私のカミングアウトをむやみとアウティングすることなく、しかしながら彼女なりの「翻訳」をして、おそらく家族のようなふたりであるという事実のみを事務の人に伝えたろう、と。

毒物を拒絶するのに時間がかかる英子が車の揺れに吐きに吐きまくっていた、病院に向かうジープを停めて、水とともに行きがけのコンビニで購入した、私たちとしては、わずかに高級感が増す黒のしゃれた色の、厚みのあるテッシュの箱。
それが昨日も今日も目に留まる。居間のテーブルの上で目に留まる。

今までは、病院に駆けつけるや、私たちはどんなときも「家族です!」で通してきた。それでほとんどすべてのことは片がついた。
それでも、数日前、そっと救急現場の看護師の女性に言った「パートナーです!」が、私の誇りの窓をするりとあけて、すがすがしい風をいっそう自然と通す。

…そうよ。だから、私たちはふたりして助からなきゃならないの。
だから駈けつけたの。だから、この人も私も生きていかなきゃならないの。…
医師と対峙した延長の、やさしくも適切な若いその看護師の対応の延長に浮き出た、初めての病院での「パートナーです」をかみしめる。

こんなこと、異性愛者はみじんも、思わずに済んでいることだろう。
こんなことだけで、どれほど救われるかなんて、ほとんど伝わらないことだろう。

だから、ここに書き留める。
だから、今日も必要なら言おう。
瞬時にタイミングをとらえて、迷うことなく…。
「ええ、私たちはパートナー同士。
40年、女ふたり、パートナーとしてどんな道も歩んできたんです」。

2016年4月30日 午前10時半   米谷恵子
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